談話室
王立フルユース学園には、談話室なるものが多く用意されている。寮の各階はもちろん、学内の至る所にあるのは、平民や騎士爵の子からすると、驚くところかもしれない。そんなにお茶会がしたいのか、と眉を顰める人はヴェロニカの頃にもいたわね。
だけど、学園は学びの場なのだ。それは知識を深めるという意味だけではない。経験を積むための役割も担っている。
社交についても、その一つ。
あちらこちらに談話室があると言っても、格式に合った場所をきちんと選ぶ必要があって、学内のことを正しく把握していないと、利用するのは少し難しかったりするのよね……。
今回に限っては、そんなことを言っている場合じゃないので、問答無用で一番近い談話室を利用したけどね! それでも王族を迎える最低限のランクはクリアしているのだから、いかに豪奢な校舎なのか察せられる。
「殿下、確認したいことがございます」
「何だろうか、カロリーナ嬢」
にっこりと微笑み、紅茶に口をつけるラッセは、とても気品のある王子様だ。この方が昔は薬草を背負っていたのよ、と言っても信じる人はいないだろう。
「学問の前には皆平等だと学園長先生はお話されました」
「そうだね。身分は時に学問の探究の妨げになる可能性もあるからね」
「ええ。ですが、同時に社交を学ぶ場でもございます」
「談話室が至る所に存在するし、ダンスの授業もあるくらいだからね」
「そうですわ。そして、社交には適切な礼儀が必要だと思いますのよ」
「つまり?」
私が言いたいことは分かっているだろうに。あえて気付かないふりをしているのだろうか。そんな態度でさえ、王族の余裕に見えてしまう。だけど、だからこそ将来のためにきちんと進言する必要がある。
「王族と男爵家が会話するには、いささか距離が近いように思うのです。殿下は、如何お考えですか?」
ラッセは一拍考える素振りを見せた後に、笑顔を覗かせた。
「身分という意味であれば問題ないだろう。ここは学園だ。この機会に様々な人と触れ合い、見識を広めたいと考えているよ」
うん、それが本来の学園の理念にも適っているとは思うのよ。でも、社交って、そんなに公平で優しいものでもないのが現実なのだ。
「でも、そうだね。淑女と接するには近すぎただろうか。すまない。カロリーナ嬢は大切な友人だから、つい見誤ってしまったようだ」
あっさり謝罪した上に、捨てられた子犬みたいな瞳をするのはずるい。つい手を伸ばして慰めたくなるじゃないか。そこはヴェロニカの精神力でぐっとこらえたけども。友人でいたいという本音までは隠せなかった。
「友人……でしたら、ある程度は仕方ない、ですわよね……」
「そうだろう?」
「ええ……」
「では、学園でも今まで通りカロリーナと呼んで良いだろうか? 私のことはもちろんラッセと呼んでくれ」
ん? あれ? ラッセのある程度の範囲は思いの他、広いぞ?
