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汚泥怪獣オドロ  作者: 彼岸花


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18/19

神話の実現

【理解出来ません】


 ヘドロで出来た泥人形が、ぽつりと呟く。

 バケツに入れられたその人形の言葉に、白い防護服を着込んだ幸恵は心底同意する、疲れ切った眼差しで反応した。バケツを乗せた台車は敦(彼もまた防護服姿だ)が運んでいたが、彼さえ若干の嫌悪を見せながらも、反論はしない。


「確かに、あなたには理解出来ないかも知れないわね……人間側の、この対応のバラつきは」


 幸恵はいよいよ言葉でも、泥人形(オドロ)に賛同した。ただし視線はオドロには向けない。

 見るのは、遥か彼方にある無人地帯。

 かつてオドロ三号が爆発し、ヘドロを撒き散らした熊本の地だ。火山噴火によって生じたカルデラの内側は、かつて多くの人が暮らしていたが……今では中途半端に残ったヘドロと、オドロが撃ち込んだ『弾丸』の周辺を囲うように建てられた研究施設しかない。

 今、この現場には防護服姿の自衛隊員が大勢待機している。銃を持った歩兵のみならず、戦車や装甲車などの車両も数多く集まっていた。近くの基地では戦闘機も待機している筈である。

 この物々しい配置はなんなのか。その答えは『備え』だ。

 オドロの言う通りなら、此処で何かしらの異変が起きる筈なのだから。幸恵達はその異変をこの目で見て、解き明かし、対処するために来ていた。

 ――――事の発端は、オドロから語られた『避難勧告』である。

 三日前に伝えられた情報は、直ちに日本国政府へと連携された。政府内での動きがどのようなものだったか、科学者である幸恵達には分からない。

 一つ言えるのは、国民にオドロが伝えた危険地帯……()()()()()()()()()()()()からの避難が勧告されたのは、惨事が起きると予告された当日であった。

 米国や韓国なども日本とほぼ同時に避難が勧告されたという。中国やロシアでは報道なし。ヨーロッパだと避難勧告が出た国は六割程度で、四割近くが避難を促さなかったようだ。他の国々でも対応が分かれている。

 たとえ避難勧告が伝えられても、実際に避難しているのは国民の一割程度。九割は危険地帯に留まっているらしい。今の時刻が午後十時過ぎである事を鑑みれば、ここから避難する人の割合が急増する事はないだろう。


【それもありますが、何故他の仲間に危険だと伝えるのに、三日も掛かるのでしょうか。猶予を与えたつもりだったのですが。一部集団には伝えられていないという話も聞いて、理解に苦しんでいます】


「前も言ったけど、人間は個別に意思があるの。だから意見調整や、国民への伝え方を考えないといけなくて、それに時間が掛かる。パニックを避けないと、個別の意思がぶつかり合って、別の被害も出かねないし」


【個体間の意思疎通に不備があるのですか。もう少し猶予を設けた方が良かったようですね、申し訳ありせん】


「……謝るけど、計画の時期は先延ばししてくれないのね」


【はい。こちらにも事情がありますので】


 その事情とやらについては、微塵も話さない癖に。そう心の中で指摘し、幸恵はまたため息を吐く。

 確かに、三日という時間は短い。

 短いが、それでも当日までなんの対応も出来なかったのは、遅いと言わざるを得ない。恐らく意見調整や各国との対応で揉めたのだろう。警察や自衛隊との調整にも時間が掛かったのかも知れない。

 加えて、オドロ自身から『口頭』で伝えられるというシチュエーションも良くなかった。

 人間社会に被害を与えているオドロ。そのオドロから「この地域は危険だから逃げてね」と言われて、どうして信じられるのか。むしろ安全だという三割の地域に誘導して一網打尽にするつもりかも知れない。そんな疑心を抱く者も少なくなかっただろう。


「(結局、その判断は国民に丸投げしている。仕方ないとは思うけど)」


 国から伝えられた避難勧告は、あくまで予測という形だった。

 避難した国民が一割しかいないのは、確信がないため。国民側にしても、いきなり今日中に避難しろと言われても、仕事も家庭もあるのだから無理な話だ。しかも近くの避難所への一時待機ではなく、地域からの脱出である。むしろ一割も避難している事が驚きだろう。

