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遭遇

 ダニエルの胸の内は分からないまま、それでも日々は流れるように過ぎていってしまう。挨拶はできるし、会話だってできる。ただ距離を感じる。思っていたより早いけど、これが姉離れなのかしら、と最近では自分を納得させている。ダニエルは将来当主になるのだし、他家に嫁ぐ姉にいつまでもべったりではいけない、仕方ないと頭では分かっているんだけど……。


 やっぱり、寂しい!


 いつか、こんなことがあったね、と笑い合える日が来るといいわね。ヨハンネスお兄様も、ヴェロニカが王家に嫁ぐ時はこんな気持ちだったのかしら。いや、私もダニエルもまだまだ結婚しないけどね! 今の所、婚約者もいないし。

 ……いや、もしかしたら私に内緒で話が進んでいて、ダニエルがうっかり知ってしまった可能性も?


「お嬢様」


 考え込む私の意識を引き上げるように、マーヤの声が聞こえた。


「間もなく着きますよ」


 言われて馬車の窓の外を見ると、今日の目的地の仕立屋の建物が見えていた。

 伝統衣装を用意しようとなった時、本来ならデザイナーを家に招くのが無難だった。平民の着る服を作るなら尚のこと、外部に漏れないよう配慮すべきだ。

 だけど、ラッセも伝統衣装を仕立てるとなった時、頼れる店は案外なかった。平民の家では、親や恋人が仕立てるものだそうなのだ。平民は店に依頼できるようなゆとりはない。孤児院の子たちも、バザーで売る物を作り終わったら、自分たちの服を仕立てると言うし。そんな中で、エドヴァルドは勿論、平民の恰好をしたラッセも一人で仕立屋を訪れるのは、なかなかに難しい。採寸の際にかつらがうっかり取れたら、第一王子としても、呪い子としても騒ぎになってしまう可能性があるし。


 そんな訳で、貴族令嬢のついでに従僕の服を仕立てるという体で、伝統衣装を用意することになった。オリアン家御用達の店なら、万が一の時にも対処が楽だ。今年は貴族の子息子女が伝統衣装の依頼を多くしているお陰で、店で仕立てても悪目立ちすることもないだろう。

 ちなみに、ラッセの普段の服はどうしているのかと聞けば、侍女かエドヴァルドがきちんと採寸もせずに用意したものなのだそうだ。エドヴァルドはともかく、城の侍女は何をやっているのだ……。触れたら呪われるとでも思っているのか? ラッセがやせ細って見えるのは、微妙に服のサイズが合っていないせいもあるのかもしれない。


 馬車が停留所に向かうのを見送って、店の辺りを見回す。ラッセはまだ来ていないのかしら。と思ったら、建物と建物の間の通路に子供の人影が見える。マーヤとパウルに目配せしてから、そっと近づく。


「ラッセ?」


 壁にもたれてぼんやりとしているのは、確かに茶髪のラッセだった。


「カロリーナ!」


「ごめんなさい、待たせてしまったわね」


「大丈夫、そんなに待ってないよ」


「というか一人?」


 ラッセの近くには誰もいない。狭い通路だし、誰かが隠れるようなスペースもない。


「多分、どこかにアードルフはいると思うけど……」


 相変わらず専属の護衛はついていないようだ。実質、アードルフが専属の護衛みたいなものなのだろうか。近くにいないだけで。

 というかお嬢様と従僕設定にするなら、エドヴァルドの店で待ち合わせてから一緒に移動した方が自然だったわね。配慮が足りなかったわ。


「ごめんなさい」


 再度、謝罪の言葉がこぼれ出る。だけど、ラッセは笑みを浮かべる。


「カロリーナが謝ることは何もないよ。それに今日は従僕設定なんでしょう? 謝ってばかりいては変に思われるよ」


 明るく言ってのけるラッセは優しい。そうね、失敗は次に活かせば良い。


「分かったわ、それじゃあ早速店に入りましょう」


 私の言葉に従い、マーヤが先導してドアを開ける。カロンコロンとドアベルが軽やかに来客を告げる。


「いらっしゃいませ」


 声をかけてくれたのは、店主のベルタ・ノルデンソン。オリアン家御用達の仕立屋の中でも、ドレスだけでなくお忍び衣装も気軽に請け負ってくれる女性だ。まだ三十代と、職人としては若手だけど、腕は確かだ。何を隠そう、今日の貴族のお嬢様が商家のお嬢さんに扮した風ワンピースもベルタが手掛けたものだ。


