知られる立場
「マサ漢字覚えた?」
「目は通したよ」
お前それで満点だもんな。青ペンで最低三回は書かないと俺は覚えられん。マジで効率的な覚え方知りたい。書き続けてるとゲシュタルト崩壊するし。
「もうすぐ夏休みだけどはーちゃん予定あるの?」
「特にないな。シーズンじゃないからほぼ寝てるんじゃね」
「オ〇ニーにシーズンつけないで」
いやあるから。オ〇ニーにシーズンあるから。トイレ派の俺にとっては夏とか汗すごくなるから。あれはもうサウナと言っても過言じゃない。そもそも冷房ついてても勃たないし。その分秋からはシーズンになるので比較的活動的になるのも事実。
「しかも俺委員会も部活も所属してないし」
「部活はまだしも委員会ってあるの?この前の放送委員の集まりでそんな連絡なかったよ」
「なんだっけ、忘れたけど学校の整備のためにどっかの委員会は登校するらしいぞ。ほら、夏になると中学生が学校見学にくるだろ?そのためらしい」
「なるほどね」
生徒会がメインでそれの補助する感じなのだろう。てかその委員会に積極的に所属するやつとかいるのだろうか。一年はまだしも、二年、三年生でそうならもはや奴隷根性があるぞソイツ。
にしても夏休みか。生活習慣を崩さないようにある程度動かないとな。運動は嫌いじゃないし何なら中学時代はバスケ部だった影響もあって今でも公園のコートに行くほどだ。左手は添えるだけ。
「そっかー。じゃあ遊びに行こう。ここはダメって日は遠慮なく連絡してね」
「モチ。学校めんどくせー」
「朝から通学路で弱音はかないでよ…」
*
「朝から死にそうな顔してるのね」
そうなんですよ御越後さん。疲れてるんで話かけないでもらえると嬉しいです。お互いに平和にいきましょう。御越椙平和条約が今ここに締結されたました。
「…無視?」
「おはよう御越後」
「うん。おはよう」
条約なんてなかった。あったのは宣戦布告でした。無条件降伏で穏便にお願いします。
廊下から三列目の一番後ろの席に座ること数分。ホームルームの時間に移り、平井ちゃんの話に入る。内容は普段と特段変わりはなく強いて言えば最近自転車のクレームが入ったという情報くらいだろうか。
あっという間に四限も終わり昼休みに入る。前日に勉強してたおかげで漢字のテストもそこそこ解けた。前の席である匡季の様子を見るに彼も大丈夫らしい。
「はーちゃん漢字テストどうだった?」
「多分再試は回避した」
「平井ちゃんも三十問あるのに合格がミス五個以下じゃないとって中々鬼畜だよね」
「範囲も範囲だしな」
弁当を食べながら次の授業の確認をする。マサはどうやら家が忙しかったらしくカップ麺を持ってきていた。スープジャーに溜めたといたお湯をカップ麺に注ぐって発想すごいよな。洗い物も楽だろうし。ただ匂いだけでも飯テロなので二度としないで欲しい。
捨ててはいけないため、汁を頑張って飲んでいるマサを尻目に食い終わった弁当をしまっていると廊下で御越後に話かけている男子が見えた。誰かわからない、他のクラスだろう。
「俺、隣のCクラスの斉藤健司っていいます。あの…急だと思うんですけど夏休み空いてますか?クラスも違うんでこういう機械じゃないと関われない気がして…」
聞いてる限りだと至極真っ当な誘い文句だな。夏休みに思い出を作るというのは御越後を狙う立場に立つなら大きなアドバンテージとなる。今後のフラグも立ちやすくなるしな。
ま、関係ないことだ。俺もコイツも野次馬になってしまう人間だからな。あまり他人のこういった関係には首を突っ込まないようにしている。馬鹿にするだけして、終わった後に慰めるクズにだけはなりたくない。
「ゴフッ…」
「ちょ…おま、頑張れ。絶対吹くんじゃねえぞ…」
カップ麺の汁必死に飲むコイツ面白過ぎるだろ。何でその量の汁一気飲みしようとしてんだよ。無茶すんな。
飲み終わって一息つく間もなくペットボトル一本を全てがぶ飲みするマサに若干引きつつ、バックから財布を取り出す。無断で立ち上がるマサと黒板側のドアから教室を離れ、まだ話している二人を尻目に購買へ向かう。
