忖度の班分け
「あら、わたくしは何もしていませんわ?」
班分けがあまりに出来過ぎている気がして、アマンダ様に思わず尋ねていた。けれど、アマンダ様の返事はあっさりしたものだった。紅茶のカップを手に取る動作は優雅で、隠し事をしているような様子は微塵もない。
まぁ、公爵令嬢と言っても、学園の公平さを覆す権力はないものね……?
紅茶を一口飲んで、そっと部屋を見回す。持ち込まれたであろう調度品は、確かに高級品だと一目で分かる。けれど、それ以外の部屋のつくりは男爵令嬢の私の部屋と変わらない。大半が相部屋を使用する平民はさておき、貴族同士では学園で与えられるものに差はないように見える。
やはり私の気にし過ぎだったのだろう。
「変なことを聞いてしまって、すみません」
「構わないわ。疑いたくなる気持ちも分かるもの」
たおやかに微笑むアマンダ様は、ゆとりと華やかさを兼ね備えていると思う。わたくしの……ヴェロニカはどうだったろうか。レオナルド様に表情筋を鍛えられる日々で、華やかさはあったかもしれないが、ゆとりとは無縁だった気がする。
「でも、これで先生も安心なさるでしょう」
「え?」
「カールソン様の没交渉具合は教師の間でもそれなりに話題になっていたそうよ。思わず愚痴を聞いてしまったほどよ」
「愚痴、ですか?」
「ええ。現王太子妃殿下の生家の嫡男が独りきりで過ごしているのは、教師の胃にも優しくなかったようね」
教師は下位貴族や平民出身の者も多いものね。どこで不興を買うかと思うと、心労もいくばくか。
「アマンダ様もカールソン様に思う所があるのでしょうか?」
「いえ? 今の所は特にありませんわ」
そうなんですね、と頷きながら、きっぱりと言い切られたことに内心首を傾げる。では、何故注視するようなことを言われたのだろう。真意は掴めない。今の所は、ということは、関わっていけば自ずと分かるのかしら。しかし関わりを深められるだろうかと思案する。
「先生方が安心できるように、私ももっと交流できれば良いのですけど……」
実際問題、同じ班になったものの教室では相変わらず話せていない。大して長くもない授業の合間の休憩時間にどこに行っているのか、未だに分からないままだ。
「まぁ、無事にカロリーナ様とカールソン様が同じ班になったのですから、それだけでも安心材料になっているのでは?」
「無事に……?」
アマンダ様の言い回しに引っ掛かりを覚える。思わず眉をひそめてしまった。だけど、アマンダ様は気を悪くされることもなく、楽しげな笑みを浮かべられる。
「ええ。愚痴を聞いていたと言ったでしょう? だから、カロリーナ様が気にかけていらっしゃるようだと伝えていたのよ。くじで決まったと聞いたけれど、偶然に感謝ね。これも運命かしら?」
つらつらと語られる言葉に、私は愚痴ごと紅茶を飲み干した。
あの班分けはきっとイカサマだわ……。
確証のない確信が過ってしまったのだ。
けれども、しがない男爵令嬢である私は、公爵令嬢に反旗を翻すことなく、笑顔でお茶会を終えるより他なかった。学園にも身分は存在する。
溜め息一つ、廊下の窓から外を見遣れば、日が落ちるにはまだ早いことを知る。春が日々深まる中、日照時間はどんどん長くなっている。
気分転換に少し散歩しようかしら?
ふとした思い付きは一歩進むごとに現実になっていく。寮の玄関に辿り着いた時には、迷いなく外へと歩き出していた。
並木道の木々も花開き、華やかさが増している。そっと息を吸い込めば、甘い香りがした。淡いピンクの色合いよりも、大分濃厚だな、と思う。春を彩る花。ヴェロニカの頃から変わらない。疲れる日も癒してくれていたわ。
ふわりと笑みが落ちたところで、目線も根本に下りていた。木々の周りには白い花がたくさん咲き乱れていた。小さく可憐な花。手入れされている学園の花々の中では、雑草のようにも見えた。
何と言う花だったかしら。
知っている花だという確信はあるのに、どうしてだか名前が出てこない。喉元までは出かかっているのだけど……。モヤモヤとして気になってしまう。
一度頷くと、私の足はまっすぐに図書館に向かっていた。今ならまだ開いている時間のはずだ。ここから少し離れているけど、大丈夫。
入学してからというもの、最初の構内案内時でしか見ていなかった建物だけど、迷うことはなかった。門番に学生証を提示して入館すれば、通い慣れた道のように植物学の棚に辿り着いていた。これもヴェロニカの記憶のお陰かしら?
ただ蔵書の変化は多少なりともあるだろうし。どれが探し物により適した本か、判断は少し迷ってしまう。本棚は壁一面にあり、高さも私の身長を軽く超えていて、かつ、ぎっしりと埋まっているのだから。
挿絵がしっかりしている本だと良いのだけど……。とりあえずは無難に春の植物をまとめた図鑑を手に取ろうとしたら、微妙に上の方にある。下の方は、より分厚い図鑑が収められているのだから仕方ない。
踏み台があれば助かるのだけど……近場にはなさそうね。
ぐっと背伸びすれば何とか届きそう? いや、無理かな? 無理かも?
それでも後少しなのだからと、つま先立ちした所で、後ろから腕が伸びてきた。……って、え、腕? 驚いてつま先立ちしていた足がバランスを崩してしまった。
倒れる!
そう思ったし、実際視界は傾いたのに。思った以上に近くで私の落下は止まっていた。
「大丈夫?」
頭上から穏やかな声が落ちてくる。釣られて見上げると、プラチナブロンドが。
「えっ? ラッ……!」
――ラッセ!
