前編
十一月も終わりのある日のことです。
ほのかは、学校から帰るところでした。小学校に入学した春のころは、ランドセルが重く感じたものですが、今ではすっかり慣れています。
いつもどおり通学路を歩いていくと、ぴゅうっと風が吹きつけてきます。赤く色づいたカエデの葉がはらはらと落ちてきました。
冷たい北風に震えながらも、ほのかは葉を降らせる街路樹をあおぎ見ます。そうして、ふと木々の向こうに、目をこらしました。
「あれ、あんなのあったかな?」
少し先に、いつもは見かけない看板がありました。
黄色でよく目立ちます。
ほのかはランドセルの肩ベルトをぎゅっとにぎります。もう少し近づいてみようと、そちらへ進んでいきました。
看板には大きく『ペットボトル・ホテル』と書いてありました。
「ここってペットホテルじゃなかったかな……」
飼っている犬やネコ、小鳥やハムスターなどの動物を、飼い主が一緒にいることができないとき、あずかってくれるところです。
普段は青い看板で、『ペットホテル』となっていたはず。
それが、いつの間にか黄色い看板にすり替わっていたみたいなのです。
「変だなあ。今日だけちょっと違うのかな」
ほのかはあたりを見渡しました。看板の他には、特に変わったところはないようです。
そのときです。
「いらっしゃいませにゃ」
店の奥から声がしました。
のぞいてみると、二ひきのネコが二本足で立っていました。しかも従業員の制服を着ているではありませんか。二ひきとも、ぱりっとした紺色のスーツがよく似合っています。
一ぴきは青い目をした真っ白なネコで、もう一ぴきは緑の目をしたキジトラのネコです。
「もしかして、リリとミー?」
どちらも、ほのかの近所にすむネコにそっくりなのでした。
「はいにゃ」
白ネコのリリが返事をします。
「にゃーん、にゃん」
キジトラネコのミーも声を上げました。
「ほのかちゃん、ミーも『はい』と答えているにゃん」
リリが白いしっぽをくねくねとゆらして、教えてくれました。
ほのかは思わず二ひきに尋ねました。
「ねぇ、今日はこんなところでどうしたの?」
リリは、近所のおばさんの家で飼われているネコです。
ミーは、近くの公園でよく見かけるのらネコです。
「今日は特別にゃ」
はり切ったように、リリが答えます。
「今日だけリリとミーでこのホテルをやっているんだにゃ」
「ネコなのに?」
ほのかの問いかけに、リリは大きくうなずきました。
「そうにゃん。リリはよくこのホテルのお客さんだったにゃん、今日は恩返しをするにゃ。ミーはお手伝いしてくれるにゃ」
リリが説明すると、ミーがそれに合わせたように、しましまのしっぽを振りながら言いました。
「にゃーん、にゃん」
「ミーもちゃんとしゃべるにゃ」
「ごめんにゃさい。人間の言葉、難しいにゃ」
ミーは、いつもはあまり人なつこくないので、人の話す言葉をよく知らないのかもしれません。頭に右前足を乗せて、ぽんぽんとたたいてみせました。
どうやら、今日はこの二ひきがペットボトル・ホテルのお店をやっているようです。
「今はお客さんを待っているところだにゃん」
「ふーん、そうなの」
ほのかが返事をすると、二ひきは両前足を胸の下でちょこんとそろえます。それからぺこりと頭を下げました。
「ほのかちゃん、どうかお客さんににゃってくださいにゃ」
「にゃれにゃ……」
ついネコたちにつられてしまい、ほのかは言いなおします。
「なれないよ。だって、お金持ってないもん」
すると、リリが得意そうな顔をします。
「ここのことを秘密にしてくれたら、無料にゃん」
「そうなんだ」
秘密、と聞いて、ほのかは急にこのホテルに行ってみたくなりました。
「じゃあ、内緒にするよ。誰にも言わないから」
ほのかが約束すると、二ひきのネコはごろごろとのどを鳴らして、歌うように言いました。
「にゃいしょ、にゃいしょにゃ。決まりにゃん」
「決まりにゃん。にゃーん、にゃん」
リリの前足がさし出され、そっとほのかの手のひらに肉球が触れます。同じようにミーも前足をさし出します。
ほのかは、ネコたちのふかふかの前足を取って、誘われるまま建物の奥へと入っていきました。
受付の向こうには、ペットのための小部屋がたくさんありました。しかし、そこには誰もいないようです。