 米国などでも、実際に避難行動をしている者は僅かだという。中露などのように隠してしまう方が、結果的に被害が小さくなる可能性も否定は出来ない。

 果たしてどの判断が正解なのか。間もなく明らかとなるだろう。


「……で? 何時頃目的とやらは実行されるの?」


【間もなくです。先程意思の本体より、目的実行のタイムスケジュールが連携されました。人間の時間感覚に直すと、あと五分でしょうか……伝達が遅くなり、申し訳ありません。まだ人間にとって十分な猶予が掴めていないもので】


 オドロの発言を聞き、周囲にいた自衛隊員達がざわめく。あちこちに指示を飛ばし、銃の最終点検をして、戦車も動く。

 オドロにはこちらを翻弄する気はなく、事実を淡々と告げてるだけなのだろう。ただ、あまりにも人間と感性が違う。開始五分前に伝えられても困るという事が、知識では分かっていても、感覚が伴っていない。


「(今の物言いからして、意思疎通に微塵も苦労してなさそうだし)」


 当然のように語っていたオドロの言葉であるが……幾つかの新事実が確認出来る。

 まずオドロ達は、『本体』と呼べるものと遠く離れていても十分な意思疎通が可能らしい。それも幸恵達人間には、なんらかのコミュニケーションを取っている事を気取られないやり方で。

 更に情報連携は極めて迅速で、少なくとも分単位の齟齬はないらしい。電波通信に匹敵する、リアルタイムの情報交換が可能なのだろう。

 ……それと少し前の会話で、個体間の意思疎通に『不備』があると言っていた。

 まるでオドロ達の会話にはそれがないと言いたげだが、実際ないのだろう。オドロが古細菌の集合意識だとすれば、コロニー同士が接合すれば完全な情報共有が可能となる。もし離れた状態での意思疎通も同じぐらい情報を共有出来るなら、彼等にとって同族間での意思疎通は非常にスムーズな筈だ。意見調整などいらず、話せばみんな理解する。

 人間達のコミュニケーションが遅く思える訳だ。


「……もうすぐね」


 オドロにとっては十分な、人間にとっては不十分な五分が経つ。

 そしてオドロの宣告通り、異変が生じる。

 最初に感じられたのは、小さな地震だった。横揺れではなく縦揺れで、身体が浮かぶような感覚に見舞われる。

 その揺れは段々と強くなる。止め処なく、途方もなく強くなり……ついに幸恵は地面に伏せた。敦や自衛隊員達もしゃがみ、迂闊に動けなくなる。戦車さえもガタガタ揺れていた。

 一体、何が起きるのか。

 幸恵の抱いた疑問に答えるように、突如、爆音が響き渡った。


「なっ!? に……」


 驚きもあって反射的に、幸恵は爆音が聞こえた方を振り向く。振り向いて、声を失い、目を見開く。

 空高く伸びる、直径数十メートルはある()()()を目の当たりにしたがために。


「(あれは、何!? 何処から伸びて……)」


 驚きながらも観察してしまうのは、科学者の性と言うべきか。それ故に幸恵は光の柱について知る事が出来た。

 まず、光の柱が噴出しているのは地面のとある場所。

 そこはオドロ三号が爆発した地点、即ち弾丸を撃ち込んだ場所だった。光の柱だと思ったものは、濁流のような荒々しい質量を持ち合わせており、轟音を響かせながら天高く昇っていく。本当に質量がある事は、周囲の地面をガリガリと削り、近くにあった自衛隊のテントや車両を容赦なく巻き上げている事からも明らかだ。


「こ、攻撃か!?」


「なんだあれは!?」


 自衛隊員達もパニックに陥っている。叫び、右往左往し、ただ見ている事しか出来ない。戦車も後退するのが精いっぱい。仮に銃弾や砲弾を撃ち込んだところで、止められるとは到底思えないが。

 光の濁流は、果たして何千メートル、或いは何万メートル昇っただろうか。遥か上空までいったところで、不意に頂上付近の明かりが増す。

 すると先端部分と思われるところが、幾つにも枝分かれした。

 生じた枝の数は六本。正確に等分されている訳ではなく、かと言って何処を向いているかも分からない。それぞれの枝は高速で、明らかに飛行機よりも速く空を駆け抜け、彼方へと飛んでいく。地平線の先まで一気に伸びているので、数十キロは行っているだろう。

