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偽物の朱夏

作者: 柴田彼女

 教室の隅で、ずれた眼鏡を直しながら一人きりで人間関係に重きを置くライトノベルを読んでいる。

 そういう、孤独な学生時代を過ごした人にばかり好かれてしまう。答えは簡単だ。私が、彼らに人気の作家の、人気作のヒロインに、どこか似ているから。彼らは私の中にヒロインの面影をみて、現実世界にも彼女がいたのだ、とひどく馬鹿げた妄想をしてしまう。


 大人しくて、でも堂々としていて、常に淡々としていて、ひどく暗い過去があって、年より少し幼く見える外見。派手さこそなくとも、よく見ればそれなりに整っている。彼らのフィルターを通して見た私は、そのような人間で、しかしそれが私の真実であるわけがないことに彼らは極限まで気づけない。

「なんていうか、朱夏が現実にいたら、いちいちゃんみたいな子なんだと思うんですよね」

 本好き同士、普通に出会って、普通に会話をする。今や過去や未来の話をして、好きな作家の話になる。するとなぜか男どもは必ずあの作家のあの作品名を口に出して、私を、朱夏、という名前の偶像に仕立てようとした。


 私もその作品は読んであって、自分好みのそれであることを否定する気はなかった。

 けれど私は、その作家の作品であればその二つ後に出た小説のほうがより好みであったし、実際その作品のヒロインであるマドカという女の子のほうに感情移入してしまう。

 マドカは朱夏と違い、孤独を嫌い、怒りや迷いを表してしまう女の子だった。憎しみを憎しみとして表現し、殺してやりたい、と平然と宣う。許せないと目を吊り上げる。いなくなれと歯を食いしばる。

 私はマドカのそういったところに、自分自身を重ねた。私は人間が嫌いだったし、人間なんて全員いなくなればいいと思っている。けれどそれは全くもって現実的ではなくて、だからこれは自分自身がいなくなればいいだけの話だということもわかっている。ただ、タイミングがないだけ、決定打がないだけのことで、私は未だに生きている。

 命に限りがある、それゆえに、私はいつだって死への憧れを消すことができない。


 朱夏はそういう思考の娘ではない。勿論同じ作家が同じような客層へ向けて書いた小説だ、朱夏自体、生への執着は薄い。でも、積極的に誰かを敵視するような子ではないし、全員死ね、みたいな危険思想の持ち主でもない。

 作者は本当にうまく、丁寧に朱夏の心情を表現している。でも私は、朱夏の気持ちが、わかるようでわからなかった。朱夏は恵まれない子だ。希望をことごとく打ち砕かれ、やがて希望を抱くことすら辞めてしまうような子だ。しかし、最期に一つだけ、叩き割った水晶の残骸のような、小さな、惨めな幸福を手に入れる。それを飲み込んで笑って死んでいく。それが朱夏だ。

 だがマドカや、そして私は違う。ほんの少しの幸福に満足して、笑って死んでいきたくなんてない。とにかく、この恨みを、憎しみを、呪いを、それらを解放できるならどんな手段だって厭わない。嫌いな奴は一生嫌いだ。祈りにだって変質するかもしれない水晶を手に入れたら、殺してやりたい輩の後頭部にでも振りかざして、血だらけになったそれを道端に放り捨ててやるだろう。輝く宝石に興味なんてない。私は皆が嫌いで、許せない。

 毎夜、風呂に入る。髪を洗い、シャワーで泡を流しながら思う。


「皆死ねばいいのに」




 きょうも、出会った男に言われる。

「ああ、いちいさんと話していると、不思議なくらい、朱夏と話しているみたいに思えてくる」

 私は言う。

「そんなことないですよ。私、皆のこと嫌いだし。どちらかと言えば、マドカに近しいかもしれません。朱夏みたいに、綺麗に世界を閉じる気は毛頭ありません」

「あはは、そういった言葉づかいで僕の発言を否定することすら朱夏によく似ていますよ。先生は君をどこかで知って、朱夏を作ったんじゃないかってくらい、君は朱夏そのものだ」

「心の底から、そうでないことを祈ります」

「ふふ。だから、そういうところなんですってば」

 ああ、この男も死なないかな。

 この男を殺せるなら、どういうやりかたで殺してやるだろうか。マドカが作中でやったみたいに、ロープで手足を縛って少しずつカフェイン錠剤と酒を含ませて、中毒にして殺してやろうか。それともまるで朱夏みたいに、彼らの理想の女の子のように振る舞って関わって、本当にこの男が私を現実に存在した朱夏だと認識した瞬間に目の前でマドカが行った死にかたで死んでやろうか。


 もうどうでもいい。皆私を朱夏だと言う。顔か。体型か。服装か。化粧か。髪型か。話しかたか。目線の置きかたか。笑うタイミングだろうか。わかりやすい怒りを面に出せない悪癖のせいか。

 私は朱夏ではない。

 勿論マドカでもない。

 私はいちいだ。

 貴様らのヒロインの代替品に甘んじるつもりなんて、微塵もない。



 連絡先を交換して別れる。どうせあの男も私を朱夏としか見ない。私にマドカらしさを見出したり、朱夏以外の、私本来の要素を見かけたりするたびに少しずつ減点されていく。わかっている。けれど、それでも私はきっとまたあの男と会うだろう。会って、深く関わっていくことを選ぶのだろう。


 私はマドカと同じだ。

 一人が怖い。誰だっていい。隣に誰かがいてくれるのなら、誰だっていい。

 そのために、結局心のどこかで他人の望むようなヒロインだって演じてしまっている。

 そのうち襤褸が出て、お前は朱夏じゃないと捨てられることもわかっている。

 それでも、それでも私は朱夏のような女を演じることしかできない。

 皆死ねばいいのに。心の底からそう思っている。私は、マドカのように、死への憧れを消すことができない。それでもなお、小さな水晶の破片を飲んで微笑みながら死んでいくような朱夏のような美しい女の素振りで彼らを騙して、一時的な寂しさを埋める以外の生きかたを知らない。


 いつか、偽物の朱夏を演じたまま、本物のマドカに会いたい。マドカに会って、

「惨めだな」

 と、マドカらしい一言で私の生きかたをまるごと否定されたい。


 きょうも胸元から広がる青いワンピースを身に纏う。朱夏の好きそうな服だな、と思って買ったワンピースを纏う。

 惨めだな、と、鏡越しに呟いてみる。

 朱夏のような顔をした女が、ただそこで憂いを帯びた顔で微笑んでいる。

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