祭り
まずは腹ごしらえということで、食べ物の屋台を見て回るのだけど、普段見ることのないものが多くて、つい目移りしてしまう。王室や男爵家で出されるものと比べれば、素朴なものだ。肉と野菜の串焼きはいくつもの屋台があって、ついタレの違いを試してみたくなってしまった。毒見役を買って出てくれるパウルとマーヤにも申し訳ないから、三店目でやめたけども。
「外で食べる料理はあったかいんだね」
感慨深げにつぶやくラッセの手にあるのは、アコーディオンポテト。ジャガイモに切り込みを入れて焼いただけのもので、多分、離宮どうこう以前に王室では出たことのない料理だろうな、と思う。
その売り場のすぐ近くで楽団の一人と思われる人が、本物のアコーディオンで演奏していたりするのだから、周囲は賑やかだ。華やかさとは違うけど、人のぬくもりが溢れている。
「そうですね、屋敷で食べるよりあったかく感じますわね」
オリアン家では冷えた料理が出されることはない。王室のように毒見を徹底する必要もないから。ラッセの抱いた感想とは根本的な部分で違うとは思う。でも、それでも、同意してしまう。神殿の厳かな様子を見た後だからかしら。平民たちの騒がしくも楽しむ祭りの雰囲気の方がいいな、と思えたから。
「ラッセ、デザートも見てみましょう!」
「デザート?」
「ええ、甘いものも食べたくありません?」
「うん!」
手をつなぎ私たちは歩き出す。
まるで平民のように豊穣祭を楽しむ。それは、ヴェロニカの頃にも経験したことがないことだった。公爵令嬢として、平民の恰好をするなんて許されないことだと思っていた。でも、アマンダ様も伝統衣装を着るとおっしゃっていたし、きっと、それはわたくしの勝手な思い込みでしかなかったんだろう。視野が狭かったのだと、つくづく実感する。
「あら、ワッフルもあるのね!」
くいっとラッセとパウルの手を引けば、みんな同じ方を向く。パウルは未だ気まずさが拭えていないけど、子供に接し慣れていない父親と思えば、これも悪くない演技かな。本人は素だろうけども。
「ジャムが数種類あるみたいだね」
「食べ比べてみません?」
これも秋の味覚ということかしら。複数買うことを宣言すれば、店主もにっこにこだ。
それからも通りすがりに色々な店を見て回った。甘いのかな、と思っていたカネルブッレはカルダモンのスパイスが効いていて面白かった。ラズベリーのジャムがのったハッロングロットルは、見た目通りサクサクとした甘いクッキーで安心した。
ただ、豚の頭がドンと載ったテーブルの横で売られていたブラッドプリンは、その赤黒い見た目もあって、食べる勇気が出なかった。
「すごい見た目だね」
ごくりと唾を飲み込んだラッセも、手に取ることはなかった。すぐそばで小さな男の子が、美味しそうに食べてはいるんだけども……。来年、来年も豊穣祭に来られたら、きっと食べてみせますわ……。
気付けば、随分とたくさん食べていた。お祭りの気分に当てられてしまったかもしれない。お金を気にせず買えるのは、平民ではなく貴族だからと思えば、お父様とお母様にも感謝しなくちゃいけないわね。平民の子は、きっと限られたお金で楽しんでいるのだろうし。
なんて考えていたら食べ物のエリアから離れたようで、手作りの商品が目に入るようになった。編み物が至る所に吊るされているからかしら。全体的に華やかさが上がったように思える。
「孤児院の屋台はこの辺りに出ているのかしら?」
マーヤに確認してみれば、一度頷いてから場所を案内してくれる。ちゃんと把握しているのね。
豊穣祭では全ての平民が祭りに興じる。そこに表通りだとか裏通りだとか、ましてや孤児かどうかなんて、気にもかけない。普段の生活では全く絡まない人間模様も、今日この日は笑顔を交わし合うのだろうと思えば、少し不思議な気もした。
孤児院の屋台は、シスター一人と子供三人が店番をしていた。
「あら、薬屋さんとカロリーナ様?」
オリアン男爵の娘と知っているシスターは、私が伝統衣装を着ていることに戸惑いが見える。
「こんにちは」
何食わぬ顔で微笑めば、シスターは全て飲み込んでくれた。デートよデートね、とこそこそしている子供たちの口もふさいでくれると助かるのだけど、そこは笑顔でスルーされた。何故。
「売り上げは順調ですか?」
ラッセも気にせず話しかけている。何故。
「ええ。カロリーナ様に作って頂いたものも一つ売れましたよ」
「え? だいぶ歪だったと思うけど……」
まさかの報告に、子供たちの声も吹き飛ぶ。
「歪ではなく味わいと言うものですから」
「そう?」
誤魔化されている気もするけど、孤児院の生活の足しにすることができるのだから、良かったと思うことにしておこう。何だったら買い取ろうかと思っていたのだけど。
「ねぇねぇ、カロリーナ様、この後踊る?」
「踊るの?」
安堵していたら子供たちが、尋ねてきた。踊るとは一体……。
「どこかで舞踏会があるの?」
尋ね返すと、子供たちが首を傾げた。
「ぶとうかい?」
「ブドウを食べる会なんてないよ?」
あ、混乱させてしまったみたいだわ。舞踏会なんて言葉、確かに馴染みのない言葉よね。反省していると、シスターがフォローしてくれた。
「ここからもう少し進んだ所に中央広場があるのですが、そこで伝統衣装を着た人たちが踊るんですよ」
