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無知なる子 5

 三つ目の幸運は、エドヴァルドが誠実な人だったことだ。


 王城の外に出た、という意識は当初なかった。誰にも見つからないように、追いつかれないように、少しでも遠くへ行こう。前回とは別の道を使おう。そんな、王城でかくれんぼしている感覚に近かったように思う。

 だから、とても驚いた。扉を開けた先に、全く知らない人がいたから。


――おや、この扉を最初に開けるのが子供になるとは。驚きましたね。


 言葉とは裏腹に、とても落ち着いた様子で私を見下ろしていた。隠し通路は地下に張り巡らされている都合上、出口は床ということがままあった。私は言葉を返すことも這い上がることもできず、ただ男の顔を見ていた。陛下や護衛よりも大分年若い。王太子殿下よりも年下だろうか……。でも、自分よりは確実に年上の、たぶん大人。


――警戒されているのですか? 良いことですよ。


――……誰?


 妙に親しげに話しかけてくる男に、勇気を出して尋ねれば、にっこりと微笑まれた。陛下の笑みのような安心感はない。


――これは失礼致しました。エドヴァルド・セッテルホルムと申します。


 当然、初めて聞く名前だった。


――何してる人?


 もう少し探る必要があるかと思い、質問を重ねる。護衛と回答されたら、少しは安心できる気がした。だけど、答えは意外なものだった。


――今は主に薬を売っていますよ。裏通りで。


――裏通り?


 強調して言われた言葉に目を丸くしていた。


――ここは王城じゃないの?


――違いますよ。


――王城の外?


――ええ。主に平民の住む地域ですね。


 遠くへ行こうとは思った。でも、王城の外に出るつもりはなかった。不安な気持ちがせり上がってくる。今は何時くらいなんだろう。すぐに引き返したとして、夕食の時間までに自室に戻れる距離なんだろうか。陛下に遭遇した際も、メイドたちが怒られている雰囲気はなかった。だから、ある程度は大丈夫と思っていたけど、一日帰らなかったとしたら、さすがにダメだと思う。親しくないからと言って迷惑をかけたい訳じゃない。

 それに、部屋の外へ出る機会を失うのは、何だかとても怖かった。


――大丈夫ですよ。


 考え込んでいると、ふわりと抱きかかえられていた。


――おや、殿下は随分と軽いですね。まるで羽根のようですよ。


 そんな訳ない、と不安を他所に、憮然とした気持ちになる。でも、頭を撫でられるとその気持ちも霧散してしまって、変な気分だった。


――殿下、ここまでの道のりは覚えていますか?


 再度、話しかけられて頷きながら、疑問が口をついて出ていた。


――エドヴァルドは私が誰か知っているの?


――ええ、存じていますよ。ラーシュ・シェーナ・フォン・スコーグラード殿下。


 名乗ってもいないのに殿下と当然のように呼び掛けるエドヴァルドは、やっぱり警戒すべき相手なんだろうか。そんな私の思案も見透かしたように、エドヴァルドは言葉を足す。


――あの扉を開けられる人は限られていますからね。何よりプラチナブロンドの髪色をされていますから。


 安心させるような柔らかな口調に混乱する。ただの優しい人に思えてしまって……。

 エドヴァルドは私を椅子の上に座らせる。今更に辺りを見回してみると、庭園の小屋よりはしっかりとした造りのようだった。でも、王城に比べれば大分貧相で、風が吹けば飛んでしまいそうだと思ってしまう。そして何より、辺り一面の棚と緑が圧巻で、王城とは違う場所なのだと実感させられる。


――ここは薬草の貯蔵庫なんですよ。


 私の視線に気付いたのか、何も聞いていないのに教えてくれる。言われてみると、そうとしか見えない。椅子とテーブルは簡易な作業用のためのようで、さして大きくもない。私の出てきた扉も、薬草を地下にも貯蔵していると言われれば、違和感がない。


――さて、殿下、こちらをご覧ください。


 テーブルに広げられたのは、王都の地図のようだった。


――殿下が今いらっしゃるのは、こちらです。


 指で示された場所は、王城から辿り着くには随分と遠いように見えた。ただし、それは地上の道を使った場合だ。王城を囲むように広がる貴族街。その更に外側を楕円形の形で広がる職人街と平民街。裏通りと呼ばれる平民の住まう地域は、意外なことに直線距離だと王城からあまり離れていない。表通りの平民街の端よりよほど近い。もちろん王城の外だから、距離があることに変わりはないけど……。


――割と近いでしょう?


――そうだね。


――裏通りは、王都が増築される過程で出来た隙間のようなものですからね。裏通りと呼ばれる場所は、王都のあちらこちらに点在しているんですよ。


 なるほど、と頷く。王都の歴史を教わる中で、今後学ぶことになる部分かもしれない。


――なので、隠し通路を使えば、夕食のお時間までに帰ることは可能ですよ。


 言葉ではっきりと断言されると安心感があった。

 そうなると、俄然周囲のものに興味が沸いてくる。


――ねぇ、エドヴァルド、あの薬草は何に使うの?


 警戒心まで放り投げたような態度に、エドヴァルドは苦笑しながらも、一つ一つ丁寧に教えてくれた。平民の住む家は、王城に比べて手狭だけど、その分ぬくもりが近いように思えた。

 やがて、私の興味は家の外に向かった。でも、エドヴァルドはすぐには首を縦に振ってはくれなかった。


――殿下の今の出で立ちは、平民街では悪目立ちするでしょう。


――悪目立ち?


――ええ。今外に出れば明日には外国へと売り飛ばされているでしょうね。


――人身売買ということ? 今の法律では禁止されているんじゃ?


 王国の歴史の中で、奴隷制度がなかった訳じゃない。けれど、それは過去のことだと習っている。


――随分と勉強されているようですが、それはあくまでも歴史の話。現実は異なるのです。法の目を掻い潜ろうとする者は、いくらでもいるんですよ。


 衝撃だった。諭されるように言われた言葉は、習うだけ、聞くだけでは得られないものだった。

 そして、それは目を背けてはいけないことのように思えた。


――外に出るためにはどうしたら良いだろう?


 私の言葉は想定外だったのか、エドヴァルドは目をぱちくりとするとだけで、答えてくれない。


――エドヴァルド?


 名を呼べば、咳払いされた。顎に手を添えて、戸惑いを含みつつも答えてくれる。


――まずは髪色を隠すためにかつらを用意する必要がありますね。それから服装も、もっと地味なものを用意しないといけません。身体は……痩せているので大丈夫でしょうか。


 大丈夫と言いながらも、エドヴァルドの目は不審そうだ。


――殿下は今何歳でしたでしょうか?


――今年の春に七歳になったよ。


――七歳……。


 確か、お茶会など外の催しに出られるのは十歳と聞いている。街に出るのも同じだったろうか……。王城の外に出ている今の状況は、もしかしたらとてもマズイのかもしれない。今更に冷や汗が背を伝う。

 けれど、エドヴァルドは追及してくることはなかった。


――まぁ、どうしても外に興味があるのでしたら、一週間ほどお待ちください。その間にかつらを用意しておきますから。


 内心安堵しながら、分かった、と頷いていた。そして気になっていたことを尋ねた。


――かつらって何?


 髪色を隠すかつらが何なのか、私には皆目見当もつかなかった。エドヴァルドはゆっくりと瞬きをした後で、笑みをこぼした。


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