「はーちゃん男子の方知ってる?」
「他クラスの男子を知ってるわけないだろ」
「それもそうだね」
投入口にお金をいれつつどれにするか迷う俺に対してすぐさまブラックコーヒーを選び又も一気飲みする匡季。お前すごいな。いつか胃を壊すぞ。これないと寝ちゃうんだよねじゃねえよ。
とかいいつつ俺も甘いとはいえ缶コーヒーを買って教室に戻る。そこには窓際一番後ろに座る不機嫌な御越後がいた。触らぬ神に祟りなし、絶対に話かけないようにしよう。状況から察するに、御越後の堪忍袋の緒が切れる限界までアタックしたのだろう。机の上に開口していない買ったコーヒーを置き、そっぽを向く。
缶コーヒーの冷たさを感じているのも束の間、俺らに気付いた御越後がこっちに向かってきた。そのまま俺の手から缶コーヒーを奪い取り一気飲みする。…あの、それ俺のなんですけど、結構好きな銘柄なんですけどそれ。
「…無視?」
「お前無茶苦茶だぞ」
「いいから、他に何か訊くことないの?」
いやねえよ。興味ねえよ。コーヒー返せよ。
そんなに不満をこぼしたいのかコイツ。よっぽどあの男子がウザかったんだろうな。仕方がないので片手で頬杖を机につきながら顔を彼女の方へ向ける。
「…結局夏休みに遊ぶ約束はしたのか?」
「してない…けど」
けど?なんかやらかしたのか?
「妥協してもらうためにアカウントを、教えちゃったのよ…予定空いてたらDMするって理由で」
「……ディーエムって何?」
「ダイレクトメッセージの略だよはーちゃん。要するに連絡先を教えちゃったってこと」
いや聞いたところで後者しかわからん。ダイイングメッセージじゃなくて?
いまいちピンと来ていない俺の様子に二人とも呆れたのかため息をつかれた。知らないんだから仕方がないだろ。
「この話の問題点はねはーちゃん、アカウントを教えちゃったってところなんだよ。君の言う最近のアプリはね、友達から他人の情報を無断で知れたり、フォローできちゃうことなんだ。勿論君がやっているように鍵アカウントにすることもできるけど」
鍵アカウントにできるなら問題ないだろ。そんな顔をする俺にマサは再びため息をつく。やめてそんな目で見ないで。悪かった、俺が悪かったから。
「いいかいはーちゃん。この世の中そんなにSNSを舐めちゃいけない。たとえ画面上では拒否できても直接求められたら?直接なら許可してくれるって誰かが広めたら?アカウントを知られるってのはそういうこと。御越後さんは君も見た通り列ができるほどの人気だ。どうなるか想像は容易いだろう?」
また騒がしくなる、ってことかなるほど。おまけにブロックすれば相手にバレて更に面倒くさいことに。このことはマサに気を付けてって言われたことがあるから知っている。
「え、んじゃどうするの?積みじゃん。御越後の夏休み終わりじゃん」
「だから、葉津祈に相談してるのよ」
え、相談?コーヒー盗んで状況報告しただけが相談?無理があるだろそれは。ていうかSNS事情で俺に相談するの、人違いも甚だしいだろ。
「いや、相談つってもな…俺にやれることないし…。お前の問題なんだから自分で解決しろ」
「…そうよね。いいわ。こっちで解決はちゃんとする。だから、その…愚痴だけ聞いて」
…さりげなく面倒役を押し付けたなコイツ。まあ適当に流せばいいか。たまに面白いヤバめの話もくるかもしれないし暇つぶしににもなるだろう。
しかしそれらを差し引いてもやけに素直だな。コーヒーの糖分の効果がでてきたのだろうか。
「それで、葉津祈は夏休みの予定なにかあるの?」
「ある。バリバリある」
絶対コイツとは約束せん。厄介事に巻き込まれる予感しかしない。御越後の目をしっかり見て伝える。見よ、この嘘偽りなきこの瞳を。
見つめること数秒、なんだか恥ずかしくなってきた。元凶俺だけど。
「匡季君。本当は?」
「ないよ。バリバリない」
「それなら遊べるわね。また連絡するから」
