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目の前で飛んだものは

 かつらだ。

 かつらが飛んでいる。ありふれた茶髪が、放物線を描いて目の前に。

 発射地点に目をやれば、まばゆいばかりのプラチナブロンドが。

 それは、王族たる者の証だ。気づいた瞬間、たくさんの記憶が、思い出が脳内を駆け巡った。直感で確信する。これは前世の記憶だ。


 私はわたくしだった。ヴェロニカ・アールクヴィスト公爵令嬢。そして、レオナルド・ソール・フォン・スコーグラード王太子の正妃。王家に嫁いで半年足らずで命を散らしてしまった、報われない女だ。

 だけど今は違う。オリアン男爵家の長女、カロリーナだ。


 同じ貴族と言っても、公爵家とは天と地ほどの差があると言っていい。王族の方々と顔を合わせることなんてデビュタントくらいだろうし、アールクヴィスト公爵家とも特に繋がりはない。オリアン男爵家は、十歳の娘から見てだけど、悪事には手を染めていない。ヴェロニカの記憶でも、オリアン家は王家に忠誠を誓い、領民達にも心を砕く善性の家系だった。

 あれ、ヴェロニカの記憶の中に、お父様の顔があるわ。ちょっと若い気もするけど……? 前世の記憶、なのよね?

 疑問が掠めたけど、大丈夫、私は、前世よりずっと自由に生きられる! はず!

 にっこり笑顔を浮かべそうになった所で重大なことに思い至る。

 前世を思い出すきっかけになったプラチナブロンドが目の前に転がっている。


 え? あれ? 目の前に王族? 一人っきりで?


 見た目の年齢は私と同じか、少し上くらい。王族という割には痩せている気もするけど、男の子だ。膝を怪我したのか、起き上がりにくそうだ。

 ぐるりと周囲を見ても、誰も駆けつけない。大通りからは外れた道とはいえ、貴族街ともほど近く、商店も立ち並んでいる。人通りだって、それなりにある。でも、誰も助けに近寄らない。おいそれと平民が明らかに王族の子供には近づけないとはいえ……。


 でも、護衛は?


 よく見れば平民の質素な服が不釣り合いな筋骨隆々の男が、人波の向こうの建物の影から半身を出していた。駆け寄りたいのに駆け寄れない? いえ、待って、あれってアードルフ? アードルフなの? なんか老けた気がするけど、強面過ぎるのは相変わらずね! 今子供に近づいたら人攫いに間違われるわよ!

 ……仕方ない。私は一歩踏み出した。


「お嬢様」


 落ち着きのある声。斜め後ろを見れば、私の専属侍女のマーヤ・リングダールが瞳で制していることが分かる。だけど、私は二歩目を踏み出した。


「大丈夫よ」


 と言っても、王族と面と向かって接するのはまだ怖い。だから、まず、全力で見なかったことにする!

 落ちていたかつらを手に取ると、そのまままっすぐに彼に近づく。視線が重なる、その前にばさっとかつらを被せた。


「うわっ」


 なんか呻き声に似た声が聞こえたけど、問題ない! 彼は茶髪! プラチナブロンドなんてなかった!


「まぁ、膝を怪我されたのね? 立てるかしら」


 私は男爵家の娘、貴族令嬢だ。ふんわりと品のある笑みを浮かべ、手を差し出す。彼は戸惑ったように瞳を揺らす。だけど、一度まばたきをすると貴族を見る平民の顔になった。


「あ、ありがとうございます。お手を煩わしすみません」


「気にしなくてよろしくってよ」


 ええ、本当に気にしないでくださいね、お願いですから。心の中で念を押しながら彼の手を取り立たせる。やはり膝を擦りむいたようで、血が滲んでいる。


「マーヤ、手当てをお願いするわ」


「かしこまりました、お嬢様」


 自分で言っといてなんだけど手当てできるのね、マーヤ。あくまで平民として接しているけど、相手は王族なのだ。私なんて、触れた指先が震えないように気をつけるだけで精一杯だというのに。マーヤは道の端に誘導すると、手持ちの水筒で膝を濡らして汚れを落としてから、ささっと布で巻いていく。


