今の関係
大広間に響いた悲鳴は、喜色が混じったものになった。
輝くプラチナブロンドに、豪奢でいて繊細な刺繍がほどこされたジャケットを着こなす端正な顔立ち。立ち居振る舞いにも隙がなく、彼が王族であるということを、初見の相手にも突き付ける。
「ラッセ……」
思わず普段の呼び名がこぼれてしまって、ハッとした。
「王国の若き星にご挨拶申し上げます」
ラッセは今、第一王子としてお茶会に姿を現している。何故? どうして? という疑問は一先ず後回しだ。カーテシーとともに頭を垂れた。その私の動きが伝播するように、周囲でも礼を執っているのを感じる。あの伯爵家の三人もきちんとしているかしら。というか男爵令嬢の私が挨拶の筆頭になってしまったけど、大丈夫かな。主催のアルフォンス様か、公爵家のアマンダ様が本来適切のはず。
「面を上げて楽にしてくれて構わない。皆、今日の茶会を楽しむように」
ラッセの凛とした声が響く。頭を上げれば、青ざめた様子の伯爵家の三人が見える。ちらりと横目にラッセを見れば、冷えた目をしていた。湖底まで凍り付いたような深い青に、身震いする。
「カロリーナ嬢? 寒いのかな?」
私に向けられた瞳は柔らかかった。温度差がとても激しい。
「大丈夫ですわ」
にっこりと微笑めば、笑みを返される。そして、そっと手を出される。
「カロリーナ嬢、本日、私にエスコートする栄誉をくださいますか?」
男爵家の令嬢を第一王子が公に贔屓にするのは、色々と危険な要素がありますわ、と進言すべき。結果、オリアン家に不利益が生じたとしても。そう思うのに。分かっているのに。
はい、と頷いていた。
重ねたラッセの手は温かい。今日は緊張している様子がない。ラッセの足は、そのまま主催のアルフォンス様の方へと向かう。エステルは静かに礼をして、私たちを見送ってくれる。
伯爵家の三人には目もくれなかった。仲良くするのはお断り。それが全てだったのだ。彼女たちは王族に相手する価値がないと烙印されたようなもの。ラッセは確かに呪い子として忌避されている。だけど、陛下とアールクヴィスト公爵家が味方についている今、貴族たちはどう判断するのか。彼女たちはまだ幼い。挽回する機会もきっとあるだろう。
うん、今は彼女たちのことより、自分のことを考えるべきね。
隣にはラッセ。目の前にはアルフォンス様。すぐそばにはアマンダ様もいらっしゃる。先日のお茶会と同じ布陣。衆人環視の中、私が取るべき行動は果たして……。
「本日は当家の茶会に参席頂きありがとう存じます」
アルフォンス様が改めて礼を示される。どうやら今回のお茶会の招待状は、離宮にも届いたみたいね。ラッセの王宮での環境も変わり始めているようだ。
「こちらこそ招待感謝する」
「正式に御目文字叶いまして嬉しく思いますわ、殿下」
アマンダ様はたおやかな笑みを浮かべられる。ラッセがお茶会に出席するのは二回目だけど、前回は私のエスコート役として力技で実現したもの。きちんとした手続きを取って出席するのは初めてと言える。
「色々と尽力してくれたと聞いている。感謝する」
「勿体ないお言葉です。父に伝えておきますわ」
父。つまり、ヨハンネスお兄様。ラッセのために何かしらの働きかけをされたのかしら。詳細は分からないけど、公爵家の権力の強さは男爵家とは段違いだな、と思う。王家を動かすことができたということだから。
そして、ラッセとアマンダ様のやり取りは、周囲で聞き耳を立てていた者たちに衝撃を与えたはずだ。第一王子の後ろ盾にアールクヴィスト公爵家がついた証拠を目の当たりにしたのだから。伯爵家の三人娘を見る限り、今回のお茶会出席の意味をどこまで理解しているか分からない所はあるけど、親たちに伝えれば社交界の勢力図を大きく変えることになるんだろうな。
ラッセ自身は、望んでいるのかしら。
「どうかした?」
手のひらに緊張を感じたのか、ラッセが柔らかな笑みを向けてくれる。
「いいえ、高位の方々を前に少し気負っていたようですわ」
笑んで誤魔化してみたけど、ラッセは納得していないようだった。だけど、今この場で問うべきことではないと分かるから。
「カロリーナ様、友人なのですから、もっと気を楽にしてくださいな」
「ありがとうございます」
