元同級生の憂慮
お父様とお母様が揃ったタイミングで話したい。でも、できればダニエルにはまだ聞かせたくない。
そうすると、存外、ゆっくりと話す機会がない。お父様は日中は議会に出席されていることが多いし、そうでなければ領地や周辺貴族とのやり取りで、忙しく動き回っておられる。お母様も家内のことに加えて、目前に迫ったお父様の誕生日パーティーのことで慌ただしい日々を過ごされている。私だって勉学の時間に穴を空けるわけにはいかない。
いっそ朝食や夕食の時に話してしまおうか、とも思ったけど、和やかな雰囲気を壊してしまいそうで嫌だった。
結局、マーヤに頼んでお二人と会う時間を調整してもらった時には、五日が過ぎていた。
「お父様、お母様、先日、ラーシュ・シェーナ・フォン・スコーグラード殿下にお会いしました」
忙しい合間を縫って会ってもらっているので、挨拶もそこそこに本題を切り出した。
お二人の反応は……とても真面目な顔だ。驚きなどは感じさせない。今回は私からするということで、マーヤは報告を控えてくれていたけど、平民のラッセと遭遇したことは以前に報告済だ。いつかは、とお考えだったのかもしれない。
お母様がゆったりとした笑みを浮かべられた。
「そう。ご挨拶はつつがなく出来て?」
「はい、失礼はなかったかと思います」
マーヤに教養の学習進度を疑われるくらいには。ただ色々と踏み込みすぎた感は否めない。
「殿下にお会いして、何か聞きたいことができたのかな」
お父様の声も落ち着いている。今まで直接何か言われることはなかったけど、今回の件はやはりすでに把握されているのだろう。そうであるならば、迂遠な言い方をしても時間の無駄でしかない。
「殿下はご自身のことを呪い子と言われていました。事実でしょうか?」
今度は驚いたように、少し目が見開かれる。
「殿下ご自身がそうおっしゃられていたのか?」
「はい、そういった噂があると」
「確かにその噂が出たことはある。最近は落ち着いてきたと思っていたのだが……」
お父様は憂い顔だ。噂の起因を考えれば、もう十年以上前のこと。忘れ去られるには充分な時間があったとも言える。それなのに、ラーシュ殿下が噂について把握されているということは、王室の時間が止まっているようなものだ。
「結論から言えば、事実無根だ。呪いなど存在しない」
強いて言うなら噂そのものが呪いなのかもしれない。ラーシュ殿下を縛り付ける鎖になっている。自身が王位を継ぐことは鼻からないと思えるほどに。
「カロリーナは今後どうしたいと考えているの?」
先日、保留にする、と言われたお母様が切り込んでくる。私の意志をまず確認して下さるだけでも良かった。
「私は……」
今後は関わるつもりがありません、と答えたら、きっとお父様もお母様もそのように動いてくれる。そもそも男爵家が王家に直接関わる機会なんて、そうそうない。でも、やっぱり、はっきりと切り捨てるには後味が悪い気がする。
「カロリーナは迷っているのね」
「はい。男爵家の令嬢にできることなど何もないと思うのです。ですが、殿下の境遇を考えると……」
「カロリーナは、殿下が現在どのようにお過ごしだと把握しているんだい?」
あ、具体的にどういった場面でお会いしたかは話していなかったわね。マーヤから平民の恰好をしている殿下と遭遇した話は聞いているはずだけど、それだけならただお忍び好きとも受け取れるもの。よもや草を背負っているとは思うまい。
「離宮にほぼ捨て置かれているような状況だと……」
お父様の瞳が、これでもかと見開かれる。お母様も口に手を当てている。
「やっぱクソだな」
え? お父様? 今何てつぶやかれました?
お父様の口元を凝視してしまう。私の視線に気づいたお母様の扇子が、お父様の脇腹にぐっと刺さったのを見逃さない。
「うぐっ……そうか。まさかそのような状況だったとは」
ふむ。平静を取り戻されたようだけど……現王室に思う所がある様子ね? もう少しつついたら本音が聞けるのでは?
