天使からの贈り物
カタログを見ても、お父様の贈り物にピンとくるものはなかった。やっぱり直接見て選びたいわ。ヴェロニカだった時は、公爵令嬢でも王太子妃でも街に買いに行くなんてできなかったから、お出掛けと考えるだけでワクワクする自分を感じる。商人が持ってきた品格に合う商品を見るのも、楽しくはあったけど……。自分の好きなものを手に取って選ぶ楽しみを知った今では、物足りない。
とはいえ、すぐに出かけるのは難しそうだ。先日出かけたばかりだし、帰ってから寝込んじゃったからなぁ。
午前中は語学と教養、午後からはダンスの授業が入っていたりもするので、ゆっくりと出掛けられる日というのは、意外と少ない。
「はい、では、今日はここまでにしましょう」
パチリ、と手を叩く音がして、今がそのダンスの授業だったと思い出す。上の空でステップを踏んでいたわ。
「先週から随分と上達しましたね。この調子で練習を重ねていけば、将来、パーティーの花にもなれますわ」
「……ありがとうございます」
先生の誉め言葉が申し訳ない。基本のステップだからって疎かにしてはいけない。次回はもっと集中しよう。
実際、上達はしている。ヴェロニカの記憶があるお陰で、踊る感覚に慣れがあるのだ。ただ記憶がある分、拙さが際立って感じられもするので一長一短である。ヴェロニカと比べれば背格好も違うし、筋力も体幹も弱いのだから仕方ない。今後の身体の成長に期待ね。
まだまだ小さい自身の身体を見下ろしていると、コンコンとノックの音がする。
「お姉様!」
返事をする前にドアを開けたのはダニエルだ。きらきらとした笑顔は、疲れた体の癒しだわ!
すぐに駆け寄りそうになったけど、その前に一言。
「ダニエル、返事を聞く前にドアを開けてはダメよ」
「あ、ごめんなさい」
「うん、次からは気をつけようね」
しゅんとするダニエルに近づいて、頭を撫でてあげる。ふわふわの赤茶色の髪が手のひらに気持ちいい。目を細める様は、ますます可愛がってあげたくなる。マナーに顔をしかめかけたダンスの先生の顔もにっこりだ。
「それで、今日はどうしたの?」
「お姉様と相談したいことがあって……」
「私と?」
何だろう。ざっと最近の様子を思い返すけど、心当たりは特になかった。けれど、私は頷いた。
「分かったわ。着替えてくるから、部屋で待っていてくれる?」
「うん!」
笑顔を浮かべたダニエルは、一礼して、今度は礼儀正しく部屋を出て行った。
さて、私も手早く着替えなくては。ダンスを終えたばかりだから、マーヤに念入りに汗を拭いてもらう。ヴェロニカの頃なら即お風呂になったんだけど、男爵家に一日に何度もお湯を満たす余裕はないから仕方ない。汗臭くないよね?
――お姉様、臭い!
