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扉の向こう

 祈りの時間は、静かに幕を閉じた。まるで一枚の絵画のように見えたアマンダ様と女神ヴィネア様の像の構図は、あっさりと消えてしまって、夢から覚めた心地だった。


「女神ヴィネア様との対話はいかがでしたかな」


 猊下が意味ありげに尋ねられる。中央広場で贄の踊りを奉納する日に、わざわざ伝統衣装を着て神殿に祈りに来る王族と貴族と。客観的に見て、変わり者の四人組かもしれない。


「とても有意義なものでしたわ」


「それはようございました」


 アマンダ様も猊下も柔和な笑みで顔を覆っており、感情を読むのが難しい。


「いつか、猊下ともゆっくりと対話ができる日を楽しみにしておりますわ」


 平民であれば叶えるのも難しい夢。けれど公爵令嬢のアマンダ様なら、そう遠くない未来に実現しうること。だから、ただの社交辞令にも日常会話にも聞こえる。なのに、不穏な気持ちにさせられてしまう。

 猊下は優しい笑みを返されるだけだった。

 無論、その真意をこの場で確認することなどできる訳もなく、最敬礼をして御前を辞して、扉の前で待っていたマーヤとパウルと合流した。

 神殿の外は、もう夕闇の薫りをまとっていて、一歩進むごとに夜が深まっていく。


「この後はどちらへ?」


 アマンダ様は試すように問いかけられる。


「噴水広場の方へ参りますわ」


 きっぱりと答えれば、アマンダ様は笑みを深くされた。

 ランタンに明かりが灯り、昼間とは違う賑わいに包まれている通りを歩きだす。子供たちの姿は減り、代わりに酔っ払いたちが散見する。それでもまだ良識ある大人たちが多いのか、トラブルは見受けられない。神殿の近くということもあるかもしれない。

 お忍びに慣れたラッセも、この時間に外を出歩くことはないようで、珍しそうに辺りを見回している。


「何か気になるものでもあります?」


「いや、人々の活気が面白いだけだよ」


「面白い?」


「人々のたくましさ、生活力とも言えるかな。それらを眺めていると、何だか前を向ける自分がいるんだ」


 平民たちの活気は、貴族にはないものかもしれない。下品と蔑まれるだろうから。でも、第一王子の望むものが、きっとあるのだ。

 ちらりとアマンダ様とアルフォンス様を見遣る。二人は平民たちの活気を特段気にかけている様子はなかった。けれど、蔑みもない。優しさが灯っているように見えた。

 マーヤとパウルは落ち着いた表情ね。昼間より騒がしい人々を、若干警戒しているようにも見える。酔っ払いは時に予測不能の動きをするものね……。


 喧騒の中にあって、私たちは異質な気がした。だからか、誰も絡んでくることもなかった。孤児院の子たちなら、と思ったけど、屋台はもう撤収した後だった。時間も時間だし仕方ない。中央広場で踊っている人も、昼間より年齢層が上がっていたしね。本気の恋が成就する場となっているようで、お揃いのリボンをつけている人が多かった。

 約束の時間までまだ余裕はあったから、人々を眺めながらゆっくりと歩いた。ラッセの嬉しそうな表情を長く見られて、何だか温かな気持ちになった。

 同時に、この方はやはり王の器を持った方かもしれない、と思った。


 噴水広場も、日中とは雰囲気が変わっていて、噴水は恋人たちの憩いの場となっているようだった。今日、カップルになった人たちもいるのだろうか。熱気をすごく感じる。お陰で、すぐ後ろにある時計台には誰も注目していなかった。この状況を見越しての場所指定だったのかしら。


「暗号は無事に解けましたのね」


 アマンダ様は満足したように頷いている。


「夜の八時までには、まだ少し時間がありますが……」


 時計台は夜の七時半を回る所だった。神殿からここまで、思った以上にゆっくりと歩いていたようだ。日没の頃合いから考えるに、一時間ほど経っている。通常なら、大人の足で三十分程度だろうに。


「大丈夫ですわ。もう待っているでしょうし」


「待っているとは、誰のことだろうか?」


 ラッセが慎重に尋ねる。アマンダ様は柔らかな笑みを浮かべる。


「ご心配には及びませんわ。殿下に危害を加えるようなことはございませんわ」


 殿下に、ということは、私はどうなんだろう。今更にちょっと緊張してくる。そんな私の様子に気付いたのか、アマンダ様は私にも笑みを向けてくれる。


「誰にも、危害は加えませんわ」


 アマンダ様はアルフォンス様を伴って、時計台の入り口へと私たちを誘う。扉の前には、昼間にいなかった警備兵が二人いた。その二人は、アマンダ様の顔を見ると礼を執り、何も言うことなく扉を開錠した。


「当家の騎士ですのよ。ご安心くださいな」


 どうやら豊穣祭時の時計台の管理権を、アールクヴィスト家が買い取ったらしい。アールクヴィスト家の手中に収まるような感覚を覚えながらも、私たちは時計台へと足を踏み入れた。

