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噂話

 簡単につまめるものを品良く並べた皿を持ったマルクスに案内されて、壁際に設置された席に座る。ずっと立ちっぱなしだったので、ちょっとほっとする。ソファの柔らかさが心地よい。小さなテーブルには料理に加えて、果実水も置かれる。マルクスの両手は皿でふさがっていたはずなのだけど……他の執事と連携したのね。

 私の隣にダニエル、向かいにエステルが座ると一礼してマルクスたちは離れていく。


 ちらりと周囲を見回してみると、みんな楽しんでくれている様子が伝わってくる。まだ子供といっても貴族としてマナー教育は施されているようだ。主催側として食事を済ましたら、また挨拶に回る必要があるわね。オリアン家の落ち度をつくるわけにはいかない。

 あら、このキュウリのサンドウィッチ、歯ごたえが面白いわ。


「カロリーナ、この一ヶ月ほどの間に何かあったの?」


「どうして?」


 ヴェロニカの記憶を思い出したし、ラーシュ殿下には三回も会ってしまった。何かあったと言えばあったけど、気楽に話せる内容でもない。


「何だか落ち着きがあるし、食事をする姿も品があるわ」


「……勉強の賜物かしら」


 駆けっこ大好きで木登りもしちゃう令嬢だったカロリーナは、確かにマナーが行き届いてはいなかった。それがヴェロニカの記憶によって、感覚が補正されている部分は大きい。

 いや、もう、本当に素直には話せない内容だわ。


「お姉様は努力家ですから」


 濁りなき素直な賞賛をするダニエルの瞳に、少し申し訳なさが疼く。うん、ダニエルの期待を越えていける姉になるわ。


「ええ、そうね。今まではその努力を貴族令嬢とは違う方向に使っていただけよね」


 エステルは同意しつつも、どこか遠い目をしている。一緒に木登りしましょう、と誘ってドン引きさせたのはわずか三ヶ月前のことだったわね……。


「だから、何か心境の変化があったのかと思ったのだけど……」


 どうしても気になるみたいね。とはいえ、前世云々なんて思いもよらないだろうし。いや、割と鋭いところがある子だったし、もしかしたら?


「好きな殿方との出会いがあったのかしら?」


 違う。

 意外と鋭くなかったわね。いや、鋭いのか? 好きな、という部分を除けば、ラーシュ殿下に出会って前世を思い出した結果、マナーが向上しているわけだから。

 一瞬、言い淀んでしまったせいで、エステルの瞳が確信を得た思いで輝く。


「まぁ、本当に好きな殿方が?」


「お、お姉様、本当に?」


 何故かダニエルが動揺してしまっている。姉として、弟の不安は取り除かなくてはいけないわ。


「違うわ。好きな殿方との出会いなんてありませんわ」


「そう? 街中に出かけた際に何かあったのかと思ったのだけど……」


 この子、やっぱり鋭いわ……。話を別の方向に持っていかないと、ラーシュ殿下のことをぽろりとしちゃいそう。となれば、こちらが話の主導権を握らなくては! 攻撃は最大の防御よ。


「エステルこそ、最近はどうなの? 前に護衛の騎士がどうのって言っていたじゃない?」


「あら、覚えていたのね」


「もちろんよ。とても剣術に優れた方なのでしょう?」


 私の問いかけに、エステルはどこか浮かない顔だ。会話の選択を誤ったかしら。エステルは果実水を一口飲むと、言葉を選ぶように話し出す。


「王国の騎士隊とも遜色ない実力のある方よ。ただ平民出身だし……何より十も年上だもの。結婚相手としては選ばれないわ」


 平民出身といっても騎士爵を賜ったのなら、子爵令嬢とは絶対に無理とは言えない身分差だ。十歳差もよくある話だし。選ばれないと断言するなら、婚約者候補の話でも出たのかしら。他家の事情に絡むことだから、縁戚関係と言っても無闇に踏み込むことはできない問題ね。


