暗号
アスクニェンがガラスの靴を落とす頃
三日月が照らし闇を払い
獅子は木陰に寄りそう
若き太陽には盾を
老いし太陽には剣を
さすれば偉大なる太陽は微笑むだろう
どうかアスクニェンのもとに
ガラスの靴が戻ることを願う
「これは詩?」
「いいえ、暗号ですわ!」
先日のお茶会の終わり頃、アマンダ様から手渡された手紙。
――豊穣祭の待ち合わせ場所が書いてありますの。是非、殿下と一緒にご覧になってくださいませ。
公爵令嬢から第一王子への手紙は、様々な憶測を呼ぶことを懸念されたのか、私にしか渡されなかったけど……。私とラッセが気楽に会えること前提で話されているのもどうなんだろう。アマンダ様の中の確定事項を覆すのは難しそうだ。
実際、お茶会のわずか二日後にエドヴァルドの店で落ち合っているのだから、否定もできない。
「暗号か。さっぱり分からないな……」
ラッセは溜め息をつきつつ、テーブルに置かれた手紙に目を落としている。
真っ白な紙に、八行の短い文章。紙の縁には、見る人が見れば分かる模様が並んでいるのだけど、ラッセに思い当たることがないらしい。
「そもそもアスクニェンとは誰のことだろう?」
灰をかぶった人とは一体……と、しきりに首を傾げている。どうやら語学の勉強も順調に進んでいるようだ。
でも、さすがに生前に一時流行った小説のことまで把握するのは難しいだろう。私はラッセの隣に座って、手紙を指差しながら説明することにする。
「ラッセ、これは十年以上前に流行った『灰かぶりメイド』の主人公の名前だと思われますわ」
「十年以上前?」
「ええ。普段は継母や継姉にいじめられて、灰にまみれながらも家事に精を出す少女が主人公の小説でしたわ。亡くなった父親に教育は受けていたので頭の回転は速く、様々な事件に遭遇して解決していく推理ものでしたわね」
「じゃあ、アスクニェンがガラスの靴を落とすというのは?」
「父の死の真実を知るため王城の舞踏会に潜入したことがあったから、その時の話のことだと思いますわ」
「そんな話を王家が発行をよく許したね……」
「発禁にしたら、要らぬ憶測を生むことになりますから。えっと、それで潜入したものの王子に疑いを持たれて慌てて場を去るのですけど、その時にガラスの靴が脱げ落ちてしまったのです」
「ガラスの靴で逃げたの? 走ったの?」
「それどころか王子と踊っていますわ」
「すごいね。何故そんな危険なことを……」
「アスクニェンの知り合いには靴職人がいなくて、仕方なくガラス職人に頼んだはずでしたわ」
「アスクニェンはお金持ちなの?」
「没落寸前の貴族だったかしら? あれ、没落した後だったかな?」
ヴェロニカの頃に読んだものだから、記憶が曖昧だ。そんな私の説明では分かりにくいのか、ラッセは顎に手を当てて考え込んだ様子だ。
「ガラスの靴は脱げ落ちた時に割れなかったのかな?」
「ラッセ、微妙に本筋からずれていってますわ」
「あ、ごめん」
まぁ、気になる気持ちは分かる。ヴェロニカの頃に大はまりした小説の一つだ。
ガラスの靴で王子に身元を特定されたアスクニェンは、逆に王子を巻き込んで二人で事件を解決していく相棒になっていくのよね。やがて想いが芽生えて、最終的に二人は結ばれる。そんなロマンス要素もあったから、推理ものが好きな令息と恋愛ものが好きな令嬢を取り込んで、大流行したのよ。シリーズは十巻を越えていたはずだ。
ただアンナさんがレオナルド様と親しくなる過程を見た大多数の人は、あっさり夢から覚めてしまった。性格は全然違うんだけどね。アスクニェンとアンナさん、王子様とレオナルド様を重ねてしまった読者は、身分差恋愛の現実に落胆した。そうして、貴族の支持を失った『灰かぶりメイド』はさくっと終了し、十年以上経った今では名前も聞かないのだから、世知辛い。
「ともかく、この文章を読み解けばアマンダ嬢が指定する場所と時間が分かるということかな?」
「そうですね。正確に言えば、この便箋の縁の模様のような記号ですね」
「えっ?」
ラッセは驚いた様子で、改めて手紙を凝視する。便箋は「・」と「ー」の二つの記号で囲まれていた。一見、不規則に並んでいるように見える二つの記号。だけど、これも『灰かぶりメイド』の中に出てきたものだ。
「軍部の密書にも使われているモールス符号だそうです」
「……本当によく発刊できたね」
「もともとは西にある国の発明家のモールスが考案したものだそうですから、簡単に調べることができるものですわ」
