すてないで
流れ落ちる水の音がイオの意識を呼び戻す。
「うん……っ」
気だるげに瞼を持ち上げるときらきらと木漏れ日が揺れていた。
陽に照らされ、熱を吸収した温かい岩に寝そべっていたらつい眠ってしまっていたようだ。身を起こすと体が痛い。
濡れていた衣服もほとんど乾いており、自分はいったいどれほど眠っていたのかと長い銀髪を掻きあげた所で天使…ではなく、イグジュアートの綺麗に整いすぎた顔が恐ろしいほど近くにあった。
「ひぃっっ―――」
「あ、すまない。」
本当に息がかかるかと言うほど近くに顔があったため、イオは悲鳴を上げかけ己の口を両手で塞ぐ。
目覚めにこれは強烈だ。
イグジュアートは岩に付いていた手を持ち上げると、胡坐をかいた膝の上に落ち着かせた。
これは…寝ている姿を覗きこまれていたのではないだろうか?
もしそうなら相手は子供だとはいえ滅茶苦茶恥ずかしい。相手がこんな美少年とくれば尚更であり、思わず頬が引き攣ってしまう。
そんなイオの顔をイグジュアートの碧い瞳が瞬きもせずにじっと見つめていた。
「あの、何か?」
「紫の瞳とは珍しいな。」
紫の瞳?
イオが首をかしげるとイグジュアートが瞬きをしたので、イオは彼の長い睫毛が風を送るのではないかと思ってしまった。
「…そんなことないと思いますけど?」
珍しいかどうかなんて解らないが、そう言われてみると村の者たちにはいない。だがイオの両親は二人とも紫の瞳だった。
「私の母も紫の瞳をしていたと聞いている。」
それじゃあちっとも珍しくはないじゃないかと突っ込もうとしたが。
「お母さんを知らないんですか?」
と聞くと、イグジュアートは無言で深く頷いた。
何だか嫌な予感がする。
母親を知らないで育ったのは単に物心つく前に死別したのかもしれないし、高貴な人たちに有りがちな母親から離されて育てられるという事情なのかもしれない。
触れてはいけない部分の様な気もするし、知らない方が身のための様な気もする。それでも今までろくに口をきかなかったイグジュアートの方から話を振って来たので、もしかしたら聴いて欲しいのだろうかとも思えるのだが。
「あの二人は何処に?」
彼がそれ以上口を開かないので、姿が見えないアスギルとアルフェオンの事を聞いてみると、今夜の食材探しに出かけたのだ言う。
仲の悪い(?)二人してとは珍しい。川の水で身も心もさっぱりし、気持ちを改め仲よくする事にしたのだろうか。
まぁそれはそれで良い傾向だと頷くと、イオは二人が仕留めて来るであろう獲物の調理に使う薪を探しに行く事にしたら、イグジュアートも一緒に行くと腰を上げた。
二人して水辺を離れ草木に紛れて行くとじめっとした空気が全身を覆い、久し振りに身綺麗になったばかりの体に汗が滲んだ。
腰を屈めて落ちた枝を探していると視線を感じて振り返る。するとイグジュアートと目が合った。
目が合ってもイグジュアートはイオから視線を外さず、拾った枝を抱えじっとイオを見ている。イオが「なに?」と首を傾げるとイグジュアートは枝拾いに戻るのだが、イオが再び腰を屈めるとまたもや視線を感じて振り返った。
今度はイグジュアートの方から視線を外すが、イオが腰を屈めるとその度に視線を感じ、何ともいたたまれない気持ちになってしまう。
何かしただろうか?
それとも背中に嫌な落書きだか貼り紙でも??
とにかく気まずくて木々の裏に身を隠すと、イグジュアートが慌ててイオの姿を探すのが感じられてしまうのだ。
我が身は知っているので、まかり間違ってもイグジュアートの様な美少年から好意を持たれる訳がない。しかも彼にはアルフェオンがいるではないか。自分に好意など絶対に有り得ない。
では何故これほど気にかけられるのか?
ほんの先ほどまではろくに口も聞いた記憶はないし、会話もなかった。ここに来るまで彼が自分に興味がある様子も全くなかったではないか。
もしかして気付かないうちに打ち首級のとんでもない失礼を働いてしまっていたとか?!
もしそうだとしたら逃げ回り木々に背を向けている所ではない。『あんな無礼な女は置き去りにしよう』なんて話になって置いて行かれでもしたら、魔物の巣食う森で一晩だとて生きてはいられないではないか。
自分が何をしたかは分からないがとにかく謝ろう―――!
何かした記憶はないのに謝るなど不本意だったが命には代えられない。イオは慌てて身を隠していた大木から抜け出る―――と、そこは木々の生い茂る暗い森だった。
「あれ―――イグジュアート様?」
右を見ても左を見ても、後ろを見ても前を見ても暗い森にそびえ立つ大木達。そして上を見ても生い茂る木々に空は覆われ方角が読めない。
迷子…よね?
間違っても置いて行かれたなどとは認めたくなかった。