「ベルタ。今日は二人分の服を依頼したいのだけど、良いかしら」


「あら。商家のお嬢さんかと思ったら貴族様のようでしたね!」


 こんな風に軽口も叩くけど、不思議と不快感を覚えない女性。それでいて口も堅い。服を仕立てることに慣れていないラッセにも丁度良いだろう。


「ベルタ相手に取り繕っても仕方ないでしょ?」


「お嬢様が商家の娘になり切ったことは一度もありませんが」


「マーヤ!」


 もう、マーヤまで口が軽くなっちゃってるわ。


「ふふふ、確かお手紙ではお嬢様と従僕の方の二人分とのことでしたが……」


 笑顔で仕切り直したベルタの瞳が私の後ろで黙して控えるラッセとパウルの間を行き来する。今まで数多の人の服を仕立ててきたベルタが、どちらが従僕役か迷うなんて……二人の演技力に感嘆すべきなんだろうか。


「今日は私と、こちらの男の子の分よ」


 ラッセの肩に手を置いて、ベルタの前に押し出す。


「カ、カロリーナ、様?」


 慌てながらも、従僕の振りを続けるラッセに、ちょっと笑みがこぼれる。一方のベルタは神妙な顔だ。本当は従僕ではないし、平民でもない。王族とは分からないまでも高位の子供だとは察したのだろう。


「かしこまりました。では、早速採寸からさせていただきますね」


 伝統衣装はデザインの決まったものだ。考える部分としては、コートの縁に入れる刺繍くらいだろう。


「よろしくお願いするわ」


 ラッセは採寸されること自体が初めてらしく、体のあちこちを測られることに、少し緊張しているようだった。ベルタは、そんな様子の子供にも慣れているらしく、笑顔でさくさくと進めていく。私の採寸は最近してもらっていたので、気になる部分を測り直して簡単に終わった。それでも子供の身体の成長速度を実感できるものだった。

 それからラッセが刺繍のデザインを選んでいると、そっと声をかけられた。


「カロリーナ様、よろしいですか」


「ええ」


 頷いた私の隣にマーヤも随行する。部屋の片隅、ラッセに声が届かない距離に移動すると、ベルタは真剣な眼差しを向けてきた。


「あのお坊ちゃま、ラッセ様は虐待されているかと」


「……殴られた痕があるの?」


 努めて冷静な声を出す。


「いいえ、それは幸いありませんでした。ただ貴族の方ですよね? だとすれば、明らかに体の成長が遅れています。まともに食事をされていないのでしょう」


「……そう」


 察してはいたことだ。だけど、貴族の子息子女のサイズをよく知るベルタの言葉は、ぐっと重みを増す。貴族男子の平均をかなり下回っているのだ。十二歳の王族男子としては言わずもがな。でも、平民としてはどうなのだろう。これが平均なのかしら。もし、ラッセが平民として生きていきたいのだとすれば、もっと健康な食生活をと願うのもお節介なのだろうか。

 ……いやいや、毒の心配を食事の度にするのは、平民でもないことのはずよ。


「カロリーナ様、一度、お父様とお母様にもお伝えくださいませ」


「分かったわ。ありがとう」


 ベルタもカロリーナ自身がどうこうできるとは思っていないだろう。貴族令嬢とはいえ、十歳の娘だ。でも、オリアン男爵家に伝わるのであれば、というベルタの優しさだ。

 第三者から見て虐待と断言される健康状態。医者ほどの説得力はないけど、ラッセを手助けする証言の一つになるはずだわ。

 パウルにも気さくに話しかけ、刺繍のデザインを選ぶラッセは、とても楽しそうだ。その笑顔を守りたいと思った。


 そして、その気持ちは、すぐに試されることになった。ベルタの店を出て、馬車の停留所に向かおうとした、その瞬間に。


「カロリーナ嬢?」


 最近、聞く機会の増えた声。まだ幼いながらも、貴族としての威厳を滲ませる声。


「アルフォンス様、ご機嫌よう」


 お茶会で会う時よりも装飾のないシンプルな恰好。それでも貴族とはっきり分かる立ち姿。アルフォンス様の瞳が、隣に並ぶラッセを捉えたのが分かる。

 釣られて、ちらりと横目に見れば、従僕よろしく礼を取るラッセがいた。この瞬間に強風が吹かないことを願った。


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