なるほど。豊穣祭の元々の名残が残っているのね。明るい色合いの伝統衣装だから抜けていたけど、元は贄としての側面があったのよね。でも、神に奉納する踊りなんて知らないわ。貴族の舞踏会とは違うだろうことは分かるけども。
「面白そうだし、行ってみる?」
「そうですね」
分からないのなら、体験してみれば良いのだ。頷いてから、子供たちに目を向ける。三人の子供たちも伝統衣装を着ている。
「みんなもこれから踊りに行くの?」
「踊りの時間は何度かあるから、後で行くよー」
「今は店番なの!」
「他の子たちが踊りに行ってるよ!」
一日に何度も踊りの奉納があるなら、女神ヴィネア様も大満足でしょうね。
「そうなの、店番していてえらいわね」
笑顔で褒めれば、子供たちははにかむ。褒められ慣れていないのかもしれない。喋るだけ喋って立ち去るのも悪いな、と思って、カゴを一つ買おうと手に取る。
「すごっ! 薬屋さんが作ったの一発で引き当てたよ!」
「愛の力すごいねー」
子供たちの全然密やかじゃないヒソヒソ声に、一瞬手が止まる。別に狙ったわけじゃない。けど、戻すのも意識しているみたいで気恥ずかしい。大体、子供たちだって誰が作ったのか一目で分かっているんだから、珍しいことじゃないわ。いや、でも、それだと私がラッセの作ったものを選んでいることになるような……。ぐぐぐっと、顔に力を入れて自然な笑顔を心掛けた。
「一つ頂きますわ」
「じゃあ、私も一つ頂きますね」
続いてラッセが手に取ったのは、明らかに歪で、私が作った三つの内の一つだと分かる。
「愛だよ、愛」
「愛だね」
「愛かー」
「からかってはダメよ」
もっと早くに子供たちのヒソヒソ声を止めてください、シスター。買いますけどね。私は心が広いので! 広い心に出来た小さな羞恥など何でもないわ……。
買ったものをマーヤに預けて、再びラッセと手を繋ぐ時に、ちょっと緊張してしまったのは、たぶん気のせいだ。
踊りの会場となる中央広場にはすぐ着いた。伝統衣装を着た子供たちが一斉に集まっていて、なかなかに壮観だ。同じデザインの衣装だけど、刺繍や袖口など細部に違いはあって、好みが出ていて面白い。
貴族の子息子女が他にも混じっているかしら? と辺りを見回してみるけど、知り合いの顔は見当たらなかった。一応お忍びなんだし、こんな目立つ所にはあまり参加しないのが、普通なのかもしれない。
「ところで、どんな踊りなんだろうね?」
「全く分かりませんわ。マーヤとパウルは知っている?」
伝統衣装を着たことがないと言っていたマーヤは、踊ることは知っていても、どんな踊りなのかまでは分からないようだった。
「最初はワルツに似ていますね」
幼少時に参加したことがあるパウルは、把握しているようだったけど……。
「最初は?」
「はい、最後はみんなで手を繋いで、祭り櫓を中心に回ることになります」
私とラッセは顔を見合わせ、それから中央広場を改めて見遣る。確かに、真ん中に木造の簡素な建物がある。あれが祭り櫓なのかしら。花で飾られて華やかだけど、見張り台の小さいサイズ版みたい。女神ヴィネア様への供物が祀られているのだと思うけど、私の視線では上手く確認できない。
「一応、決まった踊りがあるのね」
「ええ、でも単純なものですから、お二方ならすぐ覚えられると思いますよ」
ダンスの勉強は教養ほど先取りはしていないのだけど、大丈夫かしら。平民が普段から踊っている訳でもないでしょうし、いけるかな。とりあえず少し様子を見てみよう。
なんて呑気に構えていたのだけど、伝統衣装を着ているからか、楽団の演奏が始まると、子供たちの波にあっさり攫われてしまっていた。
え。マーヤは? パウルは? 手を振っているわ?
「様子見どころじゃなさそうだね」
私と同じ心積もりだったらしいラッセは、苦笑しつつ私の手を取る。貴族みたいにあれこれ言葉を交わしてパートナーになる必要はないらしい。
緩やかに軽快に流れ出すメロディーは、贄の奉納のための曲としては随分明るい。そしてステップも振りも、本当に単純なものですぐに覚えてしまえた。祭り櫓を中心に円周上に並んだ子供たちが、二人一組で手を取り、くるりくるりと回っていく。
「ゆっくりした曲で助かりましたわ」
「うん。でも、最後にみんなで手を繋ぐってどういうことだろう?」
その疑問は演奏が転調した瞬間に分かった。隣り合っていた子たちに、突然手を握られたから。
「え?」
新しい踊りのステップを確認する暇もなく、大きな一つの輪となった子供たちがぐるぐると回り出し、祭り櫓に向けて握った手を掲げて女神ヴィネア様への感謝を捧げれば、逆回転し……。気づけばどんどん曲のテンポが上がっていく。
回転、逆回転、回転、逆回転、回転、アップ、アップ、アップ!
「え、ちょ、これ!」
「あはは!」
戸惑う私に対して、ラッセは何だか楽しそうに笑い声を上げている。子供たち、みんな楽しそうだけども! これ、貴族令嬢が嗜む踊りじゃ、全然ありませんわ!
高速回転する景色は、私を神の世界へ連れていってくれそうだ。
結果、目が回った。
踊り終わったら、立っていられなくて膝をついてしまう。女神ヴィネア様の望む踊りって激しすぎるわ……。
「大丈夫?」
手を差し出すラッセは茶髪のままだった。とりあえず、カツラがぶっ飛ばなくて良かった。
「二人で何しているんだ」
呆れたような声はマーヤでもパウルでもなかった。でも聞き覚えのある声。ラッセの手を借りて立ち上がり前を向けば、伝統衣装を着たアルフォンス様がいた。