素顔
まずは教会で女神ヴィネア様に祈りを捧げる、となる所だったけど、この孤児院はやはり子供の数が多いらしい。神父様とシスター数人では、目が届ききらないようだ。
「なぁなぁ、神父様! あの前髪なっげー人が王子様?」
「ちがうわよ! きっとあのキラキラした人よ!」
「えー、暗い感じの方が闇の支配者って感じがするじゃん?」
「なんで王子様が闇なのよ? 光ってキラキラしてるに決まってるでしょ!」
「そーかなー?」
「うー、ぼくもたぶんきらきらしてる人が王子様だとおもう」
「えー?」
「そうでしょうとも!」
「うー」
……とても、とても賑やかだわ。本人達としては小声のつもりなんだろうけど。神父様に話しかけたはずなのに、気付けば子供たち三人で話し込んでいるわ。
「これこれ。お客様には行儀良く接しないとダメだよ」
話が区切れた所で神父様が注意しているけど、きっとこれがいつもの景色なのだと思う。多分、途中で遮っても余計に姦しくなるのね。オリアン男爵家が懇意にしている孤児院でも、見慣れたものだ。ラッセも心得たもので、ロイヤルスマイルが崩れる様子は微塵もない。ただ、孤児院を訪れるのが初めてらしいカールソン様は、子供たちとラッセの間で視線を忙しなく動かしている。
「さぁさぁ、せっかくだから挨拶しようか? 誰が最初にできるかな?」
神父様はあくまでも落ち着いた様子で、声を荒げたりしない。校外学習の意図を正しく理解されているのだろう。ここで下手に畏まった様子を見せられても意味はない。
「はい! ライです!」
「マリーです」
「カイ、です」
三人とも挨拶に慣れた感じがある。年上相手に緊張していない。この孤児院にとって、校外学習は恒例行事なのかもしれない。
ちらりとカールソン様を見遣るけど、前に出る様子はない。監督・補佐役のラッセを始めとした三年生たちは言わずもがな。
「カロリーナ・オリアンですわ。二日間よろしくね」
にっこりと友好的な笑顔を心掛ける。カーテシーはしないけど、目線の高さは合わせる。子供たちは一瞬、視線を交わした後で笑顔を浮かべてくれる。
「よろしくお願いします!」
元気よく揃った声は、この孤児院が健全である証拠のようだった。微笑ましい気持ちで子供たちを眺めている間に、他のみんなも挨拶を交わしている。カールソン様の声は大分小さかったけど、その後に続いたラッセのロイヤルな笑顔のインパクトが強くて、子供たちは気にする様子はなかった。
それから本来の予定通り、女神ヴィネア様に祈りを捧げることになり、子供たちとは一旦別れた。後でね! と最後まで元気だった。
教会はさっきまでの騒がしさが嘘みたいに静謐だ。
素朴な外観に違わず、内装も凝った装飾はない。座席も使い古した感がある。それでも近隣住民が祈りを捧げる神聖な場所であることに変わりはないだろう。
「こちらが礼拝堂でございます」
神殿や大聖堂にあるものよりは小さいけど、女神ヴィネア様の像が鎮座している。どこか古びた感があるものの、埃が被っているようなことはなく、大切にされていることが分かる。
静かに手を組み合わせて祈りを捧げる。
――校外学習が無事に終わりますように。それから……カールソン様が心を開いてくれますように。
女神ヴィネア様の息災と併せて願いも告げる。校外学習の件はともかく、カールソン様の件は仕事の速い女神ヴィネア様でも難しいかな? 自力で、とは思うけど、校外学習が終わる頃に気さくに挨拶できる関係になっていたら上出来だとも思う。
ちらりと横目でカールソン様を見てみるけど、鉄壁の前髪で相変わらず表情は読めなかった。
お祈りの後は教会の清掃となるのだけど、シスターや子供たちが頑張ったのか、特段、目立った汚れなどはないようだ。まぁ学園行事の一環とはいえ王族が訪れるのだ。普段通りを心掛けても、やっぱり気合は入っちゃうよね。
そんな訳で、玄関前を軽く掃く程度で清掃は終わってしまいそうだ。
「オリアンお嬢様は掃除も手慣れていますねー!」
「え? そうかしら?」
ニコニコ笑顔のノアだけれど、どうだろうか? 前世も今世も普段清掃作業をすることなんてない。孤児院での奉仕活動と、学生の間は自室を整えることがあるくらいだ。まぁ、あとはヴェロニカはレオナルド様のフォローのためにテキパキとこなす必要があったので、要領よく仕上げる経験値は無駄に高いかもしれない。予めシスターたちが綺麗にしてくれていたお陰が一番だと思うけど。
「ええ、箒を持つことにも抵抗がないようですし、汚れることも厭わない様子ですし」
言われて辺りを見回してみると、騎士クラスはもちろん平民クラスの子たちも不慣れな感じがある。十代前半であれば、そんなものなのかな?
