忠臣と逆臣
男爵家の娘が公爵家当主に会う機会を作るのは、なかなかに難しい。公爵家主催の夜会もお茶会も王都では開かれないとなれば、尚のことだ。
貴族年鑑によれば、ヨハンネスお兄様には二人の子供がいる。長男はヴェロニカがレオナルド様と結婚する一月前に生まれていたので、赤ちゃんの頃に会ってはいるのよね。今年で十三歳になるはず。長女はヴェロニカの死後二年過ぎてから生まれたので、今年で十一歳。私とも年は離れていないので、学園に通えば接触できる可能性はあるけど、三年も先のことになる。
その間、指をくわえて見ているだけじゃ、何かが手遅れになる気がする。となると、バリエンフェルト伯爵家のお茶会に今後も出席することが一番の近道にはなるけど……。
「ねぇ、エドヴァルド。先日のバリエンフェルト伯爵家のお茶会に招待された家は、どういった基準で選ばれたか分かる?」
エステルの言葉の通りなら、バリエンフェルト伯爵家が盛り返すための布石としてお茶会を開いたことになる。でも、盛り返すためならアールクヴィスト公爵家の力だけで充分なはずなのだ。伯爵家ならまだしも子爵家、ましてや男爵家の力など取るに足らないものだ。
「そうですね。十歳の子息子女のいる家ですね」
「それは分かっているわ。他にも理由はないのかしら?」
エドヴァルドは、にっこりと心のこもらない笑みを浮かべながら、マーヤとアードルフに視線を向ける。意味深な瞳に、二人が動じることはない。二人も関わることなのかな。外で待機しているパウルも呼んだほうが良いかしら。
私の逡巡をよそに、三人は何やらアイコンタクトを取ったようで、エドヴァルドは一度頷いた。
「端的に言えば、未来の王室に立ち向かえる家ですかね」
ひぃっ! 何かとんでもないことを言い出したわよ! オリアン男爵家って、わが家って国家転覆でも企てているの? てか近衛隊のアードルフがいる前で、何言ってくれちゃってんの!
青ざめる私を見て、エドヴァルドは楽しそうにくすくすと笑う。
「そんな表情は年相応ですね」
「エドヴァルド殿、言葉をきちんと選ぶように」
マーヤの目が鋭くなっているわ! その眼光を見ちゃうと、エドヴァルドの言葉が冗談に聞こえなくなるから、やめて!
私の心の声が届いたのか、エドヴァルドは安心させるように穏やかな声を出す。
「現王室ではなく未来の王室ですよ、オリアン嬢」
いや、国家転覆を謀っていることに変わりなくない?
ちらりとアードルフの方を見遣るけど、動じている様子もなければ激高する様子もない。ただ静観している。マーヤも同じだ。
「元側近と親しい立場にいた私から言わせてもらうと、王太子殿下は将来暗愚になりそうでしょう?」
エドヴァルド。そろそろ首と胴体が繋がっているか確認したほうが良いわよ。
でも、アードルフが動く気配はないし、父親をけなされたも同然のラッセに至っては関心がなさそうだった。王太子殿下? 誰それ? みたいな。父親として認識していない可能性もあるのだろうか。
「そんな傀儡王まっしぐらの王太子殿下に忠言し、正しく導ける派閥の成立を狙っているといった所ですかね」
そう言われると逆臣ではなく忠臣みたいに聞こえるわね。レオナルド様に対する言葉は不敬極まりないけど、擁護する言葉も見つからないので何も言えない。
「ま、学生時代から王太子殿下に思うところがあった家とも言えます」
レオナルド様をクソ呼ばわりしていたお父様と、それを否定しなかったお母様の姿が過る。こちらも何も言えない……。
だけど、エドヴァルドの言葉で、先日のお茶会の繋がりは見えた。単純に十歳の子供がいる家じゃない。ヴェロニカと同級生の家かつバリエンフェルト様と同い年の子が招待されていたのだ。
特に、クロンヘイム子爵は妹のブレンダとは二歳差、かつクロンヘイム子爵夫人はヴェロニカの同級生の令嬢だった。つまりヨハンネスお兄様ともヴェロニカとも学園で交流を持てた家なのだ。そう考えると、クロンヘイム子爵がエステルに言った言葉も、違った響きを帯びてくる。
――今はあまり力がない。
――盛り返すための一手だろう。
それは本当にバリエンフェルト伯爵家のことだけを指していたのか。親の間では、きっと全て織り込み済みだったのだろう。
ヴェロニカが死んで、もう十二年が過ぎた。それでも変わらぬ繋がりが続いていたのだ。貴族年鑑を見ているだけでは、見落とすこともあるのだと痛感する。
そして仲間の符牒が、ハーティロニー。
わたくしは、本当に孤独なんかじゃなかったんだと思う。もっと周りに手を差し出していたら、違った結末もあったのかもしれない。
「……忠臣と逆臣は表裏一体ですからね」
ぽつりとこぼされたエドヴァルドの言葉が、温かな気持ちに水を差した。
でも、間違いとも言えない。どこで行動の指針が逆転するかなんて分からない。そもそも先頭に立ったバリエンフェルト伯爵家は、元はアンナさんの取り巻きで、レオナルド様の側近候補だったのだから。慎重に見極めていく必要があるだろう。
とは言え、今後もバリエンフェルト伯爵家のお茶会の招待には応じる必要があるのは確かだ。バリエンフェルト伯爵家はもちろん、アールクヴィスト公爵家の真意はまだ何一つ確認できていないのだから。まずはお父様とお母様に話を聞く必要がある。
「私にもできることがあれば……」
そう漏らしたラッセの声は、どこか苦し気だ。第一王子という肩書はあっても、現状、行使できる力は何もないに等しい。大丈夫よ、と気楽には言い難い。私だって変わらない。男爵令嬢の肩書なんて、王族の前では何の役にも立たない。
でも、困った時に手を差し伸べてくれる人はいるのだ。
「私たちは一人ではありませんわ。一緒に、一つ一つできることを増やしていきましょう?」
ずっと独りだったラッセには、冷たく響くだろうか。温かく響くだろうか。分からない。だけど、ラッセは笑みを見せてくれるから。
「薬を作れるようになることだって、すごいことですのよ」
ラッセの手元を覗けば、すり鉢の中は、どろりとした緑の液状のものになっていた。エドヴァルドも覗き込んできて、笑みを見せる。
「綺麗にすり潰せたようですね」
そう言って自然とエドヴァルドの頭を撫でる手つきは、師弟のようであり、親子のようでもあった。私からすると胡散臭さが先に立ってしまうエドヴァルドだけど、ラッセにとっては家族のような存在なのかもしれない、とふと思った。
ラッセの表情は、とても朗らかだった。