その先には、広間がありました。犬やネコなどの遊び場でしょう。そこにも、誰もいません。そして、中央にただひとつのものが置いてありました。
ペットボトルです。
二リットルの飲み物が入っているような容器でした。横倒しでふたがついていないところを見ると、水分が入っているわけではなさそうです。
ボトルの内側がくもっているみたいです。なかに何があるのか、よく見えません。
「もしかして、ペットのホテルじゃなくて、ペットボトルのホテルなの?」
「そうにゃん」
「にゃーん、にゃん」
ネコたちの答えに、ほのかはがっかりしました。
「お客さんがペットボトルってことでしょ。わたしは関係ないじゃない」
「違うにゃ。ホテルがペットボトルにゃ。ペットボトルがホテルにゃ」
リリが高い声でしゃべりますが、ほのかにはまるでわけがわかりません。
「いつもはペットのホテルにゃ。でも、お返しは似ているけどちょっと違うところにしてみたにゃん。ペットボトルのホテルに、人を招待するにゃ」
首をかしげるほのかに、リリは懸命に話しかけます。
「リリは黄色いペンキを塗って、ペットボトル・ホテルって書いた看板も作って、お客さんを待ってたにゃん」
よく見ると、リリの白いしっぽの先が黄色くなっています。がんばりすぎて、ついペンキをつけてしまったのでしょう。
そんな努力は認めてあげたいところです。それでも、ほのかはゆっくりと問いかけるのです。
「ペットのホテルは、小さくて人間は入りづらいでしょ。ペットボトルのホテルなら、小さすぎてもっと入れないよ?」
リリは首を横に振りました。
「このペットボトルのホテルなら入れるにゃ。どうぞこちらにゃん」
なぜかリリは自信たっぷりな態度です。
ほのかは疑問に思いながらも、ペットボトルのすぐそばまで、ネコたちとともにやってきました。
「ここをのぞいてみてにゃ。このお部屋は空いてるにゃ」
「にゃかがホテルにゃ」
ミーも一緒になって話します。ペットボトルの中身は、小さな部屋になっているみたいです。
「なかがホテルになってても、入れないでしょ?」
ほのかの言葉に、リリは力強く返事をします。
「大丈夫。リリは、びんのにゃかに船が入っているのを見たことあるにゃ。だからペットボトルのにゃかにホテルを作ったにゃん。今日は特別に恩返しの魔法で、いろんなことができるんだにゃん」
ボトルシップなら、ほのかも知っています。
小さなびんのなかに、風を受ける帆のついた立派な船、底には海を表す透明な青い色。
どうやってびんのなかに船を入れるのか、作りかたは知らないけれど、見ていて楽しいものです。
リリはそれをまねたホテルを作ったというのでしょう。特別な魔法があるみたいです。
「恩返しの魔法って?」
ほのかは尋ねてみました。
「昔から、いろんな動物が恩返しをしているにゃ?」
問い返されて、ほのかはよく考えてみます。
「えーと、つるの恩返しとか?」
「そうにゃ。恩返しの魔法はいろんなことができるにゃん。たぬきやきつねじゃにゃくても、人間に変身できるし、食べ物や乗り物やお部屋を出したり、いろいろできるにゃ。リリも今日は恩返しの魔法を使えるにゃん」
「へぇ。すごいね」
ペットホテルがペットボトル・ホテルになったり、ネコがお店の人になったりできるって、確かにすごい魔法でしょう。
「リリはすごいにゃん」
自慢げにひげをぴんとさせると、リリはほのかをせき立てます。
「ほのかちゃん、もっと近づいて、穴をよく見るにゃ」
「こう?」
ほのかはしっかりとのぞいてみます。すると、どうでしょう。
穴はふくらむように、どんどんどんどん大きくなっていきます。
あっという間に、体が通れるくらいに広がっていました。
「あれれ、ペットボトルが大きくなっちゃった」
ほのかはおどろいて、後ろを振り返ります。すると、二ひきのネコが自分と同じ大きさになっていることに気づきました。
「あれ、リリとミーもちょっと大きくなったのね」
立ちあがっても、ネコたちはほのかの背丈の半分もありませんでした。それなのに、今はほとんど同じ高さにまでなっているのです。
リリもミーも目を細めて、くすくすと笑いながら答えました。
「小さくにゃったにゃ」
「小さくにゃ」
「小さく?」
どういうことなのか、ほのかにはよく理解できません。
「それより、どうぞ奥に入ってにゃ」
「どうぞにゃ」
せかされて、ほのかはペットボトルの口の部分へ上ると、そのままくぐり抜けていきました。