唖然としている俺に気にすることなく自分の席に戻っていく彼女にドン引きしたが、チャイムが鳴りクラスメイト全員が席に座る様子を見てもう何も考えないようにした。
そのまま何も頭に入らず、あっという間に放課後に入る。帰宅の準備をし終えた後、マサを先の件で軽く怒りつつ、他愛のない会話をしながら帰路につく。駅も同じかつ互いの家も五分歩く距離くらいしか遠くないので案外楽しい移動時間だ。朝は互いに忙しいかもしれないという理由で会ったら行くということになっている。
電車に乗ると車内の様子を見て思うことがあった。
「SNSって難しいんだな。度々説明される話がこうも身近になるとは」
「急にどうしたのって…御越後さんの件ね。君は知らなすぎもあるけど、結構聞く話だよ。むしろあれよりレベル高い話なんていっぱいあるし」
車内は勿論、学生はスマホをいじる人がほとんどだし、あの中にもそういった体験をした人間も少なくないということか。そういった意味ではあまりSNSでリアルの関係値を深めようとする人間性ではなくて良かったと思った。
*
マサと別れ家に帰り、風呂を済ませた後、部屋に入るとすでに妹がいた。
「兄貴お帰り。漫画借りてるわ」
ベットに寝っ転がり、イヤホンを付ける前に彼女に訊いてみたい疑問が浮かんだ。レベルの高い話とは具体的にどこまでなのだろうか。俺よりも圧倒的にSNSで関係値を深めている彼女は知ってると考えた。
「…なあ、お前って一日に何人くらいと…で、ディーエムするんだ?」
「え、何急に。兄貴キモいぞ」
「うっせ。知り合いがちょっとトラブってな」
どうもアカウントがなんちゃらって話を妹にすると、ちょっと待ってと、急に目つきが変わり漫画に再び集中した。いいよね『蟲師』。それも親父のだけど。
読み終わった後は椅子を半回転し、俺の方に向いた。目つきはそのまま、真剣だったのを見て俺もベットの上とはいえ、起き上がって胡坐をかいた。
「それでつまり、兄貴はどんな問題が起きるかってことを私の周囲含めた体験談を交えながら聞きたいと。そういうことでいい?」
頷く俺に対して目を閉じながら、椅子を回転させ続ける妹。きっと中にはセンシティブな話もあるはずだ。実の兄とはいえ、俺がそれを話すに信用できるかどうか判断しているのだろう。間違ってはいない。それは俺にだって言えることだ。例えば昨日のオカズとか。
悩むこと数秒。彼女は口を開いた。
「疎い兄貴はさ、”裏アカ”って単語は知らないと思うんだけど」
すまんが知ってる何回もそのネタ使った。え?裏垢って単語知ってるならある程度の連想はできるだろって?現実と妄想を混ぜちゃダメだろ。
「それって身近な人に知られたくない行動、例えば悪口を書き込むとかに使うのよ。数多のアカウントの中から自分のは見つからないっていう信頼で鍵もかけずにね」
「でも案外バレるんだろ?」
頷く彼女はこう続ける。それは知られた者にとってある種の脅しになると。でも、本人に決してわからにように広めていじめの原因にすることもできる。それを彼女は現代の村八分と例えた。
椅子を回転させながら妹は話を続けた。
「私の学年に男子から必要に迫られている可愛い女子がいたの。でも限界に達した彼女は彼の裏アカウントを脅しの材料に使った。確かにそこには悪口や痛い投稿があったらしいよ」
それを暴露されたくないなら、今後一切関わってこないこと。それが女の子がだした条件らしい。一時はそれで済まされたがその後が問題だった。
一方でも納得していない恋愛話は湾曲する。それが妹の持論なのだが、結果としてこの話はその通りになった。
男の子側の強がりによって流されたデマ。誇張を加速させた野次馬共。皮肉なことに、情報を手に入れた女の子側が村八分を受けるようになってしまった。
「こんな感じかな。私の周りで起きたトラブルって」
「…結局、その女の子はどうなったんだ?」
俺の質問に対して、彼女は椅子を再び回転させ、机の上に置いてあった漫画を棚に戻しながら回答をした。
その答えは、俺の頭の中で奇しくも御越後を彷彿とさせた。