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   二

 年度末試験の結果が出る日。

 結果は試験翌日には発表される。結果は学年ごとに点数の上位十名が発表され、それ以下は点数だけが本人に知らされる。

 場所は食堂と談話室が一緒になった(トラペリア)。そこには校内の連絡事項が映し出される半透明の(サニダ)が壁に何枚も取り付けられている。この(サニダ)もコーツ独自のもので生徒へのお知らせが映される。  

 結果が映された(サニダ)の前は人の山。四年から一年へ順に映されていく。留年生のユーリーと一年のランスの勝負を聞いた生徒が面白半分で見ている。

 結果は四年の一位はユーリー、点数九百九十九点。一年の一位はランス、点数千点。

 「ランスの勝ちだ」

 誰かが叫び、続いて部屋中から喚声が上がる。驚きの原因は勝敗よりも点数だった。一年生が満点を出した事に驚いている。コーツの試験では滅多に満点は出ないからだ。

 ユーリーは人の山をかき分けて(サニダ)の前へ出て確認すると口元を歪めた。踵を返すとランスとシシリーが並んで(サニダ)へ向かうところだった。ユーリーはランスへ近づき、耳元で「やってくれたな」と囁いた。

 シシリーが素早く(サニダ)の前へ出て結果を見る。満面の笑みを浮かべてランスの元へ戻って来た。シシリーは彼の手を取って飛び上がって喜ぶ。

 第一の勝負はランスの勝ち。




 翌日。コーツの屋内競技場。

 今年は多くの観客席が埋まっている。ユーリーとランスの勝負を見る為だ。

 この実技試験が賭けの対象になっていると知ったシシリーは胸の中がもやもやとして行き場のない何と云っていいのか分からない感情を持て余して席の一つに座っている。友人たちも両側で彼女を守るように並んでいた。

 剣術試合の審判を務めるのは常駐のダルーナ二人。黒茶のフード付きの長い外套を羽織り、腰にはダルーナの証しといえるセイドが見える。一人は正審判と書かれた札、もう一人は副審判と書かれた札を首から下げている。

 現在ダルーナから剣術を習う生徒は少なく、彼らによる前座はすぐ終わり、観客の興味も次の真打ちに向かっている。

 あちこちから起こった拍手と共に床に描かれた円の際に立った二人はルールの説明を受ける。

 試合は<ルーシ>で描かれた円から出たら負け。また、どちらかが負けを認めれば終わりと単純なものだった。

 円の外で向かい合う二人。

 ユーリーは剣術の試合をするというより派手でダンサーのような衣装でランスを不快にさせる。磨きのかかったしたり顔をするユーリーは観客が多いと気分が高揚するようだ。両手を広げて声援に応えている。

 「はじめ」

 正審判が云って試合が始まる。


 客席で息を凝らすシシリーに

 「あいつ、剣術なんて出来るの?」

 スーラが囁いてくる。

 「運動神経は良いと思うんだけど。本格的に剣術を習ったって聞いた事はないんだよね」

 この言葉に不安しかない友人たち。彼らは揃って怪我をしないようにと祈りながら試合に集中した。

 二人が円の内側へ入ると<ルーシ>で描かれた円が見えない壁を張る。その壁は人が通過すれば反応するもので、怪我をしない為に張られている。外へ豪快に飛ばされても壁が柔らかく受け止めてくれるのだ。

 ユーリーは練習用の剣を片手で玩ぶように持ちランスを見据える。彼はいきなり剣を大きく横に振った。すると剣から見えないピグマの波が刃となってランスへ向かっていく。

 全身の感覚で危険を感じたランスは剣を盾のように構えて防ぐが円のぎりぎりの所まで後退させられた。ランスはこの攻撃に相手が十分な訓練を受けた上級者だと感じる。

 ユーリーは一歩踏み出しながら間髪をいれず刃のようなピグマの波を送り出してくる。まるでなぶるように小さい技を繰り出してランスを円の外側へ追いやろうとする。ランスは受け流すのが精一杯で攻撃に出られない。