「ええ。殿下は薬草摘みをして過ごされています」
「薬草摘み……だと?」
「はい、常に命の危険を感じていらっしゃるようですわ」
「護衛はどうなっている?」
「アードルフという方がお一人」
他にもいるかもしれないけど、私の知る限りは。
「一人だけ……!」
「離宮で仕える人も最低限だそうですわ」
「世話もきちんとされていないのか!」
「ええ、王族と思えないほどやせ細っていらっしゃるわ」
「何ということだ!」
「ご両親の両殿下にお会いするのも誕生日の時だけで、しかも義務的な挨拶だけらしいですわ」
「やっぱクソじゃねぇか、あいつ!」
お父様の怒号が部屋に響いた。素直で愛らしいダニエルの父であるカスペルは、元来感情豊かなのだ。ヴェロニカの記憶の頃より落ち着いたようだけど、本質はそうそう変わらない。十歳の娘に良いように転がされているのはどうかと思うけど、もともと王室、というかレオナルド様に不満があったようだし、仕方ないよね。お母様の扇子もテーブルに置かれちゃっているし。
「まぁ、クソだと思われるのは、どういった方ですの? お父様」
私の言葉に咳払いして冷静な顔を作られるけど、もう遅い。
「クソなんて言葉、使っちゃいけないぞ、カロリーナ」
「まぁ、お父様、そんな言葉、言っていませんし聞いてもいませんわ?」
「そうだな」
「それで、どんなクソな方なんですか? 王太子殿下は」
「娘よ……」
先に不敬な言葉を口走ってしまったせいで、注意する言葉も散ってしまう。
「カスペル。一度落ち着いて?」
お母様に促されてお父様は紅茶に口をつける。私も一口頂く。少し冷めていたけど、今喉を潤すにはちょうど良い温度だった。
ちらりと扉の方を見ると、マーヤの隣に並ぶ執事長の顔は無だった。こんなことは今までもあったのかもしれない、と察した。娘としては初めて見たので、たぶん成長はしているのだ。
「お父様、改めてお伺いしますわ。王太子殿下は、どういった方ですの?」
一息ついてから尋ね直す。
ヴェロニカが亡くなってから十二年。未だ王太子の地位にいるのだから、それなりに反省して、それなりに成長されているのだろう、と思おうとした。今世で関わることなんて、ほぼないだろうし。だけど、ラーシュ殿下の言葉や、お父様たちの反応を見るに、あまり楽観もできない気がする。
「一言で言えば、純粋無垢な方だ」
「純粋無垢……」
クソと言ったことに対する精一杯のフォローなのかな。統治者の器としては微妙な質だ。
「それだけであれば、まだ良かった。ヴェロニカ様がいらっしゃったから」
「え? ヴェロニカ様?」
前世の私がいたから?
「うむ、本来の王太子妃殿下だ。既に身罷られている」
私は小さく頷く。前世の自分のことだから、よく知っている。
「清廉潔白で賢く、容貌にも優れ、未来の国母として国を率いていくに相応しいお方だった」
「ええ、男性はもちろん女性からも慕われる才媛の方だったわ。カスペルや私のような身分の低い者にも分け隔てなく接して下さったわ」
ブレンダはカスペルと結婚する前は子爵令嬢だった。家格としては男爵家より一つ上。それでも本来、公爵令嬢と気楽に話せる身分ではない。だけど、ヴェロニカは理解していた。将来、王太子妃になった時に支えになるのは高位貴族だけではないことを。列強国に比べて遥かに小国のスコーグラード王国において、貴族が一丸にならなければ民の生活を守れないことを知っていたのだ。
「あら、カロリーナ、顔が赤いわよ? 疲れた?」
「いえ、大丈夫です」
ヴェロニカは国母たる姿勢を理解していたし、実際に努力もしたけど、こんな風に元同級生から褒めちぎられると気恥ずかしいのだ。
「そんな素晴らしい方だったのに……社交シーズンを終えて多くの貴族が領地へと戻った隙に、ね。下位貴族とはいえ、多くの貴族の目がある状態であれば、また違う未来があったのではないかと思うことはあるのよ」
十歳の娘に話すためにぼかしてくれているけど、お母様の悔恨の気持ちは伝わってくる。隣で肩を抱くお父様も。
心の底でヴェロニカの涙がこぼれている。わたくしは孤独だったわけじゃない。
「ヴェロニカ様のこともあって、陛下も王太子殿下を厳しく教