男子高校生、変身する
俺の名前は安堂大輝東京都立青山西高校の2年生。
どこにでもいるごく普通の男子高校生だ。
勉強?別に嫌いじゃない。
運動?まぁそこそこ。
友達?普通にいる方だと思う。
不満?これと言って別にない。
部活にも入っていなければバイトもしていない。おまけにカノジョもいないもんだから、毎日家と学校の往復というとても高校生とは思えないほど平凡すぎる日々を送っている。
ただ、この生活に満足しているかと聞かれれば決してそうとは言い難い。
そんな俺の唯一の癒しは、同じクラスの牧野香菜さん。入学式で初めて見た時から俺の心を掴んで離さない、一目惚れだった。
人形のようにくりっとした目に長いまつ毛。セミロングの髪は思わず触れたくなるほど艶があって、きっと丁寧にケアされているのがよくわかる。
そんなに活発なタイプではなく、言うなれば〝令和の大和撫子〟。
たまに目が合うと、恥ずかしそうに笑って目を逸らすのがすっっっごく可愛い。
授業中、背筋を伸ばして真剣に先生の話を聴きながら板書している姿が特に好きで、斜め後ろのこの席は俺にとって最高の特等席なのだ。
***
HRが終わると教室は一気にガヤガヤと賑やかになる。そんな中俺が粛々と帰る支度をしていると、笹森啓介が大きなエナメル鞄を肩にかけて俺の席に近付いてきた。
「お前授業中また牧野さんのこと見てたろ」
「べっ別に見てねーし!斜め前だからどうしたって視界に入るだけだよ...!」
啓介はニヤニヤしながら俺を見てくる。コイツとはは家が近い幼馴染なのだ。まさか小・中だけでなく高校まで一緒になるとは思わなかったけど。
啓介は昔からサッカーをやっていて、サッカー部が有名なうちの高校に進学を決めた。ちなみに俺は、家から通いやすかったから。
サッカー部のエース様は、そこらのイケメンとは比べ物にならないほどおモテになる。
廊下を歩けば、学校中の女子からひっきりなしに声をかけられ、ファンクラブがあるという噂もある。
誕生日には、休み時間の度に女子がプレゼントを持って来ていた。
きっと彼女なんて選びたい放題のはずなのに、恋人はサッカーというただのサッカーバカ。
もったいない、本当にもったいない!
俺が代わってやりたいくらいだ。
そしたら堂々と牧野さんに告白して、今頃は超楽しい高校生活が送れているはずなのに・・・・。
想像しただけで自分の顔がだらしなく緩むのが分かる。
「なにニヤニヤしてんだよ!そんなに好きならさっさと告っちゃえよ!」
「お前はモテるから簡単に言うけどなぁ!?告白ってのはたいっっっへん勇気がいるもんなんだよ!!」
告白なんかして、もし気まずくなったらどうしてくれる!
そんなことになるくらいなら、俺は今のままでいいんだ!
「俺、意外と牧野さんもお前に気ィあると思うんだけどなぁ...?」
啓介は悪巧みする子供のように言ってきた。
大した根拠もないのに、よくも10年来の幼馴染にそんなことが言えたものだ。
「テキトーなこと言うなよな!ほら、さっさと部活行かないと遅れるぞ」
「やっべ!じゃあまた明日!」
俺は「頑張れよー」と声をかけて見送った。
学校から家まではドアtoドアで30分と少し。
学校からは渋谷や原宿が近いためか、うちの学校の生徒は大体みんな放課後はそこで遊んでいる。
でも高校生の経済力でやれることなんて限られていて、せいぜい行くのはゲーセンかカラオケかファストフード店。
こういうのはたまにやるから楽しいんであって、毎日続けばそれが日常となってしまう。
俺の人生はこんな感じでずっと続いていくのだろうか。
とりあえず受験して、なんとなく就職して、気づいたら家族が出来ていて....?