 そしてこの光景は、此処だけのものではないらしい。


「飯海主任! 自衛隊本部より通達! 謎の発光現象を、高火島で確認!」


 自衛隊員の一人がそう報告してきたのだから。

 二つの情報を結び付ければ、全容はぼんやりとだが浮かんでくる。

 此処も高火島も、オドロが自爆した場所だ。ならばオドロが『弾丸』を撃ち込んだであろう、今や全世界百ヶ所以上となったオドロ被害地域でこの発光現象は起きている筈。

 しかしそれが分かったところで、なんだというのか。オドロの目的が如何に壮大かぐらいしか、掴みようがない。


「こ、攻撃! 噴出口を攻撃しろ! 穴を塞ぐんだ! オドロの好きにさせてはならない!」


 このまま見過ごす事は出来ないとばかりに、ようやく自衛隊が攻撃を始める。それが独断か、上層部からの指示かは分からない。

 だがその攻撃が無意味なのは、やる前から分かる。

 撃ち込まれる銃弾と砲弾は、どれも呆気なく光に飲み込まれて天へと昇っていく。周りの土を吹き飛ばして掛けても、その程度の土砂は簡単に巻き上げてしまう。そして噴出する光の勢いは時間と共に弱まるどころか、どんどん強くなっていく。

 ついに、大地が割れ始めた。

 光が噴き出す場所を中心に、地割れがあちこちに広まっていく。割れ目は何キロも……いや、地平線に隠れて見えないだけで恐らく何十キロも……伸びていき、割れた場所からは弱いながらも光が噴き出す。

 無造作に伸びる地割れは、幸恵達がいる場所にまで到達した。


「うわああああああ!?」


「落ち着いて! 慌てちゃ駄目!」


 叫ぶ敦をどうにか宥めつつ、幸恵は周囲を見回す。

 地割れから噴き出す弱い光も、十分な出力があるらしい。戦車を何度も突き上げ、ついにはひっくり返す。その下敷きになった自衛隊員がどうなったかは、言うまでもない。

 ましてや光の直撃を受けた自衛隊員達は、ゴミのように何十メートルも吹っ飛んだ。パラシュートもなしにその高さから落ちた彼等の身体は、果たして原型を留めているのか。幸か不幸か、幸恵含めた誰一人として見に行く余裕はなかった。


「(これが、危険地帯って訳……!?)」


 確かにこんな事が起きている場所にいたら、数え切れないほどの犠牲者が出る。災害の真っ只中にいるようなものだ。

 今からでも此処から逃げ出すのが、生き残る上では賢明だろう。だが逃げ出したら、此処で何が起きるのか、オドロが何をしようとしているのかも分からない。恩師が何故死なねばならなかったのかも、永遠の謎となる。

 科学者として、オドロ研究の第一人者として――――幸恵は此処から逃げる訳にはいかない。


「(地割れは人を狙っていない。だからこれは攻撃じゃない。光は地割れからしか出ていない。油断は出来ないけど、過度に恐れる必要はない!)」


 気持ちを落ち着かせれば、恐怖は僅かに薄れた。落ち着いて見渡せば、危険を察知するのも比較的容易い。

 大地に意識を向けつつも、光の柱を注視する。

 六方向に枝を伸ばしている光の柱は、その勢いを安定させていた。未だ凄まじい轟音と震動を響かせているが、強くなるのは止まっている。地割れの発生・拡大も僅かなものとなり、落ち着いたように見える。

 しかしそれは終わりが迫っているのではなく、次段階への準備が整ったと考えるべきだ。


「(何か、変化がある筈)」


 果たしてその変化は大地か、空か。付近を見渡すように、幸恵は辺りをくるりと一望。

 地平線の彼方に人影を見付ける。


「――――は?」


 あまりにも自然に、当然のように、それはいたものだから。幸恵は一瞬間を空けた後、呆けた声を漏らすのが精いっぱい。

 それは、地平線の彼方にいる。地平線に隠れて下半身が見えないのだから間違いない。

 だというのに、それは天にも届きそうなほど大きく見えた。

 推定される全長は、百メートルや二百メートルなんてものではない。恐らく何十キロ、何百キロにもなる巨大な構造物。それでいてその形は、一応は人型に類するものだろう。つまり胴体があり、腕があって、頭のようなものがあった。

