セピア色の手帖 ~夏の記憶~
「お盆には、海に行くんじゃないよ。海で死んだ人が帰ってくるからなぁ」
「はいはぁい!」
子供の頃、そんな話を死んだばあちゃんがしていた。
ばあちゃん、ごめん。
おれね、あの日までそんな話、半分信じてなかった。
強い日差しの中、パラソルを立てて意地で浜で寝ていた。
「乱暴だなぁ」
顔の上に覗き込む人影が、逆光の中で呆れて笑った。
「そんな焼き方をしたら、皮膚がんになるよ」
驚いて飛び起きた。
こんな田舎に珍しい金色の髪、青い瞳。
映画で見た西洋人の役者みたいだ。
すっげ、綺麗な海色の瞳。
「え~と……な……ないす、みぃちゅう……?」
……どこのねずみ語だよ。
くすりと笑って、日本語話せるから大丈夫だよ、と彼が言う。
「入り江を案内してくれるかな?」
入り江って言ったって、ご覧のとおりの波打ち際で見るものなんて、何もありはしないのに?
だけど、彼はどんどん手を引いて、有無を言わさず走ってゆく。
「待って、待ってってば!」
「あれは?」
じっと見つめる波打ち際の端に、遠い戦争の傷跡があった。
どうせ知らないだろうから、教えてやるよ。
「あれはね、回天という兵器の秘密の隠し場所だよ。ここらの子は、みんな学校で習うから知っているけど、馬鹿な戦争の遺物だね」
あれが、回天の基地なのか……と、真面目な顔で金髪が呟いた。
「やっと逢えた。知ってるよ。回天はね、旧日本海軍の特攻兵器の一つで、人が乗り組み操縦できるよう魚雷を改造したんだよ。その名の由来は、天を回らし戦局を逆転させる……」
「え~と……」
こいつ、頭が残念なのかな?
戦争映画の見すぎだよ。
もしもし、今西暦何年かご存知ですか~?
おれ、平成生まれですよ~。
いぶかしそうに視線を向けたのを感じたのかもしれない。
「大丈夫、頭がおかしいわけじゃないよ。あのね……」
そう言って、彼は一冊の手帳を取り出した。
「これは、回天で出撃したまま艇の故障で、帰れなくなった特攻隊の人のものだよ。死ぬ間際に、愛する人に当てて書いたんだろうね」
「海兵隊の将校だったぼくの祖父が、太平洋で艇を見つけたんだ。手帳を持ち帰って父に譲り、そしてやっとぼくの代になってここに来れた」
「君に会いたかった……」
セピア色の手帳を広げると、何だかかび臭いような気がした。
ぱらぱらとめくったら、一片の古びた写真が落ちた。
差し出された手帳にびっしりと書かれたのは、取りとめもない日記のようで、しかも古臭い文体で書かれていて正直意味が分からなかった。
そして、彼の指差す場所に、文字の隣にちいさな丸が打たれているのを認めた。
「この丸の意味を知ったとき、いつかここに来なければと思ったんだ」
「丸の意味?」
「〇のついた字を、一つずつ追ってみて」
「〇のついた文字を、拾うの……?」
「そうだよ」
彼は頷いた。
〇が横に打たれた文字を拾って、続けて読むと文章になっている。
……何となくだけど持ち主の赤裸々な気持がわかる。
『げっこうをみあぐるたび、きみをおもふ
きみをまもって、われはゆく
このいのちが、きみがすむくにをまもらば、あなかしこむだじになるとはおもはざる
いつか、きみにあはむ
こずえをわたるかぜになって
はをゆらす、すいてきとなりて
こんじょうにかなわざる、きみへのおもいをひめてわれはうつろふ
うでのなか、しぬなとなきしきみのしんじつのみが、われのみちをてらす
ああ、なつる
きみをだきたい』
「那弦?……なつるは、ぼくのじいちゃんの名だよ」
「うん。だからぼくは、君に会いに来たんだ……思い出して、那弦」
いつしか、茶色の出撃用の特攻服を着た回天搭乗員の細い青年が、ぼくに向けて優しく微笑んだ。
彼の名を……知っていた。
ぼくの口が、ほとばしるように知らない名を呼んだ。
「修一郎!」
青い眼の修一郎が、ぼくをひしとかき抱く。
「那弦、やっと……やっと会えた」
一気に流れ込んだ、過去の記憶。
この束の間の逢瀬が、死ぬ間際に見た夢だったと彼が語った。
「ありがとう。これでやっと往ける」
ふっと微笑んで、軍人は海軍式の敬礼をすると、ふっと眼前で青い眼の青年に戻った。
ラフなTシャツ姿だった。
……ばあちゃん。
お盆には死んだ人が帰ってくるって本当だったんだね。
ばあちゃんは知らない、じいちゃんの秘密の恋。
きっと、命がけだったんだよ。
「この写真は、君にそっくりだ」
「うん、よく言われる。じいちゃんに似ているって」
「ぼくは、この手帳を譲り受けた時から、写真に長いこと恋してきたんだ。この手帳の持ち主の、一途な想いをずっと羨ましいと思っていた。丸のついた字をなぞって、いつしか暗記してしまったんだ」
月光を見上ぐる度、君を想ふ
君を守って、われは逝く
この命が、きみが住む故郷を守らば、あなかしこ無駄死になるとは思はざる
いつか、きみに逢はむ
梢を渡る風になって
葉を揺らす、水滴となりて
今生に叶はざる、君への想いを秘めてわれはうつろふ
腕の中、死ぬなと泣きし君の真実のみが、われの道を照らす
嗚呼、那……
「君の名は?」
「那智」
「那智、ずっと逢いたかった……」
「うん」
じいちゃん、この先、ぼくはどうしたらいい……?
焦がれるほど恋してきたという金髪碧眼の名前すら知らないけど、視線を外せなかった。
彼が耳元で、最後の一行をささやいた。
「きみを、だきたい」
心臓が跳ねた。




