call of depth ~漁村にまつわる人魚伝説~
クトゥルフ神話を題材にしたお話ですが、ラブクラフトやダーレスのような作風を期待せずにお読みください。
取材に来たという怪しげな若者が小さな港町を訪れた。
北陸にある小さな、寂れた漁港と市場がある港町。
なんでもSNSに奇妙な話で盛り上がるサイトがあり、そこでこの港町で聞いたという奇妙な昔話の話題が出たのだとか。
「それで、それがどんなものなのか、ぜひ直接お話を伺いたいと思いまして」
その若者──若いといっても、四十代手前の男だった──は、漁港で働いている中年漁師に声をかけた。
「あぁ、その話だったら──小杉林さんに聞くんだな」
延縄の修繕をしながら男はめんどうくさそうに言った。
取材に来た若者は車田というルポライターだった。彼の最近の仕事は、一般誌が取り上げないようなカルトな話題をブログに上げ収益を得ることが多かった。あくまで副業だが、そこそこいい利益が出るらしい。
「ありがとうございます」
小杉林さんを紹介してくれるというので、彼はその漁師が電話をかけてくれるのを待ち、会って話をする許可を得ると、さっそく小杉林さんの家に向かった。
小杉林さんの家はかなり大きな古い平屋建ての一軒家で、漁港からも離れた山の麓にあった。
小杉林さんは九十を超えた年齢であったが、現在も自分の足で立ち、近所を散歩するくらいの健康な老人であった。
頭のほうは多少ぼけ気味ではあったが、弁は立つと評判らしい。
大きな家の中には家政婦のおばさんが一人いて、彼女は車田にお茶を出すと、部屋から出て行った。
「あの話か……」
車田はお茶を飲むやいなや、さっそく本題に入った。老人のほうも若者がわざわざ足を運んで、こんな僻地まで来たことを思い、覚えているすべてを話してやろうという気になっていた。
「わしも人づてに聞いた話だが。ここからさらに北に行ったところに、小さな漁村があったらしい。漁村はせいぜい四世帯、全部で十数人くらいの小さな漁村だったそうだ。
戦後間もないころ、そこでは爆薬を使って漁をすることもあってな。──おぅ、海に出ていって、舟からダイナマイトを落として海中で爆発させ、それで気絶して浮いてきた魚を穫るんだ」
爆薬で漁をするなんて聞いたことがなかった車田に、老人は得意そうに話してくれた。
それは小杉林が二十歳くらいのころだと言う。
「ある日、海に出ていつものようにダイナマイトを爆発させて漁をしとった。漁師の名前? なんと言ったか……、たぶん何崎とか、そんな名前だった──ああいや、波崎だったと思う。
その波崎という漁師がダイナマイトを海に放って、爆発したあとに浮いてきた魚を穫っていると、見慣れぬ細長い魚が浮いてきたと思って、それをたも網で引き寄せると……」
なんとそれは、人間の腕のような物だったという。
「形こそ人間の腕のようだったと。肘があり、手には五本の指があったそうだ。しかし人間の物とは違って、肌には青緑色の鱗があり、指の間には水掻きがついていたんだと」
そこまで話すと老人は、ぬるくなったお茶を口にした。
波崎という漁師はその腕を持ち帰り、村のみんなに見せて回ったらしい。
そこで村の外からやって来て漁師となった者が「人魚の伝説」について話した。
人魚の肉を食べると不老不死になるというあれだ。
「そのときはだれもその腕が人魚の物とは思わなかったそうだ。波崎は腕を捨てるかどうか迷ったすえ、翌日にでも町のほうに出向いて、役所の人間から大学に送ってもらおうと考えたらしい」
しかし──問題は次の日に起きた。
「翌日、波崎が氷室の中にしまった人魚の腕を見に行くと、腕が無くなっていたそうだ。波崎はだれが腕を持ち去ったのかと村人を問い詰めたが、だれも自白しなかった」
波崎は村のだれかが人魚の肉を食べたと疑っていたらしい。漁村でのこの話は数日後に町を訪れた村人によって語られると、町内新聞にこのことが取り上げられた。
しかし小さな漁村で起きたことだ。だれもその話を信じなかったし、腕だというそれも、たまたまそのような形に裂けてしまった魚の死骸だったんだろう、といった結論で収まってしまった。
人魚の腕が無くなってから数日後。
漁村に住んでいた住人の二人が行方不明になった。
それは初めに腕らしい物を見たとき、これは人魚の物ではないかと言った、村の外からやって来た夫妻だった。
彼らは舟で沖まで出たのではと思われたが、舟は陸に上げられたまま残されていた。
家の中を調べたが、家の中が荒らされた様子はなく、町から調査に来た警察も事件性はないと判断し、いちおう村と町で聞き込みをして、行方不明になった夫妻を捜すことになった。
それから数日後。
また漁村から人が消えた。
姿を消したのは波崎だった。
しかし今回は明らかに異常な点があった。
一人暮らしの波崎が夜のうちに姿を消した。
朝方に家を訪れた近所の仲間が、鍵のかかっていない玄関から家の中に入ると、六畳ほどの部屋の一部が赤黒く染まっていた。──それは血痕だった。
大量の血液が流れたというわけではなかったらしく、居間から庭へとつづく戸が開放されて、その血痕は庭を通って点々と道の上に残されていた。それが海にまでつづいていたという。
「この事件を皮切りに、漁村から次々に住民が姿を消した。人がいなくなるペースが数日から翌日に変わり、何者かの襲撃を恐れた二人の人間が漁村を去って町までやって来た。
もちろん警察も殺人を疑って家を調べたり、海の中を捜索したが、犯人はもちろんのこと、遺体すら発見できなかった」
「それで、その漁村から逃げて来た人たちは?」
車田が尋ねると小杉林さんは「う──ん」と声をもらし、悩んでいるようだった。
「その二人はかなり怖がっていたそうで、町の警察が事情聴取をすると、彼らはこう言ったそうだ。──『海から何かがやってくる』と」
車田は小杉林の話を聞くと、町にある小さな宿に泊まった。幸いここにはネット環境があり、車田は今日見聞きしたことをブログに上げた。
「明日、いまは存在しない漁村のあった場所に行ってみます」
彼は記事の最後にそう書き残していた。
* * * * *
それから数ヶ月が経過したが、車田がブログを更新することはなくなっていた。
「漁村のあった場所に行ってみます」
そう言葉を残したまま忽然と消えてしまった彼。
怪談や民間伝承で盛り上がるサイトでは、この話題で持ち切りになっていた。
消えた車田はどこへ行ったのか?
「海から何かがやってくる」
老人が話したという記事の一文から、ネット上ではその「何か」によって車田は行方不明になったのだと、まことしやかにささやかれている……
タイトルから判断すると、「海からやってくる何か」は「深きもの」を想像するでしょうか。
今回もまた『暗渠にひそむもの』と同じく、正体がはっきりとわからない書き方をしました。──わざとです(笑)
なんで村人が消えていったのか、そこに想像する余地を与えるため、描写はあえて削りました。
最初の失踪者とその後の失踪者の状況の違いについて考えると、ある可能性についても想像できるかもしれません。