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エプロンの壁

 平民たちの生活が豊穣祭に向けて盛り上がっていく一方で、貴族たちの生活はあまり変化がないように思えた。確かに、豊穣祭は貴族にとっても大きなイベントだ。今年の議会が全て終わり、社交シーズンも幕を閉じることになる。その締めくくりとなるのだから。ただ神殿で祈りを捧げることを除けば、後はいつもと同じ夜会があるだけ、とも言えた。


「シーズンが終わりましたら、皆さん、領地に帰りますの?」


 ベアトリス様はにこやかな笑顔で周りに視線を配る。バリエンフェルト伯爵家で開かれるお茶会において、家格が釣り合うローセンダール伯爵の長女である彼女は、すっかり中心人物だ。と言っても家格の威を借るような態度はなく、名前で呼び合うよう提案できる気さくな方だ。


「そうですね。領地で年を越すことになりそうです」


 子爵家であるところのエステルも、萎縮することなく笑顔を浮かべている。それは周囲も同じだ。家格が一番下である男爵家の私からすると、大変助かる状況ではある。


「アルフォンス様はいかがされますの?」


 結果として、バリエンフェルト様……アルフォンス様も名前で呼び合うことになったので、そこだけは緊張するのだけど。ベアトリス様は以前から面識があったのか、物怖じした様子もない。


「そうだな。領地で学ばなければならないこともあるし、一度帰ることになるだろう」


「となると、豊穣祭の後はこのお茶会も来シーズンまでありませんのね」


 ベアトリス様は少しつり目なので、一見すると気が強そうに見える。だけど、瞳を伏せて溜め息をつけば、一瞬にして儚げな令嬢になる。緑が少し褪せ始めた大樹を背景に、一枚の絵画のよう。長テーブルのあちこちからベアトリス様とは違った吐息の音がする。


「領地に戻ってからも手紙を送ろう」


 アルフォンス様の表情は変わることはなく、その一言で場が引き締まった。お茶会の主導権はベアトリス様にあるようで、やはりアルフォンス様なのだ。


「まぁ、まだ先のことだ。それまでにも語り合う時間を作れば良い」


 それにしてもアルフォンス様の態度は、図書館で会った時に近いものになっている。派閥を作る上で、ある程度素を見せていくことにされたのだろう。威厳の中にも親しみやすさがあって、周りも笑顔で頷いている。前回のお茶会から誰一人として脱落していない。

 派閥の掌握は、着実に進んでいるようだ。


「豊穣祭でもお会いできると良いですね」


 アルフォンス様とベアトリス様とで、硬軟取り合わせた会話が生まれている気がする。


「当日は神殿に行かれるのですか?」


 エステルがベアトリス様に尋ねれば、にこやかに頷かれる。それを皮切りに、参加すると答える者や、兄がいるのでと残念がる声が上がる。

 とても和やかな雰囲気で、将来、この派閥が逆臣になる可能性を秘めているなんて、まるで想像できない。


「カロリーナ様はどうされますの?」


 不意にベアトリス様が声をかけてくださる。男爵令嬢として前に出ることなく控えていたのだけど、かえって目を引いてしまったようだ。


「お父様のご意向次第かと」


 ダニエルは八歳なので、豊穣祭にも出かけられない。長女である私が神殿に連れていかれる可能性は高いと思うけど……。

 ラッセの顔が思い浮かぶ。


「何か問題でもあるのか」


 アルフォンス様の瞳が私を捉えている。迷いが顔に出てしまっていたらしい。カロリーナの表情筋は、ヴェロニカに比べて随分と柔らかい。お父様譲りなのかしら……。


「いえ、問題というほどのことではありませんわ」


 否定してみたものの、あまり納得されている様子がない。更に否定を重ねても疑念が深まりそうだ。人脈作り大失敗である。

 ……いっそ開けっ広げにしてみるのもありかもしれない。この派閥における平民に対する意識を量ることができそうだ。


「最近、豊穣祭で着る平民の伝統衣装が私に似合うと言われたことがありまして、気にはなったのですが、平民の服なのでどうしたものかと思っていたのですわ」


 間ができる。

 みんな、どう返答したものか迷っているのだろう。エステルは、またこの子は突拍子もないことを、という顔をしている。木登りとどっこいどっこいなのかしら。

 そんな困った空気を破るのは、やはりベアトリス様だ。


「確か赤と白のストライプのエプロンをつけるのよね」


 小首を傾げる仕草は可憐な令嬢だ。とても令嬢らしい顔で侮蔑を隠していると分かる。ヴェロニカの感覚では、見慣れた顔だ。

 衣装の色合いは可愛いと思うのだけど、令嬢にとってエプロンをつけるというのは想像の範囲外にあることなのだろう。将来、より高位の家で侍女やメイドとして仕えることがあればエプロンをつける機会もあるかもしれないけど、現実としては遠い。

 その感覚は分かる。私だってラッセが伝統衣装を着たいと言った時に、戸惑わずにはいられなかった。


「似合わないこともないとは思いますが……」


 侮蔑を覚えつつもフォローしようとするベアトリス様は、悪い人ではないのだと思う。


「やはり平民の恰好となると難しいですわよね」


 平民の感覚とは隔たりがある。それが再確認できただけでも良い。今後、この派閥と付き合っていく際の指針となる。私が心の中でバランスの調整をしていると、突然爆弾が投下された。


「お忍びで出かけるのに着るのなら良いかもな」


 アルフォンス様……?

 顎に手を添えて考える素振りは、とても様になっている。長身も相まって、まるで十歳には見えない。

 でも、その姿以上に、言葉の衝撃度が大きい。アルフォンス様は理由があれば平民の恰好をすることにも否定的ではないのだ。


 そして、お忍び。何だか見透かされているみたいで、ちょっと怖い。でも、ラッセと出掛ける口実を作ってもらえたみたいで、嬉しくもある。


「なるほど、参考にいたしますわ」


 無難に返したつもりだったのに、アルフォンス様は失笑された。静かな席で、アルフォンス様の笑い声だけ響く。それは何だか楽し気で、目を離せなくなってしまう。


「カロリーナ嬢はお忍びする気満々のようだな」


 え? また顔に出ていたかしら?

 思わず頬に手を添えてしまうと、収まりかけたアルフォンス様の笑いのツボをまた刺激してしまったらしい。くくく、とこらえるような笑いは、でも不快じゃなかった。


「お忍び……」


「お忍びかぁ」


「一度してみたいと思っていましたのよね」


 アルフォンス様の笑いが伝播したのか、周囲にも好意的な雰囲気が広がっていく。

 うん、貴族なら一度はお忍びに憧れるよね。そしてお忍びするなら平民の恰好をしなくちゃいけない。それなら伝統衣装の可愛いエプロンくらい何のそのということだろう。

 まぁ、私の場合、マーヤとパウルもついてくるだろうから、厳密にはお忍びとは違うのだけど……。

 ラッセと一緒に伝統衣装を着て、平民の踊りをする姿を想像すると、何だかとてもご機嫌な気分になるのだった。


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