 試合を見ていたシシリーはユーリーの動きに目を奪われていた。一方的な攻撃にユーリーがダルーナに師事していると素人目にも分かる。

 ランスを応援しなければならないのにユーリーの動きに目がいってしまう間に勝負はついた。

 ランスは円の外へ追い出された。ユーリーは息を弾ませる事なく静かに立っている。片膝を床につけてランスは彼を見上げて大きく息を吸い、

 「お前、どこで」

 やっと声を出す。

 「おれさまはここの熱心で優秀な生徒なんだよ」

 吐き捨てるように答えた。そして持っていた剣を副審判に渡すと立ち去った。

 ここ、とは勿論ダルーナによる剣術の稽古の事だ。

 ユーリーはダルーナの動きに慣れていると正審判が教えてくれた。アンダステで強いといわれるダルーナの。

 第二の勝負はユーリーの勝ち。




 三回目の勝負はその日の夜の労いの宴、会場の特別エリア。

 (くしろ)によって年齢確認が済んだ生徒が次々に入って行く。今回は二人の酒勝負の為、様子が分かるように透明の壁で囲われている。壁際には椅子が並べられ、まさに見世物。

 勝負が良く見える場所にシシリー、エヌ、スーラとリニーが陣取っていて勝負の始まりを待っている。

 「あいつ酒強いの?」

 スーラがシシリーに尋ねる。おやつを頬張りながらシシリーは頷く。

 「飲めるよ」

 簡潔に答え、視線は真っすぐユーリーへ。二回目の勝負を見てからシシリーの中には不安の渦が起こっていた。簡単に勝てる相手ではない。むしろ負けの確率が増したような気がする。この勝負は勝たなければ意味がないとシシリーの父親は云っていた。最期まで見続けなければならない、そう強く思った。その為にもお腹が空きすぎないようにおやつを食べておく。

 シシリーのがっつき具合に目を丸くしながら見つめる友人三人。何かを云いたげだが何も云わない。彼らの出来る事は見守るだけ。彼らはランスの家の事情など知らないのだから。

 既に二人は向かい合って座っている。その前には小さい器が一つづつ。

 静かに勝負は始まった。一つの器の中身を飲み干し、器を逆さまにして戻す。ただそれだけを繰り返すだけの勝負。どちらかが負けを認めるまでか潰れるまで。二人は会話をせず、一つ一つの器を空にしていく。