「人の目がある所で、そんなふうに呼びあったら色々と問題ありますわ!」
「つまり、二人きりの時は問題ないと?」
「え?」
確かに三年前なら問題ないように思えたし、何なら手紙なら今でもそのままだ。けれど、実際に成長した本人を目の前にすると、本来の礼儀が掠めるのよ。でも、友人関係を大切にしたい気持ちは確かにあって……。
思考の海に落ちそうになった所で、うおっほん、と盛大な咳払いが響いた。
「少なくとも今は二人きりではないよ?」
王族の次に身分の高い公爵家嫡男であられるヴィンセント様のにこやかな笑顔は、ちょっと怖い。お兄様の怒った時を思い出すのよ。ついでに甥っ子に窘められる状況に、心のヴェロニカが羞恥している気がする。
一つ息をついて辺りを見回せば、冷静になる。ええ、エステルやベアトリスだけじゃなく、アルフォンス様まで気まずそうな顔をされていたらね。
更にヴィンセント様とアマンダ様までいらっしゃるのだ。入学式を終えた後に声をかけてきたラッセは、一人ではなかったのだ。一対一で相対するよりはマシなんだろうけど、入学早々に悪目立ちしたことには変わりないよね……。
「失念していた、すまない」
さらりと非礼を詫びる態度は王族としては悩ましいところだけど、人としては好感が持てると思う。この三年でラッセは成長したけど、根本の部分は変わっていないのかもしれない。ほっとしていた。
「いや、構わない。ラーシュは確かに王太子殿下のお子なのだと実感していたところだよ」
「それはどういう意味だろう?」
実子であることを疑っていた、というより、似ているというニュアンスが強い言葉に、ラッセはとても嫌そうな顔をしている。対するヴィンセント様は笑顔でかわしているけれども。確かにお兄様のお子ね、と実感している。それとともに、二人が対等な関係であることに安堵しいている自分がいる。
カチャリ、とカップを置く音が静かに、でも確かに響く。
「お兄様もラーシュ様も程々になさって? 皆さん、お困りよ?」
アマンダ様のにこやかな言葉に、二人は姿勢を正していた。うちの姪っ子が強い、と誰かが囁いた気がした。
まぁ、あまりデリケートな話をするものでもないわよね。談話室にいるのは私たちだけじゃない。給仕をしてくれる人たちもいるのだから。心を落ち着けるように、みんな、揃って紅茶を一口飲んでいた。それからアマンダ様がすっと片手を上げると、給仕の方々がいなくなった。
あら、この話題、続行ですか?
「ラーシュ様がカロリーナのことを構いたくなる気持ちも分かりますのよ」
構いたくなる……。何だかペットのような扱いだ。
「この三年、我慢なされましたものね。ご褒美は大切ですもの」
ラッセがペットで、私は玩具……?
「そうして構えば構うほど、周囲の人間関係も浮き彫りになるでしょうしね。王太子妃殿下の反応も楽しみですわ」
あれ? 何だか囮みたいな扱いまで急降下しているけど、気のせいかしら?
「アマンダ嬢、それ以上言えば侮辱と捉える」
「申し訳ございません」
ラッセの青い瞳が冷え切った氷のようだった。だけど、アマンダ様は慣れ切ったように謝罪されている。この三年の間に、ラッセと公爵家の関係がどうなっているのか非常に気になるけど、今聞くタイミングではないことは分かる。
それに、王太子殿下の治世になった時に、国がどういった方向に舵を切ることになるのか。公爵家が気に掛けるのは当然のことではあるのよね。
王族と男爵令嬢。
私たちが親密であればあるほど、人々は現王太子夫妻とのことを考えるはずだ。二代続けて男爵令嬢が妃に選ばれば、今まで国に貢献してきた高位貴族たちはどう思うだろうか? たかが男爵令嬢。されど高位貴族の養女になってしまえば何も問題ない。そんな前例を間近で見ていた人々の思惑はどう動くのか。
学園は国の縮図。私の立ち位置は、将来を計る囮として有用性が高いと自覚する。
紅茶を飲み切る頃には、冷静な思考が回っていた。それは周りも同じだったのか、落ちついたお茶会の雰囲気になっていた。子爵令嬢のエステルは、まだ気まずさが拭えていない気はしたけど。
「おや、ラーシュ殿ではないか」
談話室を出たところで、朗らかな声がした。
涼やかな目元に、すっと通った鼻筋。整った見目ではあるものの、黒髪に浅黒い肌は異国の血を感じさせる。初めて見る顔だ。
「クリスティアン殿。貴公もお茶会かな?」
「いえ、たまたま通りかかっただけさ」
周囲にいる人々に目配せするも、にこやかで穏やかな雰囲気だ。友人という距離感がとても合う。
「そちらの方々は初めてですね?」
ラッセとの会話もそこそこに、視線は私たちの方を向く。公爵家の二人とも面識はあるのか、新入生四人を捉えている。
「隣国バルグリング王国より留学しているソールバルグ公爵が一子、クリスティアンだ」
流れるような礼は、高貴さを微塵も隠さない。私は笑顔を崩さないように気合いを入れた。