バリエンフェルト伯爵家
男の子は、従者と思われる男性を連れており、服も皺一つないような丁寧な仕立てを感じさせるものだった。黒髪は艶があって、窓から差す陽を受けると若干赤みを帯びる美しさがある。
間違いなく貴族の子供である。図書館に入れる子供という点でも確実だろう。庶民らしさの欠片もないので、準貴族でもない。同格か格上の家だ。
私は新聞を置いて席から立ち、スカートを摘み、柔らかなカーテシーをする。
「お初にお目にかかります。オリアン男爵が娘、カロリーナにございます」
同じ男爵家だったら舐められるかもしれないけど、格上の家に無礼を働くよりはマシだ。男の子は、少し言葉に詰まった様子を見せる。でも、それは一瞬のことで、すぐに胸に右手をあてて礼を返してくれた。
「バリエンフェルト伯爵が一子、アルフォンスだ」
伯爵家! 子爵家の更に上の家格だ。挨拶をきちんとしておいて良かった。ほっと安堵したところで気付く。バリエンフェルト伯爵って、元騎士団長の家だ。
「で、二一一年の新聞を全部見ているのはお前か」
「……ええ。そうですわ」
家格が下と確定したからか、態度が更に横柄になった気がする。視線も冷たい。
「どの日付のものがご入用ですか?」
「全部だ」
つまり、今すぐ見るのを止めて全て譲れと? だいぶわがまま坊ちゃんみたいだ。いや、一年分の新聞を独り占め状態の私も傍から見たら同じようなものか。ちらりと控える従者に目を遣るけど、忠言する様子もない。
ここで余計なことを言って、家の問題に発展させるわけにもいかない。
「マーヤ、お渡しできるように片付けてくれる?」
「かしこまりました」
言いつつ、私も新聞を集めるくらいはしようとしたけど、マーヤの手際は良く、手伝う隙もなさそうね。
それにしても二一二年以降の新聞はどうしようかしら? 状況としては、二一一年の分だけで、大体把握できたように思うけど……。打開できるような記事があるのか。現在のラッセの取り巻く環境を思えば、その可能性は低いかな……。
「お前、王室について調べているのか」
考え事をしていると、不意にバリエンフェルト様に声をかけられた。マーヤが片付けている新聞の開いているページが、全て王室関連だったから、そりゃ分かるよね。でも、それがラッセのことに特化しているとは気付かれていないようだ。
「王室とはどんな所なのか、少し興味がありましたの」
「王妃にでもなりたいのか?」
初対面でする質問じゃないわ。青筋が立ちそうになったけど、精一杯の笑顔を浮かべる。
「いいえ。男爵家では分不相応というものですわ」
「その割には熱心に調べていたようだな」
「ちょっと凝り性なところがありますの」
一年分、三種類の新聞をがっつり見ていた訳だから、説得力はあまりないかもしれない。実際、バリエンフェルト様の視線は疑うように細められている。でも、王妃なんて全く目指していないから、そこは納得して欲しい。
「お嬢様、片付け終わりました」
マーヤの声に机を確認すると、すっきり綺麗に元通りになっている。
「ありがとう」
礼を返すと、バリエンフェルト様の眉がぴくりと動いた。
「お前、使用人なんかに感謝を告げるのか」
バリエンフェルト伯爵家は今でこそ文官の家になっているけど、元々は騎士の家系だ。上下関係にはより厳しい所があるのかもしれない。アールクヴィスト公爵家で育ったヴェロニカの感覚なら、理解できないこともない。だけど、私はオリアン男爵家で育ったカロリーナなのだ。
「使用人と線引きして接するのも、人間関係を円滑にするための一つの手段だと存じています。ですが、お礼を素直に伝えられる関係の方が窮屈ではなくて、私は好きなのですわ」
にっこりと微笑んでみせる。格下の家の戯れ言と捨て置かれるだろう。今までのバリエンフェルト様の様子から、そう判断した。それでも構わないと告げる笑顔、だったのだけど、バリエンフェルト様はどこか神妙な顔をしている。
「なるほど。そういう考えもあるのだな」
言葉に、皮肉をこめた様子はない。素直に頷く少年の姿があるだけだった。思わず凝視してしまう。バリエンフェルト様は私の不躾な視線も咎めることなく、一度頷いた。
「新聞の閲覧、譲って頂き感謝する」
「いえ、私はこれで失礼致します」
もう一度、軽くカーテシーをしてから閲覧室を後にする。
バリエンフェルト様はすでに新聞に目を落としていた。余程気になる記事があるようだ。二一一年の記事で気になること……。バリエンフェルト様のお父様は、元騎士団長の次男。長男はレオナルド様の側近候補だったものの、ヴェロニカの件で廃嫡の上に不審死。伯父について耳にすることがあって、調べようとしたのかしら。
もしかしたら、私の知りえないこともバリエンフェルト伯爵家なら把握していたりするのかな。
確かめてみたいけど、今の関係では無理ね。バリエンフェルト様は最後に礼を告げてくださったけど、使用人との関わりの話の後にされるとね……。男爵家への感情も透けて見えるというもの。
男爵家の娘など使用人と同列! なんてね。
でも、伯爵家の嫡男の感覚としては、あながち間違いとも言えないのよね。男爵家の令嬢が行儀見習いとして世話になることはあるだろうし、侍女が男爵家の二女や三女というのは割とよくあることだ。
だから、私が貴族令嬢として見られないとしても仕方ないと言えなくもない。次回、話す機会がいつになるか分からないけど、その時には情報を共有できる関係になれたら良いとは思う。家格の壁を乗り越えられる方法を考えないといけないわね……。
マーヤに、二一一年の新聞をバリエンフェルト伯爵家の子息が閲覧する旨を職員に伝えてもらってから、少しだけ植物関連の書物にも目を通した。ラッセとも植物のことから、他にも色々と話せるようになっていけたら良いのだけど……。
人間関係の構築の難しさを改めて実感するのだった。