第三章 神の紙一重
第三章 神の紙一重
一
「誠くん。タリタスの消滅にタリタスの意思は関係ない。タリタス同士が出会うとどちらか一方のタリタスが消滅するという定めなんだから」
私は笑う。
この笑みは数百年前に千寿王という禅僧のタリタスを葬り去った時と同じだと感じる。私はまだ笑えるけど消滅したら誠以外誰からの記憶からも消える。しかしそれでもよかった。私は長く生き過ぎた。もはやこの世界には何の未練もない。仮に輪廻転生があったとしてもなかったとしてもどちらもでもいい。誠くんに全てを任せて私は消えて行ける。
「私は消えるよ。坂本くん」
聖スサク大付属病院にある入院患者が暮らす病棟の個室で私は坂本医師に向かってそう言う。坂本医師は老化を研究する専門家であり私や誠くんの主治医でもある。この人はタリタスという存在を知っているし私という人間にとても興味を持っている。
「君が消えると…」坂本医師は告げる。「君という存在は無かったことになるという話だったね。それじゃ私の研究も無かったことになるのかな?」
それを受け私は答える。
「うん。そうだね。無かったことになるよ。この世界には何人かまだタリタスが存在しているけれどそれで全く老化や不老不死に関する進化が見られないのはタリタスが死ぬと存在ごと消滅するからだと思う。今までそのタリタスに関わっていた人間たちの記憶から完全に消えてしまうからいくら研究しても意味ないと思うよ」
「全くその通りだ。しかし消滅しなくてもタリタスの謎や不老不死の仕組みは解き明かせないだろう。君たちのようなタリタスは確かに存在している。しかしその仕組みは全く判らない。科学的になぜ老化せず不死なのか全く判らないのだから」
「私がいなくなったら誠くんを研究するの?」
「それが私の役目だからね。君たちを分析しその仕組みが判れば医学というものは飛躍的に進化する。君たちタリタスがお互いの存在を消し合う役目があるように、私には君たちという存在を解き明かす義務があるのだよ」
「無駄だと思うけど、ねぇ坂本くん、どうしてタリタスがこの世界にいるのだと思う?」
「さぁ判らない。神の悪戯としか思えないかな」
「私たちはきっと人間のように見えて人間じゃないんだよ。もしかすると宇宙からやってきたのかもしれないし神様が人間に似せて作った全く別の生命体なのかもしれない」
「でも君には過去産んでくれた両親がいたのだろう?兄弟だっていたんじゃないのかな??」
「確かにね。私が生まれたのはもう八〇〇年以上も昔の話だから両親や兄弟とかそんなに覚えていないかな。でも二十歳の体から変化がないというのは恐らく二十歳の時に何かあったのだと思うけど。私は人間ではない何かによってこんな体に作り変えられたのだと考えているよ」
「宇宙人の仕業か…しかし宇宙人なんているのかね。フェルミのパラドックスってあるだろう?」
「確かにあるけど存在の証拠を人間の知識では理解できないという考えもあるよね」
「すべては謎のままだ。君を拘束しようとしても無駄なんだろう?」
「そう。無駄だよ。タリタスは同じ場所に二人存在できない。どちらかが消える必要があるからね。今回は私が消える。遥か昔千寿王という禅僧のタリタスを葬ったように」
「ならば私は何も言わないよ。君が消えてもまだ誠くんがいる。同時にこれは精神転送を実現するための技術になるかもしれないからね」
そこに行き着くか…
私は病室の窓から夜空を見上げる。ここは大都会東京であり田舎のように星空が見えるわけではない。しかし今日の夜空はとても綺麗で宇宙から見た蒼き地球のような神々しい輝きがあった。
坂本医師が消えると残された私は行動に移る。ここに誠くんを呼ぶのだ。それが私にはできるししなければならない。なぜなら私は消える必要があるから。
四〇〇年前千寿王が私をコントロールし消滅の道に誘ったように消えるタリタスはもう片方の生き残るタリタスをコントロールできる。これは精神転送の考え方に近いと私は感じている。私たちタリタスは人間の心を人間に似せた人工物に転送され作られているのだろう。誰が何のためにこんなことを仕組んだのか判らない。しかし確かに私たちタリタスは心だけがありその心を収納しておくための筺が別物なのだ。だからこそ同じタリタスを自在にコントロールできる。
二
私は病棟を出て空中庭園のような中庭に出る。するとそこには私がコントロールしここに呼んだ誠くんがすでにベンチに座っていた。
「誠くん。よく来たね」と私。すると誠くんは「どうしてこんなことに?僕はここに来る気などなかったのに」「それは君の役目が私を消滅させることだからだよ。私たちタリタスは人間の心を持った人間ではない特殊な何か?君も私も歳を取らなくなったある地点から人間ではなくなったんだよ」「嘘だ!僕は人間だ!!」「今は判らなくてもいい。君はこれから数百年と生きるのだからその内答えは判るよ。同時に答えが判った時新しいタリタスが生まれると思う。そうしたら君が消滅する番だよ」「僕らは何者なんですか?僕は一体何のために生まれてきたんですか?」「私が言えるのは私たちはコンピュータ内のバーチャル空間に再現された転送された心だけの生命体。歳を取らなくなったある地点で人間から作り変えられたの。心だけの存在だから消滅する時は何も残らない。人間とは違う生命体だから人間たちの脳の記憶の中には残らないってわけ。残るのはタリタスの心の中だけ」「僕らは宇宙人なんですか?」「そうかもしれない…そうじゃないかもしれない。でもね人間もタリタスも実はそんなに変わらないのかもしれないよ。人間は死んでも残された人たちの記憶に残るし『霊魂』や『輪廻転生』という宗教的な考え方もある。つまり人間は肉体は滅ぶけど心は残る。私たちたちタリタスは肉体は滅ばないけど心は消える。全てが神一重でできている。紙一重の『紙』という文字を『神』としたのは神様の悪戯のような感じがするからさ。話が長くなったけど君は生き続ける。新たなタリタスが現れるその日までね。私を殺せば、君はきっと自分がタリタスになった理由が判ると思う。私もそうだった。タリタスが死なない理由を知るには、悟りによって達観するか、タリタスを葬り去るしか方法がないの。さて話は終わり。さようなら誠くん。元気でね」
私の意識はここで途絶える。きっとタリタスという特殊な生命体の記憶を除いて全ての人間たちの記憶から完全に消えるのだろう。
不滅の霊魂は存在するかもしれないけど死んだ時に人間の記憶とか人格が全て消えてしまうようなタリタスみたいな存在が人間だったらそれはものすごく悲しいことだと思う。人は肉体が滅んでも生き残った人間たちの記憶に残るからこそ尊いのだろう。永遠に生きられたとしても人々の記憶から消えてしまったらそれはとても寂しい。でもそれが永遠に生きるというタリタスの宿命であり呪縛なのかもしれない…
私は遠い昔死にかけたことがった。あれは確かまだ歳をとっていた二十歳の頃だった思う。盗賊に襲われ死を覚悟し同時に強く生を願ったのだ。この記憶を私は千寿王を葬ってから思い出した。懐かしい記憶。これを思い出してから長い年月が経ったけど私はいよいよ消える。それでいい。消滅こそ私の最後に相応しいのだから…