「あら、でも、カールソン様も殿下も手慣れた様子ですわ」
「……そうですね」
「これもノブレス・オブリージュ……なんじゃないかしら」
ちょっと苦しいかな。レオナルド様の校外学習の尻拭いでスキルが磨かれたとは言えないので、納得して欲しい。
でも、カールソン様が清掃作業に抵抗がないのは少し意外かもしれない。ラッセは薬草を背負っていた姿を知っているので、何も意外性はないんだけれども。第一王子のはずなのに。
「貴族の方々は色んなことがお出来になるんですねぇ」
ノアは一応得心してくれたみたい。そんなことを言うノア自身、清掃には抵抗はないみたいだ。
「ノアの方こそ、掃除に慣れているみたいだわ」
「ええ、下働きは清掃も当たり前――」
「ノア?」
不意に低く響いた声に、驚いて振り向くといつの間にかすぐ傍にラッセがいた。何だか表情に陰りがあるような……。
「はい、ノアでございます!」
ノアは明るく返事をしているけど、ラッセの顔はますます落ち込んだ様子だ。
「二人は随分と仲が良くなったんだね」
そうかな? 校外学習の班が決まってから、廊下で会えば話すことがあったくらいだ。仲良く見えるのは、ノア自身が人懐っこい部分が大きい気がする。とは言え、友人とはまだ言えない程度ですよ、とは本人を目の前にして言う勇気はない。
「まぁ、同じ学年ですし、話す機会もありましたから」
「もう名前で呼ぶほどに?」
「え? ええ、そうですね。グリーニング商会は懇意にしている商会ですので、商会名で呼ぶのはややこしくて、つい」
「つい、か」
……ますます落ち込んでしまったみたいだわ。
どう対応したものか、と考え込みそうになった所で大きく咳払いする音が響いた。
「殿下、ここはストレートに言う所ですよ!」
「しかし、人前で名前を呼ぶことには先日叱られたばかりだ」
「叱られたんすか! オリアンお嬢様、強いですね!」
「強く気高い人なんだよ」
いや、貴方たちの方が余程仲良くない? エドヴァルドといい、ラッセは商人と相性がいいんだろうか。あとラッセ、さらりと褒めないでほしい。反応に困るわ。
「とりあえず、早く掃除を終わらせてしまいましょう!」
当面の最優先事項を告げれば二人とも頷いてくれる。……そんな捨てられた犬みたいな顔をしても人前でラッセと呼ぶのは無理よ。
「あら?」
残りの掃き掃除を終えてしまおうと箒を構えた所で、小さな男の子の姿に気付く。あの子はライと言ったかしら。孤児院の方に行ったと思ったのに。いつの間に玄関脇の茂みに戻ってきたのかしら。
「ライと言ったか。神父殿に言付けでも頼まれたのかな?」
ラッセも気付いたようで声をかけようとしたけど、それよりも先にライの足が駆け出していた。ライに背を向けた状態のカールソン様に。
「兄ちゃん、見て!」
「え?」
そうして振り向いたカールソン様に、ライが両の手のひらを向けると緑色の物体がぴょんと飛び出した。
ん? カエル? でかっ!
そんな品のない声は寸での所で抑え込んだけれども、目の前にしたカールソン様は勿論こらえられなかった。
「うわぁっ!」
この一ヶ月で一番の大声を出して後ろに倒れ、お尻を打ちつけてしまった。その拍子に前髪がカーテンを開けるように左右になびいて、その素顔を晒した。
大丈夫ですか、と声をかけるつもりが、
「美少女!」
と思わず大声を出してしまっていた。ノアと一緒に。
いや、だって、本当にびっくりするくらいの美少女顔だったのだ。だけど、ラッセは反応できずにいるみたいだった。でも、それも仕方ない。
カールソン様の素顔は、アンナさんに瓜二つだったから。