 飲むのが早い、シシリーはそう思っていた。おやつを運ぶ手を一旦止めた。

 二十杯近く飲んでいるが二人の顔色は変わらない。ランスは五十杯までは楽にいけるとシシリーは考えていた。次々と空になる器を見つめて、この勝負は長くなる予感しかない。


 ただ一杯ずつ飲んでいるだけの勝負に観客の一部は飽きてくる。酒は十杯毎に強い酒に変わるのだが、三十杯を過ぎても彼らはまだ問題ないようだ。

 観客は飽きてきて、特別エリア以外ではシシリー達だけになった。特別エリアにいる生徒達は勝負を肴にして酒を飲んでいた。

 エヌが四人分の食べ物を見繕ってきた。手渡された皿にはエヌが選んだだけあって、どれも美味しそうだ。串に刺さったひと口サイズの総菜は勝負を見ながらでも食べるのが楽。

 気づくと酒は五十杯を超えていた。二人とも変わった様子はない。黙々と飲み続けている。

 八十杯を超えたところで様子が変わった。

 二人同時に飲む速度が落ちてきた。ユーリーは平静を装ってランスを見つめ、ランスは一瞬顔をしかめた。

 ユーリーが器を取り、一気に喉の奥へ流し込む。

 ユーリーが仕掛けたとシシリーは思った。ランスの一瞬の表情の変化を見逃さず、速度を速めた。

 「二杯づつでいこうか」

 ユーリーがさらに仕掛けてくる。ランスは余裕があると思わせる笑みで(うべな)う。

 彼らの前に二杯の器が置かれた。

 ユーリーは二杯を連続で飲み干し、ランスにも飲むように指差す。ランスは一杯目をひと息で飲み、二杯目は器を回してから飲んだ。

 百杯を過ぎて今度はランスが云った。

 「三杯にしよう」

 それを聞いたシシリーは今度はランスが勝負に出たと知る。

  思わず立ち上がり、酒を出している係へ声をかけてある事を聞いた。勝負に出されている酒の銘柄。今は百杯を超えたので一番強い酒になっている。

 強い酒を三杯づつ。これは完全に潰し合いになると大きな不安がよぎる。

 二人の男は目に見えて酔いが回ってきている。それでも提供係は淡々と三つの器を置いていく。

 ユーリーは二杯飲んでもう一杯を持て余しているように見える。ランスも二杯をさっさと飲み干して一杯は手に持ったまま。一瞬二人の視線が絡み合う。そして二人同時に飲み干す。

 続いて新しい器が三つ、二人の前へ。固唾を呑んで見守るシシリー。顔が赤くなってきているユーリーとまだ顔には全く出ていないランスは手元がゆっくりとした動きになっている。

 本来ならランスを応援するのが当たり前なのだが、何故か今回は公平に見ている自分に気づくシシリー。その視線は二人の間に流れる気迫をも見ていた。

 次の三つの器をゆっくりと空にして、まだ飲めると云いたげに顔を向けるユーリー。ランスは答えるように二つを飲み干し、三つ目は手に取ったものの口を付けずにいる。

 「最後にしようか・・・・・」

 かすれた声でユーリーが云い、次の酒を出すように指示する。まだ飲み終わっていないランスの前にも器が並ぶ。

 ユーリーはここで差をつけようと連続で三つを飲み干す。そしてさらに次を要求する。ユーリーの目の前に三杯、ランスの目の前には七杯があった。

 エヌ、スーラ、リニーは疲れを感じて体を崩して見学していたが、この事態に慌てて体勢を戻した。

 ランスは手に持ったままの一杯を飲み、六杯にするがユーリーは三杯をゆっくりと飲み干す。そして新しい器が三つそれぞれに供される。ユーリーはこれで最後というように三杯すべてを飲む。

 その様子をつぶさに見ていたランスはユーリーの限界だと判断した。飲んではいるが目は泳ぎまくり両手はテーブルにつけたまま。頭も重そうで、顔色は赤から白へ変わってきている。

 「もう限界だろう?」

 ランスの声は普段通り。驚く事にランスはあと十二杯要求した。

 それには見学者たちも騒めいた。提供係も手が止まる。

 その後ランスの前には十八杯が並び、味わうように一杯づつ口に含んでいく。ユーリーはそれを見せられて目を丸くしている。

 ランスは平然と飲み続けて次々空にしていく器。

 最後の一杯は乾杯でもするように掲げて見せると一気に飲み、器を逆さまにして置いた。

 「おれの勝ちでいいな?」

 確認するようにランスが云った。ユーリーは怒りか酒のせいなのか僅かに震える手を目の前で勝ちを宣言した男へ伸ばす。

 「お、ま、え───」

 ユーリーの言葉は続かなかった。ランスは立ち上がって彼を見下ろしてもう一度云う。

 「三回目はおれの勝ち。二勝一敗でおれの勝ち」

 ゆっくりとしっかりとした足取りでランスは特別エリアの外へ向かった。その後ろではユーリーがテーブルに突っ伏して動かなくなっていた。

 シシリーは特別エリアの入り口へ急ぎ、「入ります」と云って中へ。腕の(くしろ)から警告の音が鳴るが気にせずユーリーの所へ。ユーリーはテーブルに伏したままでシシリーが手首、額に触れても何も云わず、動かなかった。

