女神の導き
華やかで栄えているように見える王都においても、住む区画によって貧富の差は大きく、振り返れば全く違う生活が広がっていたりする。
その代表例が教会だろう。貴族も平民も入り混じることが多い場所の一つだ。何より、教会には孤児院が併設されている所も多い。王都の縮図があるとも言えた。
ヴェロニカの記憶が戻ってから、教会を頻繁に訪れるようになっていた。アールクヴィスト公爵家は、貴族の義務として多くの教会に寄付をしている。加えて、ヴェロニカは母である公爵夫人とともに孤児院を訪れ、直接交流を行うようにしていた。学園に通い始めてからは毎週とはいかなくなったが、月に一度は訪ねていたものだ。
そんな経験の記憶が、十歳の私を突き動かした。
王都には中央教会をはじめ、ステンドグラスがきらめく華やかな教会も多いが、オリアン家が寄付している教会は素朴だ。王都というより森林広がる領地にもある教会に近い。
教会と孤児院を訪ねるようにしたのは自分の意志だけど、一つ気がかりなのが……。
「パウル、今日も外出に付き合ってくれてありがとう」
ラーシュ殿下の報告以来、マーヤに加えてオリアン家の私兵団長であるパウル・アントンソンも護衛につくようになったことだ。
「勿体ないお言葉です」
言葉数は少ない。生真面目を絵に描いたような顔に、ちょび髭がチャームポイントな筋骨隆々な大男。鎧はなくとも、帯剣しているだけで、かなりの威圧感がある。騎士に憧れがあるのか、孤児院の子供たちに意外と人気なのが救いだ。
問題があるとすれば、パウルが私兵団長ということだ。
両親の愛情はさておき、現実的な話をすれば、オリアン家における私の優先度は最も低い。一番は当主であるお父様、次いで後継であるダニエル、女主人であるお母様、最後に私だ。将来、家を出ることになる私は政略的な駒としては有効だけど、婚約者もいない今は、亡くなっても家としては支障がない。
そんな私が外出する度に、オリアン家最大の戦力がお父様のそばを離れるのは、由々しきことだ。百歩譲って護衛が増えるのは仕方ないにしても、他の兵じゃダメなのかな。
お父様の愛情がくすぐったくも申し訳ない。
ちらりとマーヤの方を見るものの、涼しい顔で、全く異議はない様子だ。その内、慣れるのかしら。
教会内は、夏本番を迎えた今でも、不思議と暑さを感じさせない。立地の関係なのか、女神ヴィネア様のご加護なのか。
「おや、カロリーナ様、いらっしゃいませ」
礼拝堂の正面中央にある女神ヴィネア様の像の前に、神父様がいらっしゃった。通う内に、すっかり顔見知りだ。
「本日も祈りに参りました。よろしいかしら」
「もちろんですとも。女神ヴィネア様も、対話の時間をお喜びでしょう」
柔和な笑みを浮かべる神父様は、像の前から離れると、そのまま一礼して礼拝堂を後にした。信徒の祈りの時間は、たとえ神父であっても第三者が邪魔するものではないとお考えのようだ。
私は像の前で手を組み合わせ、目をつぶり祈りを捧げる。オリアン家が、領地の民が平穏に安泰に過ごせるように、と。
目を開けると、女神ヴィネア様が微笑んだように見えた。いや、もともと微笑している像なのだ。それでも穏やかな気持ちになった。けれど、一抹の心配が過って、もう一度目を閉じる。
――ラーシュ殿下が健やかに過ごせますように。
あれからラーシュ殿下には会っていない。けれど、一朝一夕で生活環境が変わるということはないだろう。王城はそんな生易しい場所じゃない。変化には多くの犠牲が伴う。
立場を改善する手立ては、まだ何も思い浮かばないけど、せめて遠くから息災を願う。
「では、マーヤ、孤児院の方に行きましょう」
祈りを終えた私は、孤児院で過ごす子供たちのために持ってきたお菓子の箱を確認しながら、声をかける。