 時計台は、入ってすぐに階段があった。螺旋状の階段は緩やかなようで、実際に歩くと大分勾配が急なようだった。平民用の平べったい靴で良かったと思う。


「アスクニェンの物語は、お二人もお読みになられましたの?」


 アマンダ様は、そんな階段でも平然とした様子だ。アルフォンス様が、一応気にかけていらっしゃるようだけど。こう見ると、本当に護衛騎士みたいね。


「いや、生憎と読んだことはないんだ」


「私は、昔に読んだことがあります」


 ラッセと私の回答に、アマンダ様は微笑まれる。


「では、暗号を解かれたのはカロリーナ様?」


 正直に答えると、ラッセの矜持を傷つけるかしら。なんて一瞬考えてしまったけど、ラッセはさらりと返事をしていた。


「うん、そうだよ。カロリーナは暗号が好きだしね」


「え、待ってください、その評価は何ですの?」


「だって、アードルフとパウルの手紙のやり取りの時も暗号を引き合いに出していたから、好きなのかなって」


「……ちょっとした憧れですわ」


 今思えば、お父様とお母様のことに加えて、『灰かぶりメイド』の読書経験がヴェロニカにあったが故に、好奇心が刺激されていたんだろうな。


「ふふふ、カロリーナ様は『灰かぶりメイド』がお好きなのかしら」


「そうですね」


 今更否定しても仕方ない。嘘ではないけど、嘘をついているような気分になる。オリアン家のカントリーハウスには置いていたかしら。今度、領地に帰った時に確認しておこう。


「『灰かぶりメイド』は叔母の愛読書の一つでもあったのですよ」


「叔母?」


 アマンダ様の叔母って、つまりはヴェロニカのことよね?


「ええ、父が叔母のことを時折り話して聞かせてくれるのですわ」


 ヨハンネスお兄様……。お兄様の中で、わたくしのことは良い思い出になっているのかしら。それとも忘れられぬ記憶になっているのかしら。


「父の話を聞いていると、考えてしまうのです。何故、叔母は殺されなければならなかったのだろう、と」


 時計台の中には、他の目も耳もないはず。分かっていても、周囲を確認してしまう。秒針の音が、一際大きく聞こえた気がする。規則的な音が私の緊張感を引き上げる。

 だけど、振り返って見下ろすアマンダ様の瞳は柔和なままで。ラッセを呪い子と蔑む様子は見られなかった。むしろ大切に慈しむような眼差しだ。

 再び前を向いたアマンダ様は、淡々と語り続ける。足音が秒針に重なって、リズムを刻むようだ。


「叔母は果たして幸せだったのかしら。国が、王家が、叔母を蝕んだように思えてならないのですわ。陛下はまだ人格者であると思いたいのですが……」


 アマンダ様は小さく溜め息をつかれる。


「王太子殿下は、決断力はなく、夢見がちで、困った暗愚ですわ」


 ……公爵令嬢なら、十一歳でもレオナルド様に会う機会はあるのかしら。うん、あったんだろうな。だからこその率直な評価なのだろう。アードルフはこの会話をどこかで聞いているのかしら。アマンダ様の首筋をじっと見つめるけど、特に問題はなさそうだ。

 そして、父親を罵倒されたに等しいのに、ラッセは平然とした様子だ。やはり、父親としての実感はないのかもしれない。


「不敬でしたわね」


「いや、問題ない」


 なんて、きっぱりと答えちゃっているもんね。ラッセの王城での十二年を考えてしまう。


「この国の未来は憂うことばかり。なので、まずは同志を集めることにしたのですわ。アルフォンス様にも色々とご助力頂きましたの」


 にっこりと笑みを浮かべるアマンダ様。それは十一歳の少女の笑みではない。アールクヴィスト公爵令嬢の笑みだ。

 ヨハンネスお兄様は、アマンダ様に一体どんな風にヴェロニカのことを話したのだろう。一種の洗脳状態に陥っているのではないかと、危機感を覚える。アマンダ様のお言葉は、きっとヨハンネスお兄様のお言葉。

 私は、少し畏怖を覚えた。


「この先の出会いが良いものであることを願っていますわ」


 階段を上り切ったアマンダ様は、そっと目の前の扉に手をかける。重厚そうに見えた扉は、でも、簡単に開いた。


――この先に、ヨハンネスお兄様がいらっしゃるの? それとも別の同志の方が?


 マーヤとパウル、そしてラッセと目配せする。誰もここで戻ることを提案はしなかった。アマンダ様の胸の内を聞いた以上、ただでは帰れないと理解している。

 アマンダ様、アルフォンス様に続いて扉の向こうへと進む。時計盤の真下の部屋なのだろう。今まで以上に秒針の音が響いていた。部屋は、燭台に火が灯されていて存外明るい。

 誰がいるのだろう。

 さして広くはない部屋。これといった調度品もなく、一見すると空き部屋みたいだ。そんな場所に馴染む人影が一つ。


「若き太陽、ラーシュ・シェーナ・フォン・スコーグラード殿下にご挨拶申し上げます。アールクヴィスト公爵が一子、ヴィンセント・アールクヴィストにございます」


 深く、深く礼を執るのは、ヨハンネスお兄様ではなかった。だけど、顔立ちがとてもよく似た彼は、ヨハンネスお兄様の息子を名乗った。

 星、ではなく、太陽。彼の言葉は私の心拍数を上げる。


 遠くで花火の上がる音がした。豊穣祭ももう終盤なのだ。窓が華やかに彩られ、私たちを照らす。幾重にも広がる夜空の花は、美しいことだろう。新たな出会いを祝う祝砲となるのか、戦火を開く轟音となるのか。今の私には、まだ分からなかった。

 震えて微かに触れた指先。私はラッセと手のひらを重ねた。


これにて第1幕終了です。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

また、ブックマーク、評価、いいね もありがとうございます。

幕間を挟んで第2幕へと続きますので、引き続きお読み頂ければ幸いです。

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