 「ユーリーの事をお願いします」

 シシリーが周りの人にお願いする。ランスがそのひと言に振り返ったがすぐ歩き出した。シシリーが追いついて来てランスの腕を取る。

 「今夜はフテラフェリアの部屋へ行って」

 ユーリーと同じく手首に触れて顔色をじっと見る。

 「私も出入り出来るから。すぐ作って持って行くから」

 気遣いのある口調ながら焦りも含まれる表情で見上げた。それには素直に頷いたランス。

 第三の勝負は十二杯差でランスの勝ち。ランスの二勝一敗で終わった。

 のちに年度末試験の珍事として生徒に語り継がれる。




 フテラフェリアとはコーツにおいて公平の象徴といえる。その名は自由を意味し、フテラフェリアと呼ばれるエリアにある部屋は男女の区別なく利用できる。

 コーツは全寮制なのだが男子寮、女子寮に入りたくない者が入居出来て、また個室をグループで使用も可能。ここで何か如何わしい事が起きないかと不安になる事もない。生徒は(くしろ)によって管理されているといっていいのだから。

 そのフテラフェリアの部屋の一室。

 寝台へ仰向けに倒れているランスのもとにシシリーがやって来たのはかなり経ってから。エヌ、スーラ、リニーが付き添っていた。彼は倒れ込んでからひと言「シシリーを待つ」と云っただけだった。

 シシリーの手には一つの瓶があり、手を貸して上体を起こさせると口の中へ瓶の中身を注ぎ込んだ。ごくりとひと口飲んだ後に瓶を奪うように取ると自分で喉の奥へ流し込んだ。

 「それ、何?」

 エヌが聞いてくる。

 「薬酒」

 「薬酒? お酒なの?」

 「煮切ったお酒と幾つかの薬草と甘味を入れて煮込んだもの」

 ランスはひと瓶をあっという間に飲み干し、再び寝転んだ。顔を見られたくないのか、片手は両目を隠すように置き、何度も深呼吸を繰り返した。

 エヌは空の瓶を取って匂いを嗅いでみた。最初は甘味と酸味があり、独特のスパイスの香りが後に続く。手のひらに一滴でも落ちてこないかと瓶を振ってみたが無駄だった。その様子を見ていたシシリーが残念そうに云う。

 「それはランス用だからエヌには合わないと思うよ」

 その言葉にエヌは身を乗り出して聞く。

 「これってランスに合わせて作ったの?」

 シシリーは頷く。

 「そうじゃないと意味ないでしょ」

 当然という感じで云ってきた。この時エヌの中で何かが燻り始めたがそれが何なのか気づかなかった。

 突然ランスが起き上がって皆を驚かせた。シシリーは彼の顔をじっと見つめて微笑みと共に安堵の息を吐く。

 「悪いな、付き合わせて。もう大丈夫だ。みんな部屋へ戻ってくれ」

 普段と変わらない表情で落ち着いた口調で云ってきた。エヌ、スーラ、リニーは驚いたが彼の確固とした云い方に納得した。部屋から出て行きつつスーラは

 「わたしの部屋は近くだから何かあったら呼んで」

 と珍しく思いやりのある言葉を残していった。ランスは目を丸くしたが思いがけない気遣いに口元も綻んだ。

 「ありがとうな。これのおかげで助かった」

 ランスは瓶をシシリーに返しながら伝え、微笑んだ。シシリーは瓶を受け取るとおやすみを云って出て行った。

 長い夜になると覚悟しているシシリーはもう次の事で頭が一杯になっていた。



 翌日、ユーリーは悪夢の中にいた。

 ランスの勝ち誇った顔を見た後からの記憶がない。どうやって戻って来たのか。そもそも自分の部屋を知っている奴がいるのか? 知っているのは教師か馴染みのダルーナくらいか。彼らが運んでくれたのだとしたら、礼を云わなければならない。そんな事を考えている時、扉を叩く音がすると校長が入って来た。ユーリーが校内で気を許す少ない人物の一人。

 校長は黒いワンピース姿で現れ、校長というより親しくしている者としてやって来た感じだ。手には籠を持ち、ユーリーはいつもの物を持ってきてくれたのだと思った。その通りで校長は籠から瓶を取り出すと彼の手へ。

