認識の齟齬
薬草摘み、もといピクニックの日は朝から慌ただしかった。
ラッセが普段薬草を摘んでいる場所は、当然ピクニックに向いている場所ではないはずだ。服装を決めるのも一苦労だ。令嬢がスラックスをはくことは許されないが、歩きやすいように踵の低い靴が選ばれた。夏の気温や虫刺されの予防も考慮しないといけない。風通しの良い素材のワンピースに加えて、手袋も用意された。日焼け対策も兼ねている。
お弁当も用意したい、と発言しちゃったから、料理長たちも大変だった。ピクニックらしさを演出するための思い付きではあったけど、実際に口にするのは王族なのだ。気楽に用意して良いものじゃなかった。
でも、ラッセの痩せた手足を思い浮かべると……。わがままになってしまっても、用意したかった。
加えて、お父様が護衛追加の再検討を促してくるので、それをかわすのも大変だった。子供が歩いて行ける範囲とは言え、王都の壁の外に出るのだ。心配は嬉しいし、もっともだとも思う。ラーシュ殿下と出掛けると考えれば、本来なら、最低でも一個小隊は必要だろう。
だけど、あくまでもラッセとして接するのだ。私の後ろに三十人以上の騎士がいるのを見たら、たぶん、その瞬間に友人関係は終わると思う。
最終的にマーヤとパウルの二人のみで了承はしてくれた。その優しさに免じて、隠密でつけられた護衛に関しては目を瞑るつもりだ。ラッセの護衛が、本当にアードルフしかいないのか、確認するのにも丁度良いだろう。隠密に同じ対象を護衛しようとすれば、行動パターンはどうしても似通ってくるからね。
一方で、男爵令嬢が王族、あるいは平民の異性と出掛けるのは、醜聞を生む可能性もあるわけで……。直接、目にするのは限られた人物にした方が良いという見方もあったりする。結果、馬車の御者はパウルが務めることになった。
令嬢のお出掛けの準備が大変なのは、公爵家も男爵家も変わらないものだと実感した。一緒に出掛ける相手が相手だから仕方ないとも思うけども。
そうして、馬車の停留所で落ち合ったラッセは、乗り合わせた後も、何だか気まずそうだ。肩を落としているようにも見える。
「ラッセ、どうかされましたの?」
マーヤも御者の席に座っているし、ラッセについてきたアードルフは馬で並走している。今は二人きりと言える。いくらか気楽に話せるかと思ったのだけど……。
「その……この度は色々と申し訳ない」
突然の王族からの謝罪。ぴしりと体が固まりそうになる。だけど、ラッセは友人だと言い聞かせて息を整える。
「何についてのことでしょう?」
「色々と配慮が足りなかったな、と」
「配慮ですか?」
確認するように尋ねれば、ラッセの頬が赤くなる。
「友人とはお互いのことをよく知るものだと思う。だから、まずは普段の私を見てもらおうと薬草摘みを提案したのだが、エドヴァルドにもアードルフにもあり得ないと断言されてしまった」
貴族令嬢は土に直接触れるようなことはしないだろうし。外に長時間いれば日焼けしてしまうだろうしね。
「今日のカロリーナの恰好を見て、だいぶ無理をさせたのだと思い知らされた」
一目見て、それだけ思いを馳せて頂けるなら、頑張って準備した甲斐はあったものだと思う。
「それに、私は馬車を用意していなかった。普通に歩いて行こうと……。本当に申し訳ない」
深々と頭を下げられてしまい、かえって居心地が悪くなる。でも、適当なことを言って流せば、きっとラッセを傷つけてしまう。
「ラッセ、色々と気にかけて頂いてありがとうございます。今はまだ友人の距離を測りかねている状態ですもの。色々と齟齬が出てしまうのは、仕方のないことですわ」
「友人の距離?」
「ええ、今回、私は貴族令嬢としての準備をしましたわ。でも、ラッセは王族ではなく普段のラッセとして準備して下さいました。どちらが良いのかは、これから考えていけば良いのです」
「これから……」
「ええ、これも実験の一つですわ」
ラッセの顔に、安堵が広がる。気持ちが浮上したようで何よりだ。
「ありがとう、カロリーナ」
「これからのことは二人で考えていきましょう!」
気合を入れて返せば、笑みがこぼれ落ちる。友人なら、一方通行ではきっと成立しない。お互いに歩み寄っていくことが大切だ。
でも、そうなると、やっぱり連絡手段の変更はした方が良さそうよね。毎回ブローロース商会から来るとなると、お父様の事業にどう影響するのか……。十年以上前に解決したことのはずなのに、今も隠れるような営業をしていることを考えると、根は深そうだ。
どう連絡を取るのが、よりスムーズになるのか……。今すぐは思い浮かばないわね。ラッセは何か案があるのだろうか。
「連絡手段も考えないといけませんわ」
「エドヴァルドに毎回頼るのも悪いしなぁ」
ラッセはブローロース商会について思う所はなさそうだ。大事な協力者ではあるのだろうけど……。王城の隠し通路の出口に店を構えていることを考えると、真意を掴みかねる人物でもある。今後も注視する必要があるだろう。
「後で他の人にも聞いてみましょう」
護衛の観点から意見を聞けば、より良い案が出るかもしれない。
不意に窓からの日差しが強くなった。視線を横に向ければ、緑の絨毯が広がっていた。王都の壁を越えたのだ。
「まぁ、青空がとても近くなった気がしますわ」
建物に遮られない景色は、十歳の目線でも、とても広々として映る。毎年、領地を行き来するのは春の初めと秋の終わりだ。初めて見る夏の空の青は色が濃くて、手を伸ばせば届きそうな錯覚を覚える。
「夏空は力強いよね」
「そうね、日差しが強いからかしら」
ラッセにとっては見慣れた空なのだろうか。本来なら王都どころか王城内からも出ることは、まだ少ない年齢のはずだ。従来の王族とは異なる日々を送っているのだと感じられて、切なさが一瞬過る。
気持ちを切り替えるように、今日のことに集中する。
「ところで、今日はどの辺りまで行かれるのですか?」
御者を務めるパウルには伝えられていたけど、私は知らないままだ。てっきり王都の壁近くかと思ったのだけど、馬車が近場で止まる様子はない。
「馬車を用意してもらったからね。少し足を延ばして湖まで行こうかと」
薬草摘みというよりピクニックに適した場所に変更されている気がする。アードルフの助言があったのかな。
「普段も行かれることはあるのですか?」
「そうだね。時間に余裕がある時は行くかな」
「……馬車なしで?」
ラッセの言い回しに引っ掛かりを覚えて確認すると、事も無げに頷かれた。
「うん。もちろん。お忍びで利用できる馬車はないからね」
平民が利用する乗合馬車は選択肢にないのか、うっかりかつらが飛ぶ危険を考慮して排除されているのか……。いずれにしてもラッセは体力に自信があるようだ。王城から裏通りに出るまででも距離はあるだろうに。更に馬車で移動する距離を歩かれるとは……。高位の子息の割には日焼けしている理由を察した。
アードルフが心労で倒れないように、そっと祈りを捧げる。