 しかしどう見ても、人間の形ではない。

 凹凸のない胴体、肘も手首も指もない腕、目も鼻もない顔……そしてヘドロを思わせる色合い。全てが人間から程遠く、嫌悪感と恐怖を掻き立てる。

 その巨大な人型が現れた途端、地割れから出ていた弱い光が一気に沈静化。危険が去った事で、他の自衛隊員達も巨大な人型に次々と気付く。尤も、気付いたところで何が出来るというのか。相手は遥か彼方にいて、銃どころかミサイルすら豆鉄砲にもならなそうな大きさだというのに。

 更に巨大な光の柱にも変化が起きた。

 あちこちに伸びている枝が、まるで何かが流れ込むかのように脈動し始める。どくん、どくんと、大きなエネルギーが移動しているのが窺えた。

 更に注意深く観察すれば、枝ごとに動きが違うと分かる。

 具体的には、六本ある枝のうち五本は外から柱の方へと流れ、一本だけ柱から外に向かってエネルギーが流れているようだ。外から集まってくるのは兎も角、柱から流れているエネルギーの行く先は何処か? 自然と、幸恵の視線は流れを追う。

 あまりに遠くまで流れているので、到達点をハッキリと観察する事は出来なかったが……その先には、巨大な人型の姿があった。


「(まさか、エネルギーがあの巨人に集まっている!?)」


 途方もない巨大物体に、戦車すら吹き飛ばす高エネルギーの光が送り込まれていく……そんな光景を目の当たりにして、何も起こらないなんて到底言えない。

 だが何が起きるかなんて、想像も付かない。結局幸恵には、ただ目の前の光景を見る事しか出来ず。

 それでも観察し続けていたから、人型に向かっていく光が一本だけではないと気付けた。幸恵にも見える分だけで、他に三本も伸びている。それらの発信源が何処かは分からないが、行先は巨大な人型の方だ。

 やがて人型は大きく仰け反った。顔らしき部位が天を仰ぐように上を向き、両腕を真っ直ぐ空へと伸ばす。

 指のない手は、先端が丸くなっていたが……何かを『掴む』ように動いた瞬間、眩い光が先から放たれた。

 まるで星のような、いや、恒星のような輝きだ。遥か彼方にいる幸恵達の周囲を照らし、あまりの眩さに直視すら難しい。腕を構え、影を作らねば目が潰れそうだ。

 しかし幸恵は、目を逸らす気にはならない。ここまでの異常事態、何かが起きると確信するには十分過ぎる。

 その予感は的中した。

 眩い光を放つ巨大な人型の両手……その間に黒い『穴』のようなものが生じ始めたのだ。人型は黒い穴に手を突っ込み、抉じ開けようとしている。

 だが人型の巨体を以てしても、穴を広げるのは難しいらしい。身を捩り、身体全体を膨張させ、苦心しているのが遠目にも窺えた。そんなに苦労しているのに、穴は全く広がらない。

 すると巨大な人型に向かう光が、一層太く流れ始める。

 同時に、大地が激しく震え始めた。今度は地割れから光が噴出する事はなかったが……あちこちで大地が陥没、いや、落下していく。自衛隊の戦車や隊員が幾らか巻き込まれ、地下深くに沈んでいった。


「ひぃっ!? ひぃぃっ!」


 敦は恐怖からか、その場に蹲ってしまう。

 幸恵も動かない。だがそれは動いたところで、地面の陥没相手では避け方なんて分からないからだ。どうせ死ぬのならばと開き直り、巨大な人型をじっと見つめ続ける。

 今まで以上に力強い光を受けて、巨大な人型の腕に更なる力がこもる。

 ここでようやく、黒い穴が少しずつ広がり始めた。人型は腕を捩じ込み、抱え込むような体勢で更に穴を広げていく。ついには穴の大きさは人型の肩幅よりも僅かに大きくなり、向こう側がハッキリと見えるようになった。

 見えたところで何も分からないが。

 穴の先は、黒かった。光沢も何もない、夜よりも遥かに暗い領域が、果てもなく続いている。見ているだけで心が揺さぶられ、不安が全身を侵す。今までとは比にならない恐怖が、幸恵の精神を蝕み始めた。