アマンダ様の助け舟に乗っかってみたものの、友人と公言されて大丈夫かしら。周囲がざわついている気がする。どんな噂よりも、目の前のやり取りが一番の効果があるということかな。納得したならお茶会の招待状は控えて頂けると助かる。男爵家では断るのも難しいのだから。
……王族、公爵家、伯爵家の窓口として招待状がますます増えそうな予感がするのは気のせいかしら。
「カロリーナ様、大丈夫ですわ」
「え?」
アマンダ様が全て見透かしたような笑みをされる。また顔に出ていたのかしら。
「今日のお茶会が終われば落ち着きますわ」
「だな。そのために当家で茶会を開いたのだから、心配するな」
今日の出席者は漏れなくハーティロニーの虜になったということ? 自信溢れるアルフォンス様の言葉に周囲を見れば、ちらりちらりと視線を投げられるものの、敵対する意志は感じられない。今後もバリエンフェルト家のお茶会に出席できるなら、私を窓口にする必要は確かにない。
あとは私が隙を見せなければ大丈夫、なのかな。まずは表情筋を鍛える所から始めよう。どうも気持ちが顔に出やすい気がするのよね。こんな時こそヴェロニカの経験を活かすのよ!
「お気遣いありがとうございます」
にっこり微笑めば三人とも安心したような表情を浮かべられる。家格的に標的にされやすい私を気にかけてくださっていたのだと思う。出会いはあれだったけども、アルフォンス様も優しい方なんだろうな。
「もし気が詰まるようなら、テラスの方で風に当たろうか?」
もちろんエスコートするよ、と笑みを浮かべるラッセは、紳士的で、王族として律することにも慣れているようにも見える。
「では、お願い致しますわ」
テラスは大広間からもよく見える場所だ。男女二人で云々と言われることもないだろう。アルフォンス様とアマンダ様も特に引き留めることはなかった。
大広間は思った以上に熱がこもっていたようだ。一歩、テラスに出れば心地良い風が肌に触れた。残暑もすっかり抜けた秋の風は、少しひんやりとしている。
「寒くはない?」
「大丈夫ですわ」
一息つけば、呼吸も楽になった気がする。
「それにしても驚きましたわ。今日、お出ましになるとは知らなかったので」
「ごめんね。エスコートの申し出もしたかったんだけど、本当に出席できるか分からなかったから」
「最近は忙しいんですの?」
エドヴァルドに扱き使われているようなら、一言申さなくてわ。でも、ラッセの答えは私が異議申し立てできるようなものじゃなかった。
「お茶会に出席してから、勉強の時間がぐっと増えたんだよね」
「それは、後継としての……?」
軽々しく聞いて良いことじゃない、と途中で言葉を止めたけど、ラッセにはきちんと届いていた。困ったように苦笑する。
「まだ何とも言えないけどね。陛下が本格的に関わり出したのは確かだよ」
今までは父であるレオナルド様の対応を様子見していたということかしら。
「アールクヴィスト公爵閣下の直言が効いたようだ」
「直言?」
詳細なやり取りはラッセにも伝わっていないらしい。だけど、それで陛下が動いたというなら、レオナルド様はまた一つ信頼を失したのかもしれない。後継の教育もできない暗愚、なんてね。
「何にせよラッセの環境が過ごしやすくなったなら良かったわ」
「うん、カロリーナのお陰だよ」
「私の?」
男爵令嬢の私が、ラッセの立場改善のためにできたことは何もないに等しいと思う。
「うん、私と臆せず関わってくれただろう? カロリーナが友人になってくれなければ、きっと伯爵家とも公爵家とも繋がることはなかったと思う」
ラッセの顔は確信に満ちたものだった。もし、あの日、怪我をしたラッセに声をかけなければ、友人になる申し出を受けなければ、今の未来はなかったのか。もしもの未来なんて分からない。だけど、だからこそ――。
「ラッセの役に立てたなら嬉しいわ」
友人とはどんな関係なのか。何も分からないまま交流を続けてきた。その関係が一つでもプラスになったのなら、こんなに喜ばしいことはない。そう、ラッセの幸福を素直に喜べる。
今、私たちは友人関係なのだ。
そっと心の奥が温かくなる。ヴェロニカの願った自由に生きたかった想いが、少し報われたような気がした。