 ユーリーは中身を啜ると明るい表情で校長を見上げた。

 「先生、作り方変えた? これ、すごく旨い。旨いっていうより、体に染み込んでくる。不快な感じが消えてくよ」

 嬉しげなユーリーに校長は真実を告げる。

 「それは良かった。シシリーも喜ぶでしょう」

 意味が分からないと云うように首を傾げて自分を見るユーリーにさらに教える。

 「それはシシリーが作り、わたしの所へ持って来たものです。あなたへと云って」

 「あの子が?」

 「そうです。ランスの分を作った後にあなたの薬酒を作ったそうですよ」

 ユーリーは瓶をしげしげと見つめ、何故シシリーが自分に酔い覚ましの薬酒を作ったのかと考えた。考えても答えは浮かばない。

 ユーリーは思いやりや気遣いというものを知らない。無償のものなどあるとは考えた事もない。誰しも見返りを求めるものだと思っている。

 校長は考え込んだ様子に心境の変化が訪れているのではないかと考える。

 「何で、作ったのかな」

 ぽつりと独り言のように呟いた。

 「シシリーはいつも通りにしていただけのようですよ。彼女はランスや父親の為にお酒の翌日もいつも通りに過ごして欲しくて、それぞれの症状に合わせて作るそうです」

 校長は薬酒を持って来た時の様子を思い出しながら云う。

 「それはとても大変な事だと思います。わたしは酔い覚ましであれば良いと考えていますから。個人に合わせるなど」

 頭を振りながら「とてもとても───」と続ける。

 自分が何を貰ったのか、言葉にして云えないユーリーはどうしていいか分からず、再び瓶の中身を口へ運ぶ。

 「そうそう、夕べのうちに薬酒を飲んだランスは今朝もいつも通りに起きて先生方に昨日の挨拶をしていますよ」

 「え、あいつ、もう普通に起きてるの?」

 驚愕の表情を浮かべたユーリー。自分は体がだるいし、頭もどこかぼんやりとしているのに。

 自分よりも十二杯多く飲んだはず。自分よりも酔いがきていてもおかしくないのに。

 なんて奴だ。

 あの人と顔だけ同じだと思ったのに。

 あの優しい顔と穏やかな口調と雰囲気と意外な特技。誰よりも尊敬する唯一の人、ランスの父親。

 彼に会った時はまだ子供だったが、その時の感動は今まで感じた中で一番輝く出来事。自分を認めてくれて公平に扱ってくれた唯一人の大人。

 あの人のようになりたい、あの人の代わりになれるような大人になりたい。ユーリーの目標となった。

 しかし、実際は───厄介者扱い。

 自分でもかなり捻くれたと思う。そんな中でのランスの出現。ここでユーリーの心の制御が利かなくなった。憧れの人の息子を打ちのめし、自分の方が能力は上だと認めさせる。

 それなのに、それなのに。

 あんな演技にまんまと騙された。それに自分を見下ろしたあの毒を含んだ眼差し。あの人にはなかったもの。

 この時初めて自分は負けたと思った。完全に負けたのだ。けれど何故か不思議と悔しさはない。むしろ清々しい。この感じをどう表現したものか。

 ユーリーは確実に内側から変わろうとしていた。


 「それで、どうしますか? 卒業の資格を取っただけで卒業するとは云っていませんね。卒業しますか?」

 校長はあえてユーリーに選ばせようとしている。いつものように無理強いせず、答えを待っている。静かな笑みを浮かべて。

 ユーリーは手のひらの瓶に視線を落としたあと校長に向けて云った。

 「卒業するよ」

 その言葉に校長は初めて見るふわっとした表情をして、僅かに目が潤んだ。

 「故郷や家なんかどうでもいいと思っていたけど、そうはいかなくなりそうだ。ウチの当主もただの甘ちゃんじゃなさそうだし。それに・・・・・」

 薬酒の瓶をしっかりと握ると校長へ照れたような表情で

 「感動したし」 

 と云った。

 今の彼の感動が何かは少しづつ分かればいい、そう校長は思う。

 とにかく彼は外へ出て行く決心をした。それだけでも成長したと云っていい。後は彼の行い次第なのだ。



 その後ランスとユーリーは特に接触する事もなく、二人の勝負の話題は急速に下火になっていった。



 

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