距離感不明
友達。友人。親友。旧友。悪友。
友とつく言葉は色々とある。私とラーシュ殿下の友は、どんな言葉の関係になるのだろう?
思わず了承することになってしまったけど、そもそも友人の定義が分からないから、今後どうしたら良いのか、さっぱり分からない。
それはラーシュ殿下も同じようで、提案はされたものの方針は示されない。静かに紅茶を飲まれている。私も、もう一口、もう一口……。あ、飲み干してしまったわ。
いつまでも教会の応接室を占拠するのも良くないわね。
「ラッセ……いえ、殿下? ラーシュ殿下?」
友人って何て呼びかけたら良いのかしら。友人、と考えるとラッセは偽名というより愛称になる気がしてしまう。気にしすぎ……かな。
「ラッセで構わないよ。たぶん、外で会うことの方が多いだろうし」
確かに公式に会う機会なんて数年はないだろう。私は納得して、改めて声をかける。
「ラッセ、そろそろ子供たちの所へ行きますわ」
「そうだね。オリアン嬢も用があって来てるんだもんね」
「ええ。あと、私もカロリーナで構いませんわ」
友達ならきっと不要なことだ。片方だけ名前呼びというのも違うはずだし。
「分かったよ、カロリーナ」
席から立つラッセの所作は、優雅で隙がない。家名で呼ぶ癖にしても、貴族としての教育をきちんと受けている証拠だ。そっと私に差し出される右手も、とても自然で、私も流れるように手を取り立ち上がっていた。
――レオナルド様に、最後にエスコートして頂いたのはいつだったかしら。
面影のある顔立ちが目の前にあったせいか、そんなことを不意に思ってしまった。だけど、次の瞬間には、そんな過去は吹き飛んでしまった。
私の右手を少し持ち上げたラッセは、指先に触れるか触れないかの所に唇を寄せたから。
「またね」
ラッセは感謝の意を示したに過ぎない。おそらく友人となったことへの。頭では理解している。ヴェロニカにとっては、日常の一つでもあった。でも、私にとっては、カロリーナにとっては初めてのことで……。
頬に熱が灯るのを感じた。
ふんわりと微笑んだラッセは、応接室の扉をくぐると平民の薬売りの顔になっていた。
「では、近い内にご連絡致します」
その言葉に、ちゃんと頷き返せていただろうか。
その後、子供たちとちゃんと触れ合えていただろうか。
何だか記憶が定かじゃない。神父様には応接室を貸して頂いた感謝をきちんと伝えたし、暇を告げる挨拶もできていた、はずだ。
気づけば、私は馬車に揺られていた。向かいに座るマーヤ、馬車に馬で並走するパウル。どちらも教会に向かう時と同じ顔をしている。だから、なかなか落ち着かない自分の顔が浮いて感じられる。
私は気分を整え直すように、長く、長く深呼吸をした。
「マーヤ」
「はい、お嬢様」
「友人とは、どういった関係になるのかしら」
「……お互いを信頼し、親しく付き合いのある関係でしょうか」
間はあったけど、表情は崩していない。
「それは第一王子殿下と男爵令嬢の間で、どのように形成されるものだと思う?」
真顔のマーヤと見つめ合う。ガタリゴトリと馬車の揺れを、とても感じる。
「お嬢様の行動次第かと」
考えるのを放棄したわね。仕方ない。私だって分からないもの。ラッセだって、友人というものを二人で実験していこうと言っていたけど、具体的な方策がある様子ではなかったもの。
何だったら口約束だけで終わる可能性もあった、と思う。
ラッセが私の指先に唇を落とすまでは。
思い出すと、また朱を注いでしまいそうになる。友人関係とは、こんなにも照れ臭いものなのかしら。感謝されるだけで内心慌てているような状態では、友情は正しく築かれていかない気がする。
次にラッセに会うまでに慣れる方法はないものか……。それも含めての実験になるのかな。
ん? 次?
「また連絡するとラッセは言っていたけど、どうやって?」
まさか王家からオリアン家に直接連絡がくるわけじゃないよね……。
帝王学は受けていないし、呪い子と蔑まれているし、王室での立場が良くないことは明らか。一方で、貴族としての教養やマナーの教育は受けているし、陛下からは近衛をつけられている。
非常に不安定であやふやな立場の第一王子殿下から男爵令嬢に届く手紙。波乱を呼ぶ予感しかしない。
アンナさんの再来として、秘密裡に処理される可能性もある? できるなら今世は長生きしたいんだけどな。
「一先ず報告は必要かと」
マーヤの冷静で冷酷な判断に、私は一瞬言葉に詰まる。
「……そうね。お父様とお母様には話しておく必要があるわね」
どんな形になるか分からないけど、心構えがないよりはあった方が良いだろう。お父様も、レオナルド様に思う所はあっても、ラッセのことは呪い子だとは思っていないわけだし。悪いようにはなされないはず。
そうは言っても、伝えるには勇気のいることだ。
そして、もっと冷静さが必要だと実感する。了承してから、あれこれ悩むなんて浅はかすぎるもの。ヴェロニカだった頃なら、もっと落ち着いて対処できていたはずだ。いや、あれも妃教育に裏打ちされた自信と、公爵家という大きな後ろ盾があればこそかもしれない。カロリーナとなった今では、対外的な力は本当にない。
改めてアンナさんは豪胆な方だったのだと思う。見習うべきか? うん、それはないわね。アンナさんは確かに正妃まで上り詰めた。アンナさんの振る舞いは、今では正当性を持っているのかもしれない。
だけど、私は前世を否定したくはないのだ。たとえ毒殺されて終える一生だとしても、ヴェロニカは正しく生きたのだと思いたい。それはラッセの出生について憤るものでもない。二つは相反することなく、私の中に存在する気持ちだ。
そう思えば、ラッセと友人関係を結ぼうとするのは、不思議な縁だ。これも女神ヴィネア様の思し召しなのだろうか。
私はこのあやふやな関係が、穏やかなものになることを願った。