裏通りにはご注意
カフリンクスは、事前にイメージが固まっていたお陰で、すんなりとオーダーすることができた。フェイスには、お父様の緑の瞳に近いペリドットがはめ込まれている。バッキングにオリアン家の家紋を刻んでもらうので、仕上がり次第、また受け取りにくることになる。
貴族街にほど近いお店だけあって対応も丁寧で良かった。子供相手だからといって、下に見ることなく、きちんと客として接してくれた。また利用したいと思える。マーヤは王都にあるお店もきちんと把握してくれているようで助かる。
満足した気分でお店を後にした私は、ふむ、と考える。
昼食を済ましてから外に出てきたものの、まだ日は高い。商店の通りを歩く人たちも多い。このまま真っすぐ帰るのは、何だか勿体ない気分になる。
「あ、そうだわ。便箋も買いましょう」
家にあるものでも良かったけど、誕生日プレゼントに添えるものなのだ。せっかくだから新しいものを用意しよう。ダニエルの分も買うとして……好みに合うものを選ばなくちゃね。
「マーヤ、この辺りに便箋を取り扱っているお店ってあるかしら?」
「それでしたら、普段オリアン家で使用している商会が運営しているお店がいくつかあります」
「じゃあ、まずは一番近い所からお願いできる?」
「かしこまりました」
子供だからね。あんまり遠くまで歩く体力はないし、危険に遭遇する可能性はできるだけ排除したい。近場で済むなら、それに越したことはない。
私たちは人波に乗るように歩き出した。
「ところで、どこの商会なの?」
「グリーニング商会です」
ヴェロニカの頃には聞いたことがないな。あの頃は、火打石から宝石まで全てブローロース商会と言われていた。でもカロリーナの記憶にはない。これもこの十二年の変化なのかな?
「ねぇ、ブローロース商会って聞いたことある?」
隣を歩いていたマーヤの足が、ぴたりと止まった。顔には驚きの色が出ている。
「お嬢様、その商会をどこで聞かれたのですか?」
いつもは尋ねたことに、さっと答えてくれるのに……。どこで、と言われるとヴェロニカの記憶で、となってしまうのだけど、そんなこと言ったらお医者様の所に直行になってしまいそうだ。
「えーと、時事を扱った本に載っていたような?」
マーヤは思案したようだけど、やがて私の視線に合わせてしゃがむと、生真面目な顔をした。
「お嬢様、ブローロース商会は、今はもうほとんど存在しないのです」
「一軒もないの?」
「いえ、裏通りにあるのはあるのですが……」
ちらりと建物の間にある細い路地に目を向ける。貴族街、商店街は私も出歩くことはある。けど、平民街に繋がる裏通りは通ったことがない。
ところがヴェロニカの記憶には、ちゃんと裏通りの知識があるんだよね。
「お嬢様、興味を持たれても絶対に行ってはいけませんよ。毒を盛られますからね!」
子供への脅し文句として、それはどうなの、と思った私の視線がその裏通りに続く路地に釘付けになる。
「お嬢様?」
返事をしない私を不審に思ったようだけど、私は言葉を発せない。
茶髪がいたから。妙に上質な生地の服を着た茶髪が歩いている。私は知っている。その茶髪がプラチナブロンドを隠していることを!
何故? 何故なの? 第一王子って暇なの?
「あの時の……?」
マーヤも茶髪の存在に気付いてしまったようだ。
「とりあえずグリーニング商会のお店に行きましょう」
「ええ」
頷き立ち上がったマーヤと手を繋いで歩き出そうとした時、駆け寄る足音が聞こえた。
「お嬢様!」
ひぃっ! 呼び止められてしまったわ! こっちから見えているなら、そりゃあ向こうからも見えているよね!
無視したい。したいけど、無視したら首が飛びそう!
