動き始めた歯車
ブリッジトンの旧橋は、雪を被っていた。
鉄骨のトラス構造に白い雪が積もり、灰色の空を背景に浮かんでいる。橋の下を流れていたはずの川はとうに枯れていて、河床には灰原草と瓦礫が広がっている。橋の上に建てられた集落の建物から、煙が上がっていた。
カイはトワと共にブリッジトンを再訪した。
ケストレルのコックピットから見下ろすと、前回の訪問時とは景色が変わっていた。橋の両端に、簡易的な防壁が積み上げられている。旧世界のコンクリートブロックと、鉄殻の廃棄装甲板を組み合わせた即席の壁。その内側に、残殻が2機停められている。
ヴィクトルが橋の上で待っていた。
痩身の長身。灰色の髪を後ろに撫でつけた男。旧軍人の経歴を持つブリッジトンの実質的な指導者は、カイの姿を認めると無言で頷いた。
「防備を進めている」
ヴィクトルは橋の防壁を指した。
「無法傭兵団の襲撃に備えていたものだが、セルヴィスが来るなら話は違う。規模が足りない」
「リオンが哨戒線の提案を出した。人員は確保できたか」
「4名を出す。交替要員を含めて8名。だが全員が残殻に乗れるわけではない。徒歩哨戒と組み合わせる」
橋の奥から、金属を叩く音が響いた。
イーラの鋳造工房だ。橋の中央部、旧世界の管理棟を改修した建物の中で、炉が赤く燃えている。カイが入ると、熱気が顔を叩いた。
イーラは炉の前に立っていた。小柄な女性。腕まくりをした袖から、火傷の痕が無数にある前腕が覗いている。額に汗が光り、髪を手ぬぐいで縛り上げている。
「ストーンクロスに送る分と、うちの分。鋳造設備がフル稼働だ」
イーラは炉から目を離さずに言った。
「関節部品が足りない。ストーンクロスのガルドに図面を送ったが、うちの炉では精度が出ない部品がある。あの男の工具が羨ましい」
「ガルドに伝えておく」
「ああ、頼む。それと、旧世界の変速ギアの在庫があれば分けてほしい。うちの残殻2機とも、変速系がガタが来ている」
イーラの工房では、ストーンクロスへ送る鉄殻部品と、ブリッジトンの防衛用装備を同時に生産していた。小さな炉がフル稼働で回っている。一人の鋳造工が、二つの集落分の部品を作っている。
カイは橋の上に戻った。
トワがヴィクトルと話している。哨戒ルートの確認だ。トワは地形を見る目が鋭い。傭兵として14年間、灰域を歩いてきた経験が、地図の上の線を現実の地形に変換する。
「この稜線に沿って哨戒すれば、南東からの接近を早期に捕捉できる」
トワが地図を指さした。
「だが北からの迂回に対しては死角ができる。もう1チーム必要だ」
「人が足りない」
「なら、通信で補う。ストーンクロスの通信網と連携して、北方からの接近情報を共有する」
ヴィクトルが腕を組んだ。
「灰域がまとまるなんて、生きている間に見られると思わなかった」
皮肉混じりの声だった。だがその目は本気だった。
「うちの集落だけでセルヴィスに勝てるとは思っていない。だが、隣の集落と手を組めば、逃げる時間は稼げる。それだけでも、やる価値はある」
トワが応じた。
「まとまっているかどうかはまだ分からない。だが動き始めた」
カイはブリッジトンの高い橋の上に立った。
橋の欄干から灰域を見下ろす。広い。灰原草の白い海が、灰色の地平線まで続いている。雪が薄く積もった大地は、鉄錆と白のまだら模様になっている。点在する廃墟の残骸が、墓石のように立ち並んでいる。
この全てを守ることはできない。
目に見える範囲だけでも途方もなく広い。その向こうにも集落がある。人が暮らしている。子供が走り回っている。灰谷のリーナは病人を抱えて動けないと言った。南東の小集落の老人は逃げ場がないと言った。
守り切ることは、不可能だ。
だが目の前の人間を見捨てることも、できない。
風が吹いた。雪片が橋の鉄骨から舞い上がり、カイの頬をかすめた。
カイは拳を握った。
この手で全てを守れるとは思わない。だが、この手が届く範囲のことは、やる。
ストーンクロスへ戻る。
まだやることがある。




