チェックメイト
オドロ七号が出現したのは、イタリアの大都市ナポリだった。
狙いはヴェスヴィオ山。二千年近く前に、ポンペイと呼ばれる都市を滅ぼした火山だ。オドロ出現の一報を受けてイタリア軍は直ちに出動……したものの、ヴェスヴィオ山は海沿いにある火山。オドロ七号はあっという間に麓に到達し、軍の攻撃を受ける前に自爆してしまう。
自爆時には大量のヘドロ、そして硫化水素が放出された。突然の出現に加え、軍による避難誘導も不十分。また、ヨーロッパでは(特に一般人が)オドロの出現を他人事と思っていたのか、大きな混乱が生じた。
結果として死者……厳密に言えば現時点では行方不明者だが……四万人という、最悪の被害者を出した。
――――というのが、十二日前の事。
「何もかも終わってる……」
幸恵はすっかり疲弊した顔で、そう独りごちた。今や自室同然の研究施設主任室で、誰も見ていないのを良い事に机に突っ伏す。
悪態を吐いている理由は、人類側があまりにも不甲斐ないため。
オドロは現在十号まで出現している。出現地域は世界各地に及び、八号はフェルナンディナ島、九号はカメルーン山、そして十号は南極メルボルン山を襲撃した。いずれのケースでも軍事的攻撃は失敗に終わり、十号に至っては軍隊なんていない南極故に阻止すら行われず、全て火山付近での自爆を成功させている。
着実にオドロの目論見は進んでいるが、ではそのオドロに対する人類はどうか? 被害を受けた国々では、共同声明を発表している。
しかし具体的な対策は、特にない。
理由は大きく分けて四つある。一つはあまりにも時間がないため。オドロ一号出現から数えても、十号出現までに掛かった時間はたったの二十七日。一ヶ月も経っていない有り様だ。同盟国同士でも、こんな短期間で決められる事など大したものではないだろう。
もう一つは外交関係。オドロは国など関係なく襲撃するが、人間はそうもいかない。戦争状態なら勿論、そうでなくとも仲の悪い国に、貴重な情報を渡したくないのは自然な考えだろう。特に防衛戦突破時のデータは軍事機密であり、潜在的な『敵国』に渡したら将来どうなるか分かったものではない。だから情報の共有はしないか、しても肝心な部分を抜いてしまう。これで十分な対策など出来る訳もない。
三つ目は当事者意識の欠如。オドロが火山を狙っている事は、今やほぼ確定した。つまり火山がない国や地域はまず狙われないという事。またオドロは海から現れるため、内陸部であれば進行ルートにすらならない。このためオドロ対策に消極的な国も多く、全世界が一丸となって、と言うには程遠いのが実情だ。
そして四つ目の、一番大きな要因は――――オドロの事が未だ分からない事だらけだからだろう。
「(そりゃそうなんだけど、でも私らから言わせれば一月で結果出せとか無茶振りでしかないっつーの)」
ある意味この状況の元凶である、研究者の幸恵は頭の中で言い訳をする。
進展自体はしている。例えばオドロ三号爆心地で発見された『蓋』については、発掘と調査が完了した。やはり蓋ではなく巨大な塊で、さながら『弾丸』のような形をしていた。また地中に向けて何かが射出された痕跡と、地下へと続く大穴があったという。
予想通りの証拠だった。つまりオドロは多段構造の弾丸を開発しており、その開発のため複数回の実験を行い、既に海底火山を掌握していると思われる。多少論理の飛躍はあるが、幸恵としては確信に近い手応えを掴んだ。他にもオドロの組成成分、防御機構、耐熱能力……様々な身体的データは揃いつつある。オドロ六号以降身体機能の大幅な変化がなかったのも、研究を進める上で都合が良かった。
そうした情報が、無価値な訳もない。今後のオドロ対策において、極めて重要なデータである。
しかしオドロが火山を狙う目的や、地面に撃ち込んだものの正体は未だ不明。
オドロ対策がどうして人類にとって必要か、対策しなければどうなるか、幸恵達研究チームは何一つ説明出来ない。幸恵自身「このままオドロの好きにさせていいのか」ぐらいの感覚なのだ。