思わず名前を呼びそうになっていた。慌てて口をふさぐけど手遅れだった。
「そう呼んでくれるのは久しぶりだね」
ラッセは嬉しそうに囁くけれども。ここは図書館。ここは学園。時間帯的に考えても利用者は少ないだろう。でも、人の目は確実にある場所だ。そんな場所で親しげに名前を呼び、後ろから抱き留められている状況は、果たして許容されるものだろうか? 肩に触れた手のひらが熱く感じられて、とてもいけないことをしているように心臓が騒がしくなる。
……頬が染まりそう。
私は一度強く目を閉じて息を整えてから、さっとラッセから離れた。
「助けて頂きありがとうございました。ラーシュ殿下」
「大したことではないよ。怪我はないかな?」
距離を取った私に、心得たようにロイヤルな笑みをラッセは浮かべる。今回ばかりは名前の呼び方にも指摘は入らない。
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「いや、驚かせてしまったようだからね。もっと配慮すべきだった」
謝罪の意を滲ませた言葉を、私は笑顔で受け止める。平等を謳う学園でも王族に頭を下げさせるべきではないから。
「取りたかった本はこちらで合っているかな?」
差し出された本は、確かに私が手に取ろうとしていた物だ。表紙に描かれた花が鮮やかで、春の植物をまとめた図鑑らしい。
「ありがとうございます」
受け取った時に、少し指先が触れた。体温に今更気付いたように、ラッセの瞳がわずかに見開かれる。そんな感情の揺れを見つけると、出会った頃を思い出してしまう。
「何を調べているのか聞いても?」
「ええ、構いませんわ」
ラッセも何か思い出したのかしら。その疑問は胸の内にしまった。
ただ足取りは軽く、本棚からは離れた談話スペースへと連れだって移動した。机の向かいが見えないように間仕切りがつけられていて、ある程度の会話が許されている。大きな声では話せないけどね。
「実は、寮近くの並木道に咲いている花の名前が思い出せなくて、それを調べに来たのです」
椅子に腰かければ、早速疑問を打ち明けていた。
「寮の近くに咲いている花?」
ラッセなら図鑑を見るまでもなく分かるかと思ったけど、そもそも花に覚えがないようだった。
「白い花びらで、割と群生していましたわ。小さな花ですよ」
「今の時期に咲く白い花か」
「ええ。今までにも見た記憶はあるから珍しい花じゃないと思うのですけど……」
「じゃあ、見たら分かるかな」
「あら、私みたいに忘れちゃっているかもしれませんよ?」
小声で軽口を叩きながら、図鑑を丁寧に開いていく。こんな風に話すのは久しぶりだと思う。周りは本ばかりで、薬草なんて一つもないけれども。どうしたって懐かしい。
「具体的にはどんな形状をしていたんだ?」
興味が沸いてきたらしいラッセに合わせて、私も調べものに集中する。先ほど見かけた白い花を、できるだけ正確に思い出す。そうすれば、思いの外、あっさりと行き当たった。本当に珍しくはない花だったのだ。
「ふむ、毒草だな」
「もう少し穏便な言葉を選んでください」
たまたま近くを通りかかった学生が驚いているじゃない。いや、まぁ、毒草と言われれば、そうなのだけれども。ちゃんと観賞用の花でもあるのだ。
「ヴィートシッパだったのね。見慣れているのは赤や紫だったから、すぐに結びつかなかったのかしら」
「そうだな、観賞用としては華やかな方を選ぶだろうからな。白いものは野山に自然に群生している印象が強いし」
言われてみると、そうかもしれない。
「でも、そうすると学園ではあえて白い花を選んでいるということかしら」
学園に通う生徒が、植えられている花を勝手に手折ることはないだろうけど、茎の汁に触れれば炎症を起こす毒草であることも間違いではない花なのだ。安全面で言えば、少し微妙な花ではある。
「白のヴィートシッパの花言葉は希望と期待だからだろう」
「つまりあの並木道は希望と期待の道ですのね」
学び舎へと続く道が学生の未来と繋がっているのなら。もし毒を孕むものだとしても突き進むことが出来るのなら。学園の生徒への想いを垣間見た気がする。
「あと植物に無闇に触れる危険性は、今度の校外学習でも触れられるだろうから、その点もそう心配することはないだろう」
言われてみれば、湖や花畑に行った時にそんな話もあったわね。護衛を依頼して散策するだけではないのだ。
「校外学習の際は、よろしくお願いします」
せっかく話に出てきたので、改めて挨拶しておく。カールソン様とのことではご迷惑をかけるかもしれないからね。
「こちらこそ、よろしく」
ラッセの笑みには憂いはまるで感じられない。校外学習も三度目となれば、慣れもあるからかな。
「カールソン家の嫡男と話せるのも楽しみだな。先日は挨拶だけだったからな」
「そうなんですね」
一週間程度で社交的になるカールソン様はまるで想像できず、無難に頷くことしかできなかった。しかし、次の一言には思わず笑みが硬くなってしまった。
「ヴィンセント先輩も一度話してみたいと言っていたし、良い機会になるといいのだがな」
「……どこで、そんな話を?」
「この間、教室に訪ねてこられた時に、たまたまそんな話になったんだ」
事も無げに、無邪気な顔で告げられた言葉に、私の班はいくつもの思惑が重なった結果なのだと悟る。偶然でなければ運命でもない。もちろん、全く。私の希望と期待の道はどこへ続いているのだろう。
学園にも身分は存在するのだと改めて強く思った。