 誰もが息を飲み、中には腰を抜かすようにへたり込む自衛隊員までいる。人間達は誰もが恐怖に支配され、穴を呆然と見つめる事しか出来ない。


【オゴオオオボオオオオオオオオ!】


 だが、人型は違った。

 泡立つような、濁ったような、そして世界を震わすほどの大咆哮。口どころか穴もないのに、巨大な人型は叫び声を発する。

 すると人型の身体が、一瞬震えた。

 次いで、巨大な人型の身体から『何か』が染み出す。何か、という表現なのは、その正体が幸恵には全く分からないため。淡く光り輝いているが、光線のような動きではなく、靄かガスのように揺らめく。だが薄れる事もなく、液体のように一つに纏まっている。

 最初、『何か』は僅かな量が染み出すだけだったが……しばらくすれば、巨大な人型を覆うほどの量が溢れ出す。『何か』はまるで自分の意思を持つかのように、ある方向に向けて動いた。

 向かう先は、人型が抉じ開けた黒い穴だった。

 『何か』はゆったりと……否、人型が全長数十キロの大きさと思えば秒速数キロ程度の速さはあるだろう……黒い穴に入っていく。人型からは絶え間なく『何か』が溢れ、その勢いは加速していく。

 反面、地面から噴き出している光の柱は、段々と勢いが弱まっていた。

 柱と言えるほど激しかった噴出は、あっという間にガス欠のコンロのような、途切れ途切れの噴き出し方になる。或いは最後の『一滴』まで絞り出そうとしているかのよう。


【ボボボボオオオオオオオオオオ!】


 そこまでして送り込まれたエネルギーを受け取る人型は、一際大きな咆哮を上げ――――

 大地から噴き出す光、そして空を駆けていくエネルギーが尽きた瞬間、ぴたりと動きを止めた。

 同じタイミングで、人型の身体から出ていた『何か』は全て黒い穴の中へと入る。次いで穴はほぼ一瞬で閉じてしまった。地面の揺れや地割れも収まる。

 訪れるのは、静寂。

 しかし絵面としては静かなものではなかった。人型の身体が、突如として崩壊を始めたのだから。真っ先に頭が落ち、次に腕が落ち、身体が倒れ始める。

 それは壊れた泥人形のようだった。


「壊れ、て、いく……」


 果たしてそれは誰の声だったのか。人型の崩壊を見て、ぽつりと呟く。

 確かに壊れている。

 ならば巨大な人型は、何かしらの役割を全うしたのだろうか。詳細は何一つ分からない。だが幸恵は一つの可能性に気付く。

 このままでは、自分達は死ぬかも知れない。


「みんな早く逃げて! 山の方に!」


「えっ? せ、先生?」


 先の災害をどうにか生き延びていた敦が、不思議そうにしていた。噴き出す光が止まり、静かになったこの世界で何を恐れる必要があるのかと言わんばかりに。

 生き延びた自衛隊員達も同じような顔をしていた。


「あの巨人が何処にいたか分からないけど、もし海上にいたら不味いわ! 巨体が崩れたら、津波が発生する! いくら山の上とはいえ、窪んでいるカルデラ内部じゃ水が入ってくるかも知れない!」


 彼等の顔が引き攣るのに、一秒と掛からなかったが。


「――――無事な車を探せ! 生存者を全員乗せろ!」


「足りなかったら民間の車でもなんでも良いから使え!」


 周囲は一気にざわめき、生き残るための手段を模索する。

 本当に津波が来るかは分からない。だが来たら、此処が安全とは言えない。

 あの巨体が崩れて起こす津波は、高さ数キロあってもおかしくない。阿蘇山のてっぺんでもなければ、安全なんて到底言えない状況だ。

 無事だった車両が次々と動き出す。幸恵と敦も、近くに置かれていた車に乗った。後はこの車が、津波が来るまでの間に何処まで行けるか次第で自分達の命運が決まる……


「(まるで、自分達が主導権を持ってるみたいな言い方ね)」


 脳裏を過る考えに、幸恵はふっと自嘲した。

 命運が決まるなんて、カッコいいものではない。

 自分達はオドロの為す事に翻弄されていただけであり、そしてなんらかの邪魔さえも出来ていないのだから。

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