神殿
アルフォンス様のそばにはいつもの従者の方。そして、伝統衣装を可憐に着こなす美少女。その柔和な笑みには見覚えがあって……。
「アマンダ様?」
ラッセの手を借りて立ち上がった私は、呆けた声をこぼしていた。
「ええ、アマンダですわ、カロリーナ様」
「……こんにちは?」
一瞬、カーテシーをしそうになったけど、二人とも伝統衣装を着ている。平民はきっとカーテシーをしない。二人とも様付けで名前を呼んでいるので、今更だろうか。でも、遠目にはまだ平民に見えているはずよ。
「こんにちは、お二人とも楽しそうでしたわね」
「はい、豊穣祭を堪能しております」
頷いてみたものの、二人とも令嬢感が拭えていない気がする。
「なかなか愉快だったぞ」
敬語抜きでラッセに話しかけるアルフォンス様の方が、余程上手く平民に擬態できているわね。会話の内容は微妙だけど。
「ありがとう。二人も踊ってみる? 何度か踊りの時間があるみたいだよ」
ラッセが怒っている様子はないから良いのかしら。
「遠慮しておきますわ。あの速さにはついていけそうにありませんもの」
「参加を希望されるなら支えますよ」
アマンダ様を見るアルフォンス様の視線には、優しさが滲んでいるような気がする。アマンダ様の侍女や従者が見当たらないのだけど、アルフォンス様が護衛を兼ねていらっしゃるのかしら。
姫と騎士。
華奢なアマンダ様と体格の良いアルフォンス様を見ていると、そんな単語が浮かんだ。
「愛なのかしら?」
思わず言葉がこぼれた。アルフォンス様にぎろりと睨まれる。
「孤児院の子供たちと同じ発想になっているよ、カロリーナ」
「なるほど?」
孤児院の子たちからすると、私は姫でラッセは騎士なの? 本当は王子様だって知ったら驚くわね。
「分かってないみたいだね」
ラッセは笑みを浮かべるけど、私は何を理解していないのだろう? 首を傾げても、答えを提示されそうにない。
「ところで、お二人はこの後どうされますの?」
場をしきり直すように、アマンダ様に問われる。ラッセと顔を見合わせるけど、特に予定を決めているわけじゃない。マーヤとパウルは付き添い兼護衛という立場もあるけど、豊穣祭で特に何かしたいことがある様子もない。
「約束の時間まで豊穣祭を見て回るだけですわ」
中央広場は、その名の通り中間地点だ。ここから神殿までの屋台も堪能すれば、それなりに良い時間になると思う。
「予定がないのでしたら、神殿に行ってみません?」
「神殿に?」
どの道、神殿方面に歩いて行くことになるので構わないけど……。神殿に何かあるのかしら。アマンダ様の魅惑の柔和な瞳で見つめられると、深く考えずに頷きそうになる。でも、神殿にはラッセと間近に接した人たちも残っているかもしれない。
ちらりと、横目にラッセにどうするか問いかける。少し思案したようだけど、ラッセは頷いていた。
「行ってみよう」
「大丈夫なのですか?」
「王族が平民の恰好をしているなんて、普通は思わないものだよ」
万が一バレそうになっても伯爵令息に加えて公爵令嬢までいるなら、何とかなるのかな。結局、私も頷いていた。
にっこり微笑んだアマンダ様に先導されて、神殿へと向かう。
考えてみたら、ヴェロニカの頃も歩いて神殿に行ったことはなかった。基本的に馬車が用意されていたから。車輪が外れないか、馬が暴れ出さないか、賊に遭遇しないか、ギャンブル性の高い馬車だったので、今思えば歩きで移動してみても良かったのかもしれない。いや、王太子妃が街中を歩いたら騒ぎになっちゃうか。安全面では大差なかったかもしれない。
中央広場を過ぎても、屋台が途切れることはない。ただ雰囲気はまた変わっていて、武具を取り扱う店や、薬草を並べている店など、実用性が高いものが多く目につく。その分、冒険者や騎士と思しき体格の良い人が多い。そんな中に、何故か占いの館なるものもあった。そこは女性客が多かったな。兎にも角にも、子供たちが多かった噴水広場方面とは異なっている。
武具の前ではアルフォンス様の足が止まり、薬草の前ではラッセの目が輝いた。それぞれらしさが出ていて、ちょっと面白い。
ただアマンダ様は占いの館にも興味を示される様子はなかった。私は相性占いが少し気になった。
やがて神殿に着いた。豊穣祭において中心地なのだけど、貴族たちのいなくなった神殿は普段の静謐さを取り戻しているようだった。
「神殿にはどういったご用があるのですか?」
アマンダ様に尋ねてみると、清々しい笑顔を浮かべられた。
「もちろんお祈りですわ」
神殿の中へと進むアマンダ様は、まるで巫女のようだった。かつて贄の着るものだった伝統衣装姿だからかしら。そして、それは私たちも同様なのかもしれない。
回廊には人影が全くなかった。みんな出払っているのかしら。神官の一人くらいには会いそうなものなのに。神殿での祭祀が終わった後、神官たちが豊穣祭をどう過ごしていたか、今まで気にしたことはなかったな。猊下を始めとした高位の神官数名は、王城にも顔を出されていたと思うけど……。
「誰もいないね」
ラッセも同じことが気になったようだ。
「今頃、お金を数えるので忙しいのではないかしら」
アマンダ様が俗物的なことをさらりと言われる。お金、いや、寄付金は神殿が運営されるためにも必要なものだけど。でも、確かに豊穣祭では貴族がこぞって寄付していたわね……。アールクヴィスト家もオリアン家も。うん、悪いことじゃない。きちんと管理するのは、むしろ大切なことだ。回廊から神官が消えるほどの大金、健全に使われてほしいわ。
聖堂にも誰もいないのだろう。
そう思って、マーヤとパウルが開いた扉の向こうへ、何の気なしに足を踏み入れた。
「ようこそいらっしゃいました」
ふわりと室内に広がる柔らかな声。女神ヴィネア様の像の前に猊下がいらっしゃった。柔らかな笑みを浮かべていらっしゃるのに、圧倒される。思わず礼を執ってしまう。それは、私だけじゃなかったようで、カーテシーから顔を上げれば、ラッセやアマンダ様、アルフォンス様も礼を解くところだった。
「女神ヴィネア様に祈りに参りました」
アマンダ様が代表して伝えれば、猊下は静かに女神ヴィネア様の像の前を空けてくださる。
「迷いし贄たちの心にも手を差し伸べてくださるでしょう。どうぞ心ゆくまでお祈りください」
贄と言いながらも、敬意を感じられる。私はともかく、ラッセやアマンダ様が誰なのかは理解されているのだろう。その上で伝統衣装を着た子供に言葉を贈ってくださる。
「感謝致します」
一歩前に進み出たアマンダ様は膝を折り、両手を組んで静かに目を閉じられた。それに倣って、私たちも女神ヴィネア様に祈りを捧げる。
祈りは届くのかしら。何について祈るのかしら。女神ヴィネア様がヴェロニカの心を見守ってくださっていたから、今の私、カロリーナがいるというなら感謝を捧げよう。そして、ラッセの心も幸せであるように願う。
アマンダ様は、何を祈られたのだろう。
気にはなったけど、その厳粛なる空気を前に、口をつぐんだ。