「これは、これはすみません、ありがとうございます」


 不意に落ち着いた声がして振り向いて、ギョッとした。

 アードルフ(仮)! 声と顔が合ってないわよ! 笑顔を浮かべるなら、もっと瞳を優しくなさい。落ち着き出した周囲がまたざわめくじゃないの! 首が飛ぶのか、と慄いた声がどこからか聞こえる。

 私は一度小さく咳払いをして、声の調子を整え直す。


「あなたは彼の関係者かしら」


「はい、叔父にございます」


 兄や父親よりは現実的だけど、顔が違い過ぎて嘘だと一目瞭然だ。でもアードルフであるなら、王族の護衛任務についていてもおかしくはない。とは言え、もっと適任な人はいなかったのだろうか。疑問はぐっと飲み込んだ。


「そう。応急の処置を行っているけれど、後で医者に見せるようになさい」


「気遣い、感謝致します」


 破落戸ならずもののような出で立ちのアードルフ(仮)から慇懃な言葉が出てくると、違和感がすごい。彼の中で自分の設定は今どうなっているのだろう。

 とりあえず鷹揚に頷いてみせて、茶髪(仮)の少年の方を見る。

 うん、貴族と平民という体で会話をしているものの、無理があるわね! 装飾品の類や豪奢な刺繍はないけれども、服の生地はいずれも一級品だ。お坊ちゃんであることは隠しようがない。半ズボンから覗く膝の擦り傷が痛々しくなるくらいに肌は白く透けて……いや、思ったより日に焼けているかも? 指先も……転んだ時に汚れたのかしら。でも、何より、茶髪の下にプラチナブロンドが存在することを知っている。

 幸い、お互いまだ名乗っていないし、多少の無礼は子供ってことで許してもらえないかしら……。


「お嬢様、手当てが終わりました」


「ありがとう」


 王族に触れてなお落ち着いていられるマーヤを、私も見習わなくては……。


「では、私たちはこれで失礼しますわ」


 まぁ、もう会うこともないんだけどね! スカートをふわりと翻して歩き出す。


「あ、あの!」


 え? ここで呼び止めるの? このままお別れしたいんだけどな。私の中のヴェロニカがしかめ面をするようで、拒否感が膨れ上がってくる。でも、平民のふりをしていても相手は王族。無視はできない。私たちのやり取りを気にしている視線も多いままだし。

 ぐっと笑顔を作ってから振り向く。


「何かしら?」


「あの、お礼がしたいです。お名前を伺ってもよろしいですか?」


 あぁ、微笑みがとってもロイヤル。まったくもって平民に見えません。でも! だけど! 今は貴族と平民だから! ノブレス・オブリージュで切り返す!


「名乗るほどの者ではございませんわ。貴族の娘として当然のことをしたまでです」


 もう一度渾身の笑顔を浮かべた。貴族が平民相手に敬語になっちゃったけど、気にしない! 私は、さっと踵を返した。

 さすがに更に声を掛けられることはなかった。良かった。何とか切り抜けたわね。


「お嬢様、どちらへ?」


 あれ、私、どこへ行くつもりだったんだっけ。商店が立ち並んでいる通りなんだから買い物に来たんだろうけど……。上手く思い出せないわ。何度か歩いたことのあるはずの通りなのに、とても、とても、遠い気がしてくる。


「帰りましょう」


 マーヤは少し考えたような顔をしたけど、何も言うことなく馬車の停留所へと先導してくれた。

 何だかすごく眠い。まるで短時間に十八年分の運動をしたみたいに気疲れしていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 淫売と屑の血を引いた下劣な雄犬がヒーロー役ですか 生まれた時点で殺しておけよ
2022/02/17 13:34 退会済み
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