にっこり微笑んで、入り口に目をやる。
「という訳でエドヴァルド、モールス符号の置き換え表、貸してくださる?」
「オリアン嬢、私は何でも屋ではないのですよ」
今日もタイミングを見計らったように入ってきたエドヴァルドは、胡散臭い笑みを見せてくれる。
「でも、持っているのでしょう?」
「ええ、持っていますよ」
既に手元に用意されている辺り、やはり侮れない人物だと思う。
「二人とも息ぴったりだね」
ラッセは何だか嬉しそうだ。微妙に喜べないのは何故だろう。私は、ぐっと言葉を飲み込んで、再度エドヴァルドに笑顔を向けた。
「用意してくれてありがとう」
「いえいえ」
置き換え表を受け取ると、さっそくラッセと一緒にモールス符号の読み解きにかかる。だけど、ラッセは首を傾げてしまう。
「どこから読み始めれば良いんだろう?」
便箋をぐるりと囲むモールス符号は、文頭が分からない。だけど、アマンダ様は手紙にきちんとヒントを盛り込んでくれている。
「ラッセ、アスクニェンがガラスの靴を落とすのは、舞踏会の終了を告げる十二時の鐘が鳴った時なのですわ」
「つまり十二時の針が差す、上の真ん中からということ?」
「ええ」
意識して見ると、少し符号の幅が広くなっている箇所に気がつく。ここが文頭で間違いないだろう。
しかし、置き換え表を参考に文字を並べた所で、ラッセは再び首を傾げることになった。
「意味が通じる文章にならないね」
私はにんまりとする。アマンダ様は、本当に『灰かぶりメイド』が好きなのだと分かったから。
「ラッセ、便箋の二行目ですわ」
「二行目? 三日月が照らし闇を払い……?」
「おそらく三文字目を抜き出すと隠れた文章が現れるということです」
これもアスクニェンが解いた暗号の一つとして作中に出てきていた。彼女の細かい生い立ちについては忘れているのに、暗号は覚えているのだから、私は推理ものとして読んでいたのだな、と思う。レオナルド様とアンナさんに重なって読めなくなったと聞いた時は、そんな読み方もあるのだと随分驚いた記憶もある。
「あ、本当に文章になっている!」
私が思い出に耽っている内に、ラッセは読み解いたみたいだ。うん、ちゃんと文章になっている。
――夜八時、時計台の鐘の下で。
時計台というのは、噴水広場にあるもののことだろう。平民たちの豊穣祭は、神殿と噴水広場を繋ぐ大通りを軸に開かれるはずだ。時計台は、メイン会場の一番端といった位置になる。でも、人目はそれなりにあるはずだ。そんな場所にヨハンネスお兄様が現れるイメージがつかず、少し首を傾げる。全然違う人と引き合わさられるんだろうか。何だか心配な気持ちが押し寄せてくる。
「ロマンティックな逢引きになりそうですね」
エドヴァルドは楽しそうだ。既に全てを把握している雰囲気があるけど、聞いた所で素直に答えてくれそうな様子はない。私は溜め息で頷くに留めて、ラッセを見遣る。
「当日、この場所に行きますの?」
「そう、だね」
ラッセは歯切れ悪く頷く。
手紙の文章の意味を考えると、不安な気持ちにもなるだろう。最初の二行がモールス符号を読み解くヒントだとすれば、残りはラッセへのお気持ちを表明したものになるのだろうから。
若き太陽、老いし太陽、偉大なる太陽。
ラッセ、レオナルド様、陛下を指しているとするなら。
ラッセを守り、レオナルド様に刃を向けることが、陛下のお心に沿うことであるかのように読める。アマンダ様が、ヨハンネスお兄様が求めるガラスの靴とは何を意味するのだろう。
考えてみたところで、今すぐ答えは出そうにない。
「まずは、豊穣祭を楽しもう!」
突然、ラッセが決意するように言った。
「え? ラッセ?」
「だって、夜八時ってことはそれまで結構時間あるよね? だったら、まずはカロリーナとの時間を楽しみたいな」
ほんわかとした笑顔を浮かべるラッセは、だけど、とても力強く見えた。
アマンダ様の言う通り、豊穣祭にラッセの将来に繋がる出会いがあるというなら、もしかすると、こんな風に会うこともできなくなるのかもしれない。王族と男爵令嬢には、それだけ大きな壁が本来はある。それでなくても、ラッセは来年から学園に通うことになる。一緒にいられる時間は必然的に限られてくる。
豊穣祭が友人としての最後の思い出になる可能性だってあるんだ。
「そうですね! まずは楽しみましょう!」
記憶に残るのは、笑顔の方が断然良い。