「素晴らしい騎士の方なのですね。いつかお会いしてみたいです」


 下手に慰めることなく、お相手への好感を伝えるに留めるのは、八歳の男児としては充分合格点よ、ダニエル。姉として弟の成長が嬉しい。

 でも、これでエステルがときめいて恋が走り出さないか、姉として心配でもあるのよ。姉の直感は未だ張りつめたままだ。


 年上の騎士、政略の婚約者候補、そして可愛らしく健気で優しい天使な年下の男の子。あら? 何だかエステルが恋愛小説のヒロインみたいになっているわ。だけど、年下の男の子って物語だと大体当て馬で終わってしまうのよね。確か妃教育の合間にいくつか読んでみた恋愛小説にも、そんな話があったわ。王太子妃になってからは読む時間もなかったから結末が分からない物語もいくつか……もう十年以上前となると今から手に入れるのは難しいかしら。ダニエルの将来のためにも参考文献として探す必要がある?


「何かくだらないことを考えているわね」


 エステルの冷めた目に、意識が現実に戻ってくる。ダニエルが関わるなら、全然くだらなくないんだけど、と反論しようとしたところで、じめじめした会話が耳に届いた。


「まぁ、本当なの?」


「ええ、お母様がおっしゃっていたもの。第一王子殿下は人を呪い殺すことができるんですって」


「怖いわね」


「ええ、だから今から学園に行くのが不安なの」


「一緒のクラスにでもなったら……」


「学園に来なければいいのに」


 本当に。本当にこんな噂が貴族の間で、今も生きているのね。話しているのは……私より二つ年上、ラーシュ殿下と同い年ね。だから、来年の学園入学の話題ついでに、親から話されたのかしら。

 私は、細く、長く、溜め息をついた。


 主催側の娘として放っておくわけにはいかないわね。王族への不敬を働くパーティーを開いたなんて言われたら、たまったもんじゃない。

 それに、ラーシュ殿下は呪い子なんかじゃないわ。


 席を立った私を、ダニエルとエステルも止めようとはしない。二人にも聞こえていたのだろう。ダニエルも立ち上がろうとしたけど、私は髪を撫でるふりをして抑える。後継の男子とはいえ、正式にお茶会デビューもしていない年齢では、荷が重い。

 ふわりとドレスの裾を翻して、姿勢を正せば視線が集まるのを感じる。王宮仕込みのマナーは、十歳の男爵令嬢でも気品とオーラを滲ませることができるのだろうか。

 にわかに会場の雰囲気が変わったことで、ピーチクパーチク話していた令嬢たちも会話を止めて、目の前に立った私を見ていた。


「あら、姦しいお話は終わりかしら?」


「なっ!」


 呪い子の話を親から聞かされた令嬢は、反射的に声を上げようとしたけど、口を噤んでいた。瞳が冷え冷えとしているのが自分でも分かった。


「根も葉もない話で王族を侮辱するなど、不敬でしてよ」


「で、でも、お母様は……」


「あなたの家は王族よりも上の家格なのかしら?」


「いえ……」


 王族より上の貴族なんて存在しない。公爵家でさえ臣下なのだから。身分の秩序を乱すというのなら、国家転覆を謀る気概が必要だ。


「当家主催の場で、不敬な発言をするなど不愉快です」


「……申し訳ございません」


「二度目はございませんわ」


 私より年上と言ってもまだ子供。一度目は目をつぶる。噂を軽々しく信じる姿勢にも説教が必要だろうけど、年下から言われても反発心の方が強く出るだろう。

 私が離れると、徐々に会場に賑やかさが戻ってくる。かの令嬢たちは居心地が悪そうだけど、これくらい罰として受け入れてほしい。


「マルクス」


 ダニエルの所に戻る前に、私は小さく声をかける。すると、すぐそばに控える足音がする。私は扇子を広げて口元を隠す。


「どこの家の令嬢たちか把握しましたね?」


「はい」


「では、お父様とお母様に報告するように」


「かしこまりました」


 子供は見逃したけど、悪影響を与えた親には、きっちり釘を刺す。

 この程度のことで、ラーシュ殿下の環境が劇的に変わることはない。男爵家の影響など、たかが知れている。それが、何だかもどかしい。


「お疲れ様、カロリーナ」


「お姉様、果実水、どうぞ」


 席に戻ると、二人が労りの言葉をくれた。ほろりと笑顔がこぼれた。

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