白から赤へ
聖杯に葡萄酒が注がれ、聖歌隊の歌声が神殿に響く中、女神ヴィネア様に捧げられた。厳かな雰囲気の中、祭祀は幕を閉じた。
檀上から袖にはけていくラッセは、最後まで王族として毅然とした表情をしていた。それは、国王陛下と王妃殿下と並んでも遜色ないものだった。
お二人を目にするのも今世になってからは初めてだった。レオナルド様よりも懐かしさを感じる。特に王妃殿下は、王妃教育で手取り足取り教えて頂いたので、郷愁めいたものを覚えた。カロリーナとして話す機会があるとすれば、デビュタントの時くらい。それも定型文を交わすだけだ。寂しさを覚えるのも仕方ないこと、よね。
まぁ、王妃殿下が先走って隠し通路等を教えてくださったせいで、ヴェロニカはあんな結末になってしまったと言えなくもないところもあるんだけど……。だからこそ、ラッセを正しく庇護してくださるといいな、と思う。
さて、祭祀が終わった後はお祭りだ! 湿っぽい気分を引きずっても仕方ないわ。
大人たちは夕方から王城で開かれる舞踏会に参席するため、慌ただしくなる。かつては神殿で舞踏の奉納もしたそうだけど、今の貴族の人数ではスペースが足りないのよね。様式は時代とともに移ろっていくのだ。結果、女性は白いドレスからカラフルなドレスへと着替える必要が生まれた。舞踏会は多種多様な個性が溢れた場所となるだろう。
「マーヤはお母様についていなくて大丈夫なの?」
一旦帰宅した私は、ダニエルとの挨拶もそこそこに自室に引っ込む。
「ええ、お嬢様をお一人にはできませんから」
笑みを見せるマーヤだけど、本来ならマーヤもお母様のドレスアップに駆り出されるはずだ。社交シーズンの締めとなる晴れの舞台。どの家も気合いが入るところだ。
「お母様の方が準備に手間がかかると思うけど……」
「奥様を熟知した者たちがついておりますので、ご安心ください」
先程までの純白の衣装も見事なものだったし、気にする必要はないか。
「それよりもお嬢様も準備致しませんと」
「そうね、よろしく頼むわ、マーヤ」
伝統衣装は、ドレスのように凝ったものじゃない。一人でも着ることは可能だと思う。それでもマーヤが手伝ってくれると、仕上がりがワンランク上がるから不思議だ。
姿見に映る私は、白いブラウスに刺繍が入った赤いベスト、紺のスカートに赤と白のストライプが入ったエプロン。どう見ても伝統衣装を着た町娘ね!
「髪も整えましょう」
私と違って、マーヤは満足していないようだ。あんまり凝った髪型にして目立っても……と思ったけど、平民にとっては楽しいお祭りの日だ。少しくらいおめかしに力を入れた方が浮かないのかもしれない。
マーヤは私の髪を繊細な絹糸であるかのように丁寧に扱う。それでいて手際よく髪を整えていく。
「そういえば、マーヤも伝統衣装を着たことはあるの?」
「私はありませんね」
「平民がみんな着るわけでもないのね」
「私は幼い頃は鍛錬に励んでおりましたし、その後は侍女として楽しく働かせて頂いておりますから」
「そうね……?」
鍛錬? 護衛としての力量を考えたら納得だけど、鍛錬? マーヤは大切な侍女だけど、知らないことが多いんだろうな、と思う。そして、それは十歳の娘に語って聞かせるには、まだ早いことなのかもしれない。
いつか、マーヤから話してくれると嬉しい。
取り留めなく話しながらも、マーヤの手は止まることなく、私の髪は見る間に形を変えていく。両サイドを緩く三つ編みにしたかと思えば、一つにまとめられて、くるりんとされて気づけばシニヨンが出来ていた。仕上げに赤いリボンで崩れないようにまとめてくれる。
「可愛らしい髪型ね!」
「お喜び頂けて幸いにございます」
マーヤも微笑んでいる。準備は完璧に整ったわね。
時間にはまだ余裕がある。お父様、特にお母様はまだ準備に追われているでしょうね。挨拶するのも迷惑になるだろう。それに今日は平民の恰好でお忍びなのだ。こっそり抜け出すのがお忍びの醍醐味な気がする。
「マーヤ、行きましょう」
「かしこまりました」
マーヤも心得た様子だ。
そっと部屋を抜け出した、つもりだったけど、しっかりパウルが待ち構えていた。軽装だ。帯剣はしていない……けど、上着の裏に短剣を複数忍ばせている気がする。こんな日も私の護衛なの?
「お父様の護衛は大丈夫なの?」
「王城の警備は街中よりも完璧でしょうから」
王城に集うのは招待された者だけだ。となれば、街の方が不特定多数の危険があるとは言える。でも、本当にその判断でいいんですの、オリアン家私兵団長。思う所はあったけど、言葉は重ねないことにした。お父様の指示の方が優先されるだろうし。第一王子殿下と行動を共にすると考えれば、当然だとも思えた。
「では、今日もよろしく頼みますわ」
「御意」
パウルのちょび髭が、ピンと張りつめた気がした。
ラッセとの待ち合わせは、噴水広場だ。アマンダ様との待ち合わせの前に、一度時計台を確認しておこうとなったから。何か仕掛けが施されているとは思わないけど、状況を把握しておいて損なことはないはずだ。
平民の恰好なので、裏門から外へと出る。馬車も使わない。秋が深まり出した今は、歩くにも丁度良い気候だ。貴族街は、お祭りめいた雰囲気はなかった。むしろ静か。どの邸宅でも、きっと奥様の飾り付けに忙しくしていることだろう。少し時間が早いから、伝統衣装を着た貴族の子息子女も見かけない。こっそり抜け出すにはうってつけだ。
貴族街を抜けて、噴水広場に繋がる大通りに出たら、がらりと雰囲気が変わった。
活気が溢れ返っていた。通りには、所狭しと屋台が並び、様々な食材の匂いが混ざり合っていて、お腹を刺激しそうだ。食べ物だけでなく、工芸品などの手作りの品も並んでいる。後で孤児院の子たちが出店している所にも顔を出そう。
「お嬢様、お気をつけくださいませ」
「分かったわ」
多くの大人も行き交う通りだ。十歳の子供なんて、いとも簡単に迷子になってしまうだろう。私はマーヤとパウルの手を握った。パウルは一瞬驚いた様子だけど、マーヤは慣れたものだ。
「よろしくね、ママ、パパ」
これで完璧仲良し親子の図だ。お忍び姿の完成ね。パウルは何かもの言いたげだったけど、気にしないことにした。
そうして、大通りを進んでいけば、開けた場所に出る。大通りに負けず劣らずの人がいる。それでも、私の目は当たり前に彼のことを捉えることができた。
「ラッセ、お待たせ」
茶髪で伝統衣装を着たラッセは、もう第一王子のオーラはない。私のよく知る笑顔を浮かべてくれる。