「なんか面白いこと起こんないかな〜」
そんなことを考えながら最寄駅から自宅までの道を歩いていると、道の端で何かが光っている。
それはビー玉よりは少し大きい、ガラス玉のようなものだった。
手にに取り夕陽にかざしてみると、まるで玉の中に風景を閉じ込めたようでとても綺麗だった。
「へぇ〜綺麗じゃん!」
そう呟いた瞬間、突然大きな衝撃音が聞こえた。地面も少し揺れたせいで体勢を崩しそうになる。
「何があった・・・?」
音が聞こえたのは右の方角から。ここからそう遠くはなさそうだ。
俺の家はここを真っ直ぐ行った所にある。方角は違うが、家から音のした場所はそんなに離れてはいないし、もし何かあったのなら他人事ではなさそうだ。
俺はちょっとした好奇心で、音のした方向へ走り出した。
そこに近づくにつれ、人が叫びながら逃げて来る。
「キミ!こっちはダメだ!逃げなさい!」
小さな子どもを抱えた男性が声をかけてくれた。
「一体何があったんですか?」
「わからない!取り憑かれたように急に男が暴れ出したんだ。触ってないのに電柱が倒れたり、車が宙に浮いたり、もうめちゃくちゃだよ!!」
何だよそれ。そんなことあるわけないだろ・・・?
俺の脳は危ないから逃げろと全身に信号を送っているのに、ますます気になってしまった俺は、さっきの人の忠告も無視して人の波と反対方向へ進んで行った。
「マジかよ・・・なんだアレ・・・!!」
聞いていた通り、電柱は根元から引き抜かれて薙ぎ倒され、車もひっくり返って潰れている。
そしてその中心には何かに取り憑かれたように黒いモヤに包まれている男がいる。何かブツブツ呟きながらゆっくりとこちらへ向かってきた。
俺はまるで足の裏が地面に貼り付いてしまったように、恐怖でその場から動けなくなってしまった。
「ちょっとアンタ」
「!?」
誰かに話しかけられたお陰で我に返った俺は後ろを振り向いたが、そこには誰もいない。
こんな緊急時に幻聴かよ!?
いや、緊急時だからこそなのか?
再び前を向き直すと、また話しかけてくる声がする。
「ちょっと!下よ下!」
言われた通り下を見たが何もない。
もう一体なんなんだよ!
そのまま下を見ながら後ろを振り返ると、黒猫が1匹座っていた。
「もう!さっきから話しかけてたでしょ?」
・・・猫が喋ってる・・・・!?
俺の脳内は大パニックだった。いい加減この平凡な毎日に嫌気がさして、とうとう俺は妄想ワールドを広げるまでになってしまったのか・・・?
これは夢だ!これは夢だ!これは夢だ!
誰かそうだと言ってくれ!
「早速で悪いけど、変身よ!」
「・・・は?」
まるで日曜朝に放送している女児向けアニメ番組みたいな展開だ。
だいたい、なにで変身しろって言うんだ。こういうのは、ステッキとかそういう変身アイテムがあるだろ普通!
「早く!あなたさっきクリスタルを拾ったでしょ?それで早く変身してアイツと戦うの!」
もしかしてあのガラス玉のことか!?
あれってそういうやつだったわけ!?
俺はポケットから例のガラス玉を取り出した。
何かを握っている感触はある。ほんと、どんだけリアルな夢なんだよ!
もういい。どうせ夢に違いないんだ。
ここまできたら、とことん夢の世界を楽しんでやろうじゃないか!
明日学校でみんなに話せるいいネタになりそうだ。
「・・・わかった。百歩譲って、この玉で変身できるとしよう。俺は人より童顔だから可愛く見えるかもしんないけど、こう見えても男なんだよ!!わかるか!?」
そう。こういうのは女子がやるもんだ。
男は変身ベルトと相場が決まっている。
「だから何?男だとか女だとかそんなの関係ない!あなたはガラス玉を拾ったし、アイツの姿をしっかりと見えてる!だから声をかけたの!」
「なんかいい事言ってる風だけど俺は騙されないからな!?こういうのはな、女子がやるって決まってんだよ!普段はただのJKだけど実はその正体は、悪から世界を守る美少女戦士的なアレ!男が変身するなんて聞いたことねーよ!」
「いい?アイツをどうにかできるのはあなただけなの!つべこべ言ってないでさっさと変身しなさい!じゃないとみんな死ぬわよ!男のくせに往生際が悪いわね!」
「今男のくせにって言った!?お前それさっきと言ってること矛盾してね!?」
わけわかんねぇ。早く目覚ませよ俺!