マーヤがぎゅっと握り返してくれる。震えそうになった足に力が入る。侍女と手を繋いだ状態で迎えるなんて、マナー的に微妙だけど、今は平民相手ということで大目に見てほしい。
「先日、助けて頂いた者です!」
緊張している息を整えていたら、ロイヤル全開スマイルが飛んできた。
「ま、まぁ、あの時の……お怪我はもう大丈夫かしら」
「はい、お嬢様に助けて頂いたお陰です」
手当てをしたのはマーヤだし、その後の経過を診たのはたぶん侍医だろう。私は声を掛けただけだ。
「その先日のお礼をさせてください!」
王子様からお願いされちゃっているよ。どうしたらいいの。今回も相手は平民と言い聞かせて乗り切る?
「先日も伝えましたが、礼には及びませんわ」
「ですが……あ、でしたら私は商会に伝手があるので、良ければ本日のお買い物の手伝いをさせてください」
商会に関わりのある裕福な平民を名乗ることにしたのね。確かにその方が違和感は少ないか……。
商会長は、国内の経済に与えた影響によっては、準男爵を賜ることもある。騎士爵と同じで一代限りのものだけど、男爵家の令嬢と関わるには悪くない爵位だとも言える。ブローロース商会の商会長も準男爵だった。その商業界隈の権力の大きさを持って、息子は並み居る貴族子息とともにアンナさんの取り巻きができていたのだろう。その貴族子息たちが廃嫡されていることを考えれば、ブローロース商会の凋落にも納得はできるかな。
色々と腑に落ちた所で、目の前のこれはどうしようか。
現状、男爵家と釣り合う裕福な平民のふりをしているけど、実際は王族だ。どれくらいの頻度で街に下りてきているのか分からないけど、遭遇する度に、こんなふうに声を掛けられては困る。
今回でさくっと終わらせた方がいいかな?
ちらりとマーヤに視線を送ると、一度頷かれた。仰せのままに、ということだ。
「では、今便箋を探していますの。どこか良い所はあるかしら」
裏通りから出てきた商会縁者の平民を装う王族。一体どんな店に案内されるのか。高級店なのか、平民の行く店なのか、はたまた露店なのか。想像がつかない。
「ご案内致します!」
元気いっぱいに頷かれてしまうと、やっぱりいいです、とは言えない。
「お嬢様はお疲れです。できるだけ近くでお願いします」
裕福な平民と割り切ったのか、マーヤの言葉に迷いはない。私のことを思って言ってくれたんだろうけど、心臓に悪い。いや、有難いんだけどね。思わずマーヤの首筋を見てしまった。とりあえず、繋がっている。どこかに潜んでいるであろう護衛が、いきなり切りかかってきたりしないよね?
「かしこまりました。こちらです!」
私の不安をよそに笑顔で歩きだす、というところで立ち止まった。
「あ、すみません。つい気持ちが先走ってまだ名乗っておりませんでした。私、ラッセと申します」
確かにここまできて名乗らないのも不自然か。ただラーシュという正式名はさすがに言えないか。愛称とも取られそうな名前……深く考えてはダメね。家名を伏せてくれたことには感謝しよう。
「私はカロリーナよ」
名乗り合ったものの、親しく会話をするということはなかった。ラッセは、案内人に徹してくれていた。紹介されたお店も、便箋の種類が豊富なだけでなく、美しい絵葉書も取り揃えていて、思わず目移りしてしまった。ラッセは、あれこれと口出すことなく、不必要には関わってこなかった。案内までの押し具合とは随分違う。あくまでも貴族の令嬢を案内した平民というスタンスなのかな。
さて、私とダニエルの分を選び終わった所でマーヤの方を向くと、手には見慣れない白い箱が。
「これは……」
「手当てをして頂いたお礼です」
「え……」
「本日はお時間を頂きありがとうございました」
深々と頭を下げられてしまうと何も言えなかった。王族に頭を下げさせてしまっている。さすがのマーヤも動揺したようで少し震えていた。
ラッセの笑顔はまぶしかった。
箱の中身はクッキーの詰め合わせだった。私が便箋を選んでいる間に、隣のお菓子屋でさっと買ってきていたようだ。手当てしてくれたマーヤへ、と言われると断ることもできなかったそうだ。お嬢様とご一緒に、とも添えられたようで抜かりない。お店に案内するとなった時から決めていたのだろう。
王族からの贈り物。重い。重いけど、お菓子に罪はないので食べた。とても甘くて美味しかった。