人類というのは、気候変動や生物多様性など、このままでは不味いと科学的に説明された事柄にすら一致団結出来ない種族だ。何も説明出来ないオドロと全員が向き合うなど、残念ながらあり得ない。
「(……まぁ、仮に一致団結したところで勝ち目はないと思うんだけど)」
幸恵の予測では、オドロは既に海底火山を掌握している。いわば原爆数百万発分のエネルギー施設を確保しているようなものであり、その膨大なエネルギーを戦闘に転換すれば人類を瞬く間に殲滅出来るだろう。
石器時代の人類が束になったところで、現代のアメリカ軍には手も足も出ない。オドロと人類の力量差は、確保したエネルギー量だけで見ればそのぐらい開いていると考えるべきだ。どう考えても勝ち目なんてない。
一つ希望があるとすれば、恐らくオドロは人類を『敵』と認識していない。もし滅ぼすべき敵と考えていたら、もっと積極的に人類を攻撃しているだろう。例えば大きな火山を二〜三噴火させれば、農業に打撃を与え、人類の数割を飢餓に陥らせる事が可能な筈。それをしないのだから、オドロ側は人間を「どうでもいい」存在ぐらいにしか考えていないのではないか。
それなら存在を認知させ、対話に持ち込めば事態を解決出来るのではないか。オドロに高い知能があれば、多少のコミュニケーションは取れる可能性がある。上手くいけば、オドロ被害を止められるかも知れない。
……だがこの方法を採択するには、オドロに『敵』と思われない事が重要だ。
タイミングが悪い事に、日本含めた幾つかの先進国がオドロの発生地と思われる海底に対して攻撃する作戦を立案中との話が出てきた。オドロ被害の拡大を受け、予防のための大規模攻撃だという。具体的には無酸素環境の海底に核攻撃を行い、徹底的に破壊する。
大規模攻撃派と呼ばれている思想だ。
補足すると、これは主流の考えではない。海は途方もなく広大で、無酸素環境に限定しても満遍なく核攻撃出来るような狭さではなく、現実味がないからだ。失敗すれば人類の攻撃性をオドロに見せ付け、敵と認識される可能性を引き上げるだけ。仮に成功しても海底環境を破壊したら、今後の地球環境がどうなるか分からない。最悪漁獲資源が壊滅し、食糧源を失った人類を危機に追い込む可能性がある。今この瞬間オドロを倒しても、百年後に人類が滅びたら無意味どころか害悪だろう。
大半の人々はそれを理解している。だがそんな案が表に出てくるぐらい、政府や一般人のオドロに対する不安は大きくやっている。安心と安全は別物。このまま不安が大きくなれば、人類は安全よりも安心を選ぶのではないか。
そういった懸念もあって、幸恵は昨日、ついにそのオドロを生み出した存在――――『海底人』がいる可能性を、日本政府に報告した。知的存在がいれば核攻撃を思い留まるのではないかと期待しての、仮説段階での提唱だった。
この話は日本だけでなく米国や韓国にも伝わっている。向こうがどのように受け取ったかは分からないが、少しでも大規模攻撃派への牽制になれば良いが……
「(下手すると、むしろ攻撃対象を見付けたとなって勢い付くかも)」
賛同こそしないが、大規模攻撃派の考えも理解出来なくもない。世界全体で何十万もの犠牲者を出したオドロ、そのオドロの作り手になんの打撃も与えずに対話するというのは、降伏も同然ではないか。
いや、もしもオドロと交渉出来たとしても、相手の要求次第では本当に降伏を要求されるかも知れない。人間同士の戦争でも、ある程度の力がなければ和平交渉は上手くいかないもの。和平よりも滅ぼす方が楽なら、殺戮が止まる理由なんてないのだから。完全な隷属や滅亡を避けるため、力を示すのは一つの戦略ではある。
ただしそれは、オドロと人間側の力量差がある程度近い時に成り立つものだ。
幸恵は海底人について日本政府に伝えた時、彼等が海底火山を掌握している可能性も伝えた。火山が如何に強大なエネルギーであり、それを支配する海底人がどれだけ強大であるかも。ここまで力の差があるのだから、迂闊な攻撃は逆効果になる可能性が高い。野蛮な猿が町で親子連れを殴り殺した時、人類はその猿にどこまで優しく出来るだろうか?