「はい、お嬢様」
教会には正面の入り口とは別に、隣の孤児院に繋がる扉がある。パウルが心得た様子で開けてくれる。途端に夏の薫りが身を包む。太陽の光を浴びて元気に育った雑草が道を覆い、木々のすき間から虫の鳴き声が響き渡る。教会は現世と隔絶された場所なのだと、実感する。
「足元にお気を付けください」
「ありがとう」
パウルが先導し、マーヤが日傘を差して、貴族の一団の出来上がりだ。教会と孤児院は小さな庭を挟んだ目と鼻の先なので、そこまで気を張る必要もないんだけどね。
孤児院と言っても、見た目は二階建ての民家だ。ここに神父様と三人のシスターに加えて十二人の子供たちが過ごしているのだから、手狭感は否めない。オリアン家の寄付も少ないわけじゃないけど、十六人の生活費を考えれば、建物の拡張まで手は出せないのだろう。
「あ、カロリーナ様だ!」
窓から外を覗いていた男の子が、声を上げる。途端に四人の子供が、ぐっと窓に張り付いてきて、手を振ってくれる。
今日も元気そうで何よりだわ。私も手を振り返しながら、孤児院へと入る。
「お菓子だ! お菓子がきた!」
……現金な子供たちでもある。若干、私がおまけになっている気がしないでもない。いやいや、とても素直な子供たちなのだ。孤児院におけるお菓子は貴重品にも等しいわけだし。喜んでくれるなら、私も嬉しい。
「これこれ、お礼を言うのが先だよ」
子供たちの声が聞こえたからか、神父様が窘めに現れる。子供たちも慣れたもので、ありがとうございます! と気軽に対応を返している。大人の貴族にも同じ態度を取らないか心配にもなるけど、私自身は、ちょっと雑なこの対応が嫌いじゃない。
「はいはい、ケンカせずにみんなで分け合うのよ?」
お姉さんぶってみれば、元気な声が上がるのも嬉しい。ちょっと雛鳥の餌付けっぽく感じないでもないけど。
「あら、今日はいつもより少ない?」
普段なら十二人の子供たちが我先にとやってくるのだけど、今は何人かいない。それも女の子ばかり。
「ああ、向こうの部屋に薬屋さんが来ているんですよ」
「薬屋さん?」
神父様の言葉に、首を傾げる。今まで教会で薬屋さんなるものに遭遇したことはない。神父様曰く、裏通りで営業している薬屋が孤児院を併設している教会に対して、格安で訪問販売して回っているらしい。裏通りの店舗なら、そこまで経営も楽ではないだろうに、無料の寄付ではないにしろ薬を格安で、とは……。
随分と気前の良い薬屋さんもいたものだと思う一方で、何とも言えない予感もする。
「カロリーナ様も、ご挨拶されていかれますか?」
私が興味を持ったように見えたのか、神父様が好意的な笑顔で提案してくる。
くるりと後ろに確認を飛ばすと、マーヤはもちろん、事情を聞いているであろうパウルも察しているようだった。前に向き直ると、神父様は笑顔のままで他意はない様子だ。
うん、予感が当たるとは限らない。大体予感が当たっていれば、神父様がこんなに平然とされているはずないもの。
そう言い聞かせて、私も笑顔を浮かべる。
「ええ、是非お願いします」
オリアン家が寄付している教会に便宜を図ってくれている薬屋さんだ。挨拶しておくに越したことはないだろう。
そうして案内された部屋には、頬を染めた女の子を三人従えたシスター相手に、薬の説明をしている茶髪(仮)の美少年がいた。予感はあっさり的中したようだ。
「あれ、カロリーナ様?」
驚きつつも、しっかり平民として名前を呼ぶ態度に、思わず唇がひくつく。
「……ラッセ、ご機嫌よう」
先ほど健やかであることを祈ったばかりですが。早速、答えを提示してくる辺り、女神ヴィネア様は仕事が速いのだと確信する。