もうわかった!なるようになっちまえ!
「へ、変身ッッ!」
俺は玉を握った手を前に出して力の限り叫んだ。
これで何も起こらなかったら本当にいい笑い物だ。
でもさすがは夢と言ったところだろうか。俺が叫んだ瞬間、ガラス玉から光が溢れ出した。
その眩しさに、俺は思わず目を閉じる。きっと目を開けたら、部屋の天井が目に入って、「夢でした」なんてオチに違いない。
そう思いながらそっと瞼を開けると、さっきと変わらない光景が広がっている。相変わらずあの人間は黒いモヤに包まれたまま暴れていた。
しかし驚くべきはここからだった。
「嘘だろ・・・マジで変身してんじゃん!」
腕にはフリルの付いた白いアームカバー、そして少しヒールのあるロングブーツを履いている。
そして丈が短いふんわりしたスカートのコスチューム。色はブルーベースっぽい。胸元にはリボンをあしらわれていた。
あれ、胸・・・・?
自分の胸元を見ると、小ぶりではあるが明らかな膨らみと、衣装から少し谷間が見えている。
俺はとりあえずその膨らみを両手で確認した。
何かある・・・!
そして次に、スカートの上から股間の方を確認する。
何もない・・・!
「はぁぁぁぁぁッ!?」
ちょっと待て。一体俺はどうなったんだ!?性別が変わってるんですけども!?
しかもなんだか声のトーンがいつもよりかなり高い。すごい可愛いアイドルみたいな声が出る。側から見たら、きっと奇声を発する口の悪い美少女だ。
「だから言ったでしょ?変身するって」
黒猫は、さも当たり前のような口ぶりだ。
変身って、そういうこと!?
服が変わるとかだけじゃなくて!?
性別から変わんの!?
「変身って聞いて性別変わるなんて誰も思わねーから!!」
「もうそんなこといちいち気にしなくていいから!それよりも、来るわよ!!」
アイツから伸びた黒い腕が俺らの方に攻撃を仕掛けてきた。
俺は黒猫を抱えてジャンプする。ほんの少し踏ん張っただけなのに、ひとっ飛びで民家の屋根に着地できた。どうやら変身をすれば身体能力は大幅にアップするらしい。
しかしアイツにいくら物理的な攻撃をしかけても全く効いていなかった。
「なあ!どうやったらアイツを倒せる?なんかあるんだろ?呪文みたいな言葉が!」
「呪文はないけど方法はあるわ!クリスタルを握って弓矢をイメージして!」
俺が言われた通りに頭の中に思い浮かべると、ガラス玉がガラスの弓に変形し、1本の矢ができた。
「・・・もしかして、アイツ殺すの?」
俺はまだ夢の中のこの設定を理解していないから、どうしてアイツがあんな風になっているのかもわからない。でも、こんな矢で射られたら生きてはいられないことは分かる。夢だとしても、人を殺すなんてごめんだ。
「それはあなた次第。アイツの胸の所に黒い丸が見えるでしょ?あなたはあそこを狙うの。そうすれば彼自身は死なないわ!」
正確に当てられなきゃ死ぬこともあるってことだろ?弓道なんてやったこともないのに、簡単に言ってくれる。
でもやるしかなかった。
俺はふーっと息を整えて、なんとなくのイメージで弓矢を構える。
ぐっと足を踏み込んで力いっぱい矢を引いて、ここだと思った時にぶっ放す。
「いっけえぇぇぇぇッ!」
俺の矢はこちらに向かってきたアイツのど真ん中に命中し、それまでアイツを覆っていた黒いモヤは弾けるように消し飛んだ。まるで浄化されたように辺りをキラキラしたものが舞っている。
「あれ・・・俺なんでこんなとこに・・・?」
これだけ暴れ回ったくせに、当の本人は何も覚えていなかった。
遠くからパトカーや救急車、消防車のサイレンが聞こえて来る。
「人が集まって来る前に一旦ここを離れるわよ!」
俺は黒猫の跡を追いかけようとするが、足の力が抜けてしまい、膝から崩れ落ちるようにその場に倒れて気を失った——。