なんてダニエルに言われてしまったら、また寝込んでしまうわ。
マーヤが用意してくれた普段着用のドレスは、初夏に合う青い生地で、ちょっとお姉さんっぽい落ち着きもある。胸元の可愛いリボンは年相応だけどね。
着替えて気分新たにダニエルの部屋を訪れると、ちょこんとソファに座っていて、また撫でたくなるけど、今は我慢する。
「ダニエル、お待たせ」
「ううん、全然待ってないよ」
向かいの席に座ると、マーヤがタイミングを見計らったように紅茶を置き、ダニエルの専属執事であるマルクス・ベルマンがお菓子のお皿を置いてくれる。ダンスで疲れた体に甘い香りが優しい。
「ありがとう」
ダニエルと声を揃えて礼を伝えると、二人とも笑みを浮かべてからドアの傍に控えた。
まずは喉を潤そうと紅茶に口をつける。ふんわりと柑橘系の匂いがした。そのことに安堵してしまうのは、ヴェロニカの記憶のせいだろうか。あの頃はどこに毒が仕込まれているのか、常に気を張っていた。匂いの強い飲み物なんて安心して口にできなかった。
今は信頼できる人たちに囲まれている。そのことがとても嬉しい。
「お姉様、相談のことなんだけど……」
少し言いづらそうに、もじもじしているのがまた可愛い。いや、将来当主になるのだからはっきりしなさいと言うべき? いや、やっぱり可愛い。
「どうしたの?」
結局、猫なで声で先を促していた。
「その、お父様の誕生日プレゼントって決めた?」
「え、まだよ」
記憶の彼方にぶっ飛んでしまっていたから。親不幸でごめんなさい。
「カタログを見てもピンとこなかったから、今度外出の許可を取ろうかと思っていたところよ」
「そっかぁ。いいなぁ」
ダニエルはまだ八歳。お茶会デビューをする十歳までは、基本的に邸宅の外に出ることは許されない。周囲の人々にお披露目できるマナーを十歳までに身に着けなければならない、という教訓からきていることに表向きはなっている。
実情としてはもう少しシビアで、十歳までに命を落とす子供は貴族の家でも多いからだ。死んでしまってはお披露目した意味もなくなってしまう。不仲な正室と側室がいる家だと、子供の頃は地獄だろう。
愛情がもう少しある話をすれば、十歳ならある程度足腰も出来上がっているので、万が一、街中で悪人に遭遇しても逃げることができるからだ。ろくに走れない子供では護衛の負担も増してしまう。
そう、駆けっこも立派な鍛錬なのよ!
「もし悩んでいるものがあるなら、一緒に選びましょうか?」
「うーん、カタログを見てもこれってものがなくて」
姉弟だな。二人とも実物主義のようだ。とはいえ子供のお小遣いの範囲なので、選ぶものにも限りがある。
「マーヤ、カタログはある?」
声を掛けると、さっと出てきた。いつの間に準備していたのか……。
「ありがとう」
受け取ったカタログを改めて見てみる。子供でも手が出るものなら、基本はハンカチ。少し欲を出すならカフリンクスだろうか。どちらも素材次第では、とんでもない価格になるけども。
「ねぇ、ダニエル。カタログを見て、もっとこうだったら良かったのに、って思うものはあった?」
「それなら、いくつかあるよ」
「じゃあ、それを教えて。ダニエルが希望するものを一緒に買ってくるわ」
「え、お姉様が? いいの?」
「もちろんよ」
可愛い弟のためならお使いもどんとこいだ。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「ええ」
笑顔で頷けば、二人でカタログを覗き込む。あーでもないこーでもないと言い合っていると、一人で見た時はイマイチだったものも違う見方ができて、贈り物のイメージが出来上がってくる。
結果、ちょっと値段が高めなランクになりそうだったので、二人で一つのものを贈ることにした。二人で吟味したカフリンクスだと言えばお父様も喜んでくださるだろう。右手はカロリーナ、左手はダニエルと思ってねって添えればイチコロだ。たぶん。
「それぞれからもらった方がお父様は嬉しいかなぁ?」
ダニエルはちょっと不安そうだ。姉よりも少し繊細なのかもしれない。でもイメージが固まった後だと、他のものではしっくりこない。
何か良い案はあるかな……くるりと視線を巡らせば、ダニエルが勉強に使っているテーブルが目に入る。
「そうだわ、手紙を書きましょう!」
「手紙?」
「そうよ。ダニエルも今語学の勉強を始めているのでしょう?」
「うん、でもまだ簡単な文しか書けないと思うよ」
「それでもいいのよ」
息子からの初めての手紙なのだ。お父様ならきっと家宝になさるだろう。ダニエルは少し思案したようだけど、やがて笑顔を見せてくれる。
「僕、手紙、書く!」
気合いの入った声に微笑ましい気持ちになった。