しかし人類は、どうにも自分の力を過信する傾向がある。どんな困難も乗り越えられる、どんな難敵も打ち倒せる、自分達の存在は誰にとっても尊いものである、この星の支配者は自分達のものである……
何一つ根拠のない思い込みだ。そんな思い込みをしている人類が、自分よりも強大な存在を認められるとは思えない。
「(ましてやそれがヘドロの塊とかなら、どうなるのかしら)」
オドロの作り手がどんな存在かは分からない。だが魚やカニ、ヘドロと交渉すると言って、顔を顰めない人間はいるだろうか。同種相手にすら、人種や性別だけで見下すというのに。
もしもそんなくだらない差別意識で、オドロへの対応を誤ったなら――――
……あまりにも考えがナイーブになっていると、幸恵も自覚する。仮に人間が愚かでも、オドロが賢いとは限らない。なのに今のは一方的に人間を貶める考え方だった。
そんな気分になるのも、今日が十一号の出現予測日だからか。相変わらず何処に現れるかは分からない。だがもしも襲撃ルート上に原発などの重要施設があり、それが破壊されようものなら、オドロには世界的な敵意が集まるだろう。その敵意は間違いなく人類の対応を誤らせる。
今日は何が起きるのか。人類は、まだオドロに正しく対応出来るのか。
「せ、せん、先生! 大変です!」
部屋に飛び込んできた敦の慌てぶりから、またも予想を超えた最悪が起きたのだと察した。
「……オドロ十一号が現れたのかしら? 落ち着いて報告を――――」
「じゅ、十一号じゃありません! な、七十九号です!」
「……………ななじゅう、きゅう?」
ポカンと、幸恵は呆けてしまう。
あれだけ散々人類を馬鹿にしていた幸恵だが、今になって思い至る。自分も所詮人類の一体に過ぎないのだと。
「世界各地で、突然オドロが大量出現したんです! 現時点で七十九号まで確認! 全世界に同時攻撃が仕掛けられています! これだってテレビの速報で、まだ増えるかも知れません!」
真に合理的であるなら、敦のとても分かりやすい報告が理解出来ない訳がないのだから。
言葉の一つ一つを理解するのに、幸恵は多くの時間を使わねばならなかった。何秒か呆然として、ようやく我を取り戻したのと同時に顔を青くする。
「……しまった! オドロ側が準備を終えたのか……!」
推測するに、これまで地上に出現していた十体のオドロは『試作機』。
思い返せば、米国に上陸した六号以降、オドロの身体機能に大きな変化はなかった。
恐らく、地上及び人類への適応がこれ以上必要なかったからだ。核兵器を攻略された人類に、核を上回る対抗策は今まで繰り出せていない。世界各地に上陸し、オドロは核攻撃以上の対策が出ない事を確認。今後の行動に支障はないと判断し、全世界同時進行を行ったのだろう。
極めて合理的で、そして知的な作戦だ。間違いなくオドロの『製造者』は、なんらかの合理的知性を有している。
海底人の存在を示す、状況証拠がまた一つ積み上がる。しかし今重視すべきは、ほぼ確信している情報の確度なんかではない。
「……被害状況は?」
「わ、分かりません! どの国も対応に手いっぱい、というか自分の国に何体オドロがいるのかすら分かってないんですよ!? 日本にも来たって話ですけど、北海道とか富士山とか、色んな話が行き交ってて……!」
尋ねられた敦は軽いパニックに陥っている。確かにオドロの『大攻勢』が起きたと聞けば、混乱するのは仕方ない。自分が巻き込まれる可能性も十分にあり、恐怖心が心を掻き乱すだろう。
だからこそ冷静さと知識が大事だ。
「落ち着いて。確かに大群だけど、オドロは火山を狙う筈。そして私達がいる此処、阿蘇山近辺は既に三号が上陸済み。仮に奴等の狙いが火山を制御下に置く事なら、もう此処にオドロは来ない筈よ」
「えぁ、え、あ、そ、そう、か。もう火山を手にしたなら、また来る意味は、なくて……はへ」
へなへなと、敦は腰砕けになったしまう。
オドロに襲われないと理解し、安堵したようだ。
「(でも、それは世界中の人々が感じている不安。そして此処と違って、大多数の火山は例外とはならない)」
世界中に火山は存在し、未だ大部分がオドロに狙われていない。此処は安全だと言える地域の方が少ないのだ。
それに、オドロが火山掌握を狙っている、というのはあくまで幸恵の憶測である。もしかすると最終目的は全人類の抹殺で、今はその作戦が進行中なのかも知れない。
尤も、それならそうで逃げる意味はないだろう。自分達の数万倍、いや、掌握した火山の数を思えば数億倍のエネルギーを誇る相手に何が出来るというのか。
なんにせよ、ここであれこれ考えても真実には近付けない。まずは日本国政府、そして自衛隊との連携が必要だろう。せめて日本国内でのオドロ出現状況を把握しなければならない。
「とりあえず、会議室に行きましょう。麻原くんはみんなを集め」
「主任! 大変です!」
行動を指示しようとしたところ、誰かが部屋に飛び込んできた。
大変なのは既に知っている。やってきた人も混乱の極みかと思いながら、幸恵は来訪者が誰か確かめた。
賢治だった。
――――理解した瞬間、違和感が頭を埋め尽くした。
彼は人間など心底興味がない、微生物オタク。オドロが大量出現したところで、それで世界がどうなったって、彼が慌てふためく筈がない。
一体どんなトラブルがあったのか。心臓がきゅっと引き締まるように感じる中、幸恵は賢治の言葉に耳を傾ける。
「オドロとの会話に成功しました! 彼等と話が出来ます!」
そして予想の斜め上どころでない言葉に、いよいよ腰が抜けてへたり込んでしまった。




