素顔の告白
時が止まったのかと思った。それくらいの静寂。
美少女とうっかり叫んでしまったけど、カールソン様は男性だ。たぶん。フルユース学園に性別を偽って入学することはできない……はずだから。
「えっと……大丈夫ですか?」
改めてカールソン様に声をかけると、ささっと前髪を整えて、というか前髪で顔を隠して立ち上がった。
「は、はい、大丈夫です」
いつも以上に声に覇気がない。カールソン様自身も戸惑われているのかもしれない。何も気にしないふりをするには沈黙が長すぎた。けど続ける言葉も見つからない。
「あの、驚かせてごめんなさい! 女の子はカエルが苦手なのに……気付かなくて!」
停滞した空気を壊すような大きな声。発端となったライだ。きちんと謝れることは良いことだ。教会の教育がしっかりしている証拠だろう。ただ悲しいかな。謝る部分が違うのよ。ちらりとカールソン様の様子を窺うと、気まずげに小さく咳払いをした。
「僕は男なので大丈夫ですよ」
うん、きちんと訂正するのは大事よね。だけど、ライの首はコテンと傾いた。
「兄ちゃんは姉ちゃんで、姉ちゃんは兄ちゃん……?」
よほどカールソン様の素顔が衝撃的だったらしい。ライが混乱してしまっている。いや、戸惑ってしまった私が言えたことではないけれど。声変わりしていれば、カールソン様の言葉はすんなり耳に入ったのかしら。
カールソン様は困ったように視線をライに合わせる。
「相手が男でも女性でも驚かしたら危ないからダメだよ」
「は、はい、ごめんなさい」
「うん、謝罪は受けました」
にっこりとぎこちないながらも笑みを浮かべている。前髪でほとんど隠れてしまっているけれど。でも、間近のライにはちゃんと見えているようで、顔を赤くして頷いている。そして、覚束ない足取りで孤児院の方へ歩いて行く。その後をカエルがぴょこぴょことついていく。友達なのかしら。
「掃除、始めましょうか」
しばらく見送った後、静かに作業開始の声をかけた。
何とも言えない空気ね。学園に入る年齢なら、姿絵なり何なりで王太子妃殿下の顔を知っている人が多い。みんな、カールソン男爵家がどんな家なのか、改めて気付かされた気分なのだろう。
たぶん最も衝撃を受けたのは、ラッセ。今も考え込んだ顔をして箒を握っている。傍目にはとても真剣な顔で掃除をしている王子様だわ。
私自身、驚いた一人なので、同じような顔をしているかもしれない。
カールソン様とアンナさん。
二人は甥と叔母なのだから、顔が似ていたっておかしくはない。アンナさんとお兄様、現カールソン男爵も似た顔立ちではあったけど、性差もあってか瓜二つという感じではなかった。前カールソン男爵が美少女顔という話は聞いたことがないし、前カールソン男爵夫人の血筋が強いのかしら。とはいえヴェロニカの記憶を掘り起こしても、二人の顔をはっきりと思い出せない。男爵家が高位貴族と関わることって、ほとんどないから。本来ならね。
そもそも現カールソン男爵夫人の顔を知らない。今世では同じ男爵位なのにね。ヴェロニカの記憶に頼るだけでなく、私自身の交流も広げていかないとダメね。
春の陽気とは程遠い雰囲気で掃除を終える頃、ぽつりと小さな声が空気を震わせた。
「あの、先ほどは騒がせてすみませんでした」
「謝って頂くようなことではありませんわ。孤児院での子供のいたずらって、よくあることですから」
「それも、そうなのですが……」
言葉を詰まらせた後、意を決したように前髪に手を添わせる。そして、その瞳を露わにする。
……二度目なのに。つい凝視してしまう。
「やっぱり、この顔に驚きますよね」
小さな、諦念のような溜め息。私だけでなくラッセもノアも、他のみんなも何も言えないでいた。それだけインパクトがある。
「もし御不快でしたら、この校外学習からも辞退しようかと思います」
「え?」
思わず間の抜けた声を返してしまった。アンナさんと顔が似ているから校外学習を辞める?
「誤解を与えてしまったようですまない。ケヴィンに不快を覚えたわけではないよ」
ラッセも驚いたように声をかけている。さらりと謝罪されていることに、カールソン様は困ったような笑みを覗かせる。それさえも美少女顔で庇護欲をそそる。レオナルド様もこんな気持ちだったのかしら。
「でも、この顔は人を不幸にする呪われた顔なのです」
……どこかで聞いたような突拍子もない言葉だわ。レオナルド様への理解に一歩踏み出したヴェロニカの心は、瞬く間に遠のいてしまった。
「理由を、聞いても良いだろうか?」
ラッセも思う所がある様子で、慎重に言葉を口にしていた。カールソン様は静かに一度頷いた。
「僕の顔はとある方にとても似ているのです。だからか妙に惹きつけてしまうようでして……。小さい頃はただ可愛いと褒められるくらいでした。でも、年を重ねるごとに下卑たる人たちが周囲に増えてきました」
「下卑たる人たち?」
思わず言葉を挟んでしまっていた。
「はい、鼻息の荒い方が多かったです」
「よくぞご無事で……」
「はい、二度と会うことはなかったので。後で知ったことなのですが、商会が潰れていたり、事業に失敗して没落していたり、様々な不幸な目に遭われていたのです」
カールソン男爵家に、商会や他家に働きかけるような力があるかしら。かと言ってアンナさんが甥っ子のために奔走する姿も想像しにくい。何と言っても自分本位な方だったから。血縁ともなると違うのかな?
「何より、父上も母上も僕の顔を見ると、とても困った顔をされて……。学園に入学する頃には、ほとんど顔を合わすこともなくなっていました」
「そんな……」
「父上と母上が不幸な目に遭われなければ、それで良いのです」
気丈な言葉は、だけど寂しげに揺れる瞳を隠してはくれなかった。家族仲が良好な私が何かを言っても届かない。上辺だけの言葉になってしまう。
「ケヴィン、私も呪い子と言われていたのを知っているかな?」
突然のラッセの言葉に周りに緊張感が走る。陛下の寵愛が目に見える形になった頃から、少なくとも表立って口にされることはなくなった言葉。けれど、十年以上はびこり続けた言葉だ。
カールソン様は小さく頷く。気まずい顔。だけど、ラッセは笑みを浮かべる。
「でも、ケヴィン、今の私は幸せだよ」
「幸せ?」
「ああ、心を打ち明けられる人たちがいるからね。だから知ったんだよ。この世に呪いなんてない。あるのは人の心の弱さだ」
「弱さ……」
カールソン様にも思う所はあるのだろうか。それでも簡単には飲み込めないようで、ラッセのような笑みはない。
「ケヴィン、今すぐに納得するのは難しいだろう。けれど、人と関わる中できっと気付く瞬間がある。だから、私はケヴィンにこの場を去って欲しいとは思わないし、学園でも親しくしてほしいと思うよ」
ラッセは魅力ある人にどんどん成長していっているんだな。その温かな眼差しが、とても眩しい。
ほら、カールソン様の笑みも自然になっているわ。
「それに呪い子同士が一緒にいれば、どんな反応があるのか気になるしね」
「殿下、呪いはないのでしょう?」
そんな軽口を返せるなら、二人はきっともう従兄弟なのだ。
マイナスとマイナスをかけ合わせるとプラスになる。そんな話を前世の算術の授業で習った気がするけど、その真意を垣間見た気がした。プラスが増えた世界はどんなふうに変わっていくのだろう。思いを馳せた先には笑顔があるはずだ。