王立図書館
活版印刷が生まれ、この百年程の間に本は身近なものになった。逆に言えば、それ以前の本は手書きが主流であったため、価値は跳ね上がってしまっている。活版印刷で出版し直されているものもあるけど、全てじゃない。どちらにせよ平民からすれば、本が高価なものであることに変わりはない。
つまり、国内の本はもとより、国外の本も多く所蔵されている王立図書館は入館証の発行が厳しい場所だ。平民だと、学業で頭角を現していれば可能性はあるが、基本無理だ。貴族なら貴族年鑑を元に身分の確認をとって比較的簡単に発行される。それでも、いわゆる禁書扱いの閲覧権は許可がまず下りない。国王陛下に認められるような功績でもない限りは。館長、副館長は特別な立場だとも言えた。
そんな図書館の館内は、その規模に比べて静かで、人も少ない。十歳児の視点だと、どの棚も見上げるほど高くて、首が痛くなりそうだ。
「すごいですね」
初めて訪れたマーヤが、感嘆の声を漏らしている。私はヴェロニカの記憶で慣れているけど、圧倒される気持ちはよく分かる。パウルの反応も見てみたかったけど、同伴できる侍女や護衛は一人だけと決まっているのだ。外で待機してもらっている。
「今日は何をご覧になりますか?」
気を取り直したマーヤが尋ねてくる。
「そうね、まずは十二年前の新聞かしら」
王立図書館には、書籍だけでなく冊子や新聞の類もある。出版物であれば、何でも所蔵しているのだ。知の宝庫と呼ばれる所以だろう。
「過去の新聞ですと、書庫から出して頂く必要があるようですね」
図書館の利用手引きに目を通したマーヤが、教えてくれる。日々増えていくものを全て表に出しておくのは無理だろうから仕方ない。
「では、カウンターに申し出れば良いのかしら」
「そうですね。伝えて参ります」
マーヤはさくさくと対応してくれる。今更だけど、十歳の娘が過去の新聞を見たいと言っても気にしないのね。ここ最近、本を積み上げて読んでいたせいかしら……。
過去の新聞を見るには、別途閲覧室が設けられていた。古いものであれば保存状態に気を使うし、複数の新聞を広げるなら場所が要るから、配慮されているのだろう。
所蔵される新聞は三種類ある。ざっくり言えば、王家全肯定のもの、王家を肯定しつつ皮肉っているもの、民衆の噂をまとめたようなものだ。王家を全否定するものはさすがにないけど、それでも懐の広いラインナップだ。それらが日付の目印のついた木箱に収められている訳だけど……十二年前で指定してまったので、物量が圧巻だ。
「どの日付をご覧になりますか?」
「まずは、ラッセの誕生日翌日のものかしら」
「かしこまりました」
該当の日付がある木箱の引き出しを開けると、ふんわりとインクの匂いが漂った。
「これは……」
新聞の一面を見た瞬間、言葉に詰まってしまった。ヴェロニカの死を伝えるものだったから。三種類とも全て。
内容は王太子妃の早すぎる死を悼むもので、批判めいたものはない。これといった実績もないままの死だったから、判断材料がなかったせいもあるかもしれない。レオナルド様の婚約破棄騒動は民衆にも広く知れ渡っていたようで、どちらかと言えば同情を寄せた記事になっている。
哀れな王太子妃殿下、か。
否定的に見られるよりはマシだけど、人々のために何もできないまま終えてしまったのだな、という後悔も滲む。
今考えても仕方のないことだと、溜め息一つついて気持ちを切り替える。
さて、新たな王族の誕生については、当時どのように受け止められていたのだろう? 二面、三面、と見ていくけど、載っていない。王家を特集した記事にも、一切記載がない。王家に肯定的な新聞にも、皮肉を混ぜる新聞にも。唯一、民衆の噂をまとめた新聞だけ、王太子殿下の愛人の子が生まれたらしい、という噂形式で小さく取り扱われていた。
当時のアンナさんは王太子妃どころか、側妃なのか愛妾なのかも曖昧だったから、当然の扱いなのかもしれない。
では、呪い子なんて呼ばれるようになったのは、いつからなのか。
「翌日のものも見せてもらえるかしら?」
声をかければ、マーヤはすぐに取り出してくれる。引き続きヴェロニカのことが大きく取り上げられているだけで、ラッセのことは一文字もなかった。アンナさんのことが公に認められるまでは、存在しないものとされたのかしら。
だけど、ヴェロニカの早すぎる死に疑問が持ち上がった辺りから、風向きが変わってきた。最初は、死とともに生まれた不吉な子だった。それが、アンナさんが男爵令嬢から侯爵令嬢、王太子婚約者、王太子妃とステップアップするに従い、母のためにヴェロニカを殺した呪い子として定着していった。王家を全肯定していたはずの新聞でさえも。
そして、ヴェロニカ毒殺の報が流れた時点で確定的となり、関わった高位子息たちの不審死をもって揺るぎないものになった。それは一年とかからない期間の出来事であり、ラッセは生まれてから一度も肯定的に見られたことがないということだった。
アンナさんが王太子妃になったことで、第一王子として一応認められたようだけど、レオナルド様と結婚した日取りが、ヴェロニカとレオナルド様の本来の結婚式の日程だったことも悪感情を刺激してしまった。民衆の噂は過激さを増し、ヴェロニカの視点で見ても、ちょっと引いてしまうくらいだ。悪いこと、不幸なことは、全てラッセのせいになっていたから。
ここまで悪意が育ってしまったら、十年程度では消えない人も多いのだろうと納得してしまう。
こんな状況の中、王族として人々のために役に立ちたいと考えたラッセの心情は、あまり健康的とは言えないかもしれない。
友人としてできることは何があるだろう?
一緒に出かけて話すだけでいいのかな?
呪い子と大きく書かれた新聞記事を前に小さく唸ると、閲覧室の扉が開く音がした。誰かしら、と扉の方に視線を向けると、長身の男の子がいた。私より頭二つ分くらい大きいだろうか。だけど、顔には幼さがあって、年齢はそう変わらないような印象がある。
子供が新聞を読むのは珍しいな、と自分のことを棚に上げて、ついまじまじと見てしまった。初対面で失礼だったとは思う。
「二一一年の新聞を見ているのはお前か」
だけど、相手の物言いの方が、輪をかけて失礼だった。マーヤが臨戦態勢に入ってしまった。私は慌てて笑顔を浮かべてみるのだった。