時計台
白いシャツに黒のベスト、七分丈のズボン。それに、素朴さに気を使った刺繍が施されたコート。
それはラッセにとても似合っていた。ベルタの仕事の細やかさを感じることができる。先日、衣装合わせした時よりも。周囲に同じような恰好をした男の子たちがいるからかしら。不思議とラッセのためにデザインされた服のように見える。
王族の恰好も、平民の恰好も難なく着こなしてしまうのは、持って生まれた外見の良さだけが理由ではないように思えた。きちんと馴染むことができるのだ。案外、かつらがとれてもバレないんじゃないかしら、なんてね。
「ラッセ?」
それはそうと、ラッセからの返事がない。もしかして私が誰か気付いていないのかしら?
「あ、カロリーナ……」
首を傾げた所で、絞り出すような声が聞こえた。
「その、とてもよく似合っているよ。可愛い、よ」
紳士の嗜みで無理矢理褒めてくれているのかしら、と一瞬申し訳ない気持ちになったけど、ラッセの頬は赤みが差していて……照れているのだと分かる。
飾らない言葉。
神殿に赴く前に両親に言われた言葉と変わらないのに。どうしてか、とても気恥ずかしく思えてしまう。
「……ありがとう。ラッセも、似合っていますわ」
できるだけ自然な笑顔を心掛けた。でも、ぎこちなくなってしまったかも。顔が熱く感じられて、続きの言葉が出てこない。
二人の間に沈黙が落ちた。周りの喧騒も遠のいたように感じられて、ふんわりと体が浮くような、不可思議な気持ちになる。
「お二方、時間も限られていますし、店を見て回りますか?」
固まってしまった私たちに、マーヤが助け舟を出してくれる。にっこり柔らかな笑みを浮かべるマーヤは、遠目には母親のように見えたかもしれない。
「そうね! 見て回りたい所がいっぱいあるものね!」
「うん、せっかくのお祭りだ、楽しもう!」
私とラッセは全力で乗っかる。パウルも父親っぽい態度を取っても良いのよ、と思ったけど、何だか気まずそうだ。あれ? 演技派ではないだろうし、難しいのかもしれない。
「あ、そうだわ」
一歩踏み出しかけて、噴水広場を集合場所にした理由を思い出す。
「楽しむ前に時計台を確認しましょう」
「そうだね」
ラッセも同意して、噴水の後方に佇む時計台を見上げる。
時計台は六階ほどの高さがある細長い建物で、時計塔と言った方が正しいようにも思える。薄茶けた壁は、年代を感じさせる。見上げるほどに高い所に巨大な時計盤があり、遠くからでもよく見えるだろう。更にその上に鐘を吊るした青銅色した尖塔がくっついているのだけど、手紙の待ち合わせ場所は、この建物の中ということになるのかしら。
「近くで見ると、本当に大きな建物ですわね」
「うん、建国と同時に建てられたらしいけど、当時の建築技術を感じられるね」
「貴族と平民の時間感覚を統一することで物流を始めとした物事の効率化を図ったそうだけど、それまでの手間暇は甚大だったでしょうね」
時計台の周りをぐるりと回りなから、つらつらと話していたけど、ラッセに凝視されたのを感じる。
「どうかしました?」
「いや、カロリーナの家は勉学に力を入れているんだな、と思って」
あ、十歳の貴族令嬢が語る内容ではなかった? 知識の齟齬が出ないように家庭教師に急ピッチで勉強を推し進めてもらっていたから、本来のペースが分からないわ。こういう所がダニエルに悪影響を与えたんだろうし、気をつけなくちゃ……。
「単純に私が歴史に興味があっただけですわ」
さすがに、前王太子妃の記憶があるんだよねー、とはラッセ相手でも言えない。誤魔化してみたけど、素直に頷いてくれるラッセに、ちょっと罪悪感が疼く。
小さく息を整えて、気を取り直すと、改めて時計台を見遣る。
「扉には鍵がかかっているみたいね」
入口と思しき大きな扉。見張りの人はいなかったけど、自由に出入りできる訳でもないようだ。勝手に時計をいじられたら、生活に影響が出るだろうから当然か。
「夜には開くのかな?」
「豊穣祭に関連して時計台でも何かするのかしら?」
この扉の前で待っていれば良いのだろうか。暗号では細かい待ち合わせ場所の指定はなかった。鐘の下というからには、建物の中かと思ったけど……。ラッセと顔を見合わせていると、マーヤがすっと一歩前に出る。
「豊穣祭において、時計台が何かに使われたということは過去にございません。おそらく相手方が何か手を回していることでしょう」
相手方、アールクヴィスト公爵家ね。確かに公爵家の権力なら施錠されている建物の一つや二つ、簡単に開錠することもできるだろう。
「じゃあ、夜の八時にならないと分からないってことね」
時刻はまだ昼を過ぎて間もない頃。平民たちの豊穣祭を堪能するには、充分に時間がある。
頷き合うと、私はラッセとパウルの手を取り、それからマーヤに目配せをする。そうしてマーヤはラッセの手を取った。ラッセは驚いた目を向ける。
「これも安全のためでございます」
礼を執るマーヤは、立場としては私の護衛だ。だけど、ラッセのことも守ると意思表示をした。私の視線に異論なく対応したのは、花屋での出来事がマーヤの中でもしこりになっていたのかもしれない。仕える者や王族であることを抜きにして、守るべき子供として接することを選んでくれた。きっと、今もアードルフたちが見守っているだろうから、出過ぎたことかもしれない。
でも、すぐ傍で守ってくれる人がいる。
そのことを知ることは、ラッセにとって一歩前進する勇気になるはずだ。
「ラッセ、豊穣祭、楽しみましょ?」
「……うん」
戸惑いを含ませつつも、笑顔を見せてくれる。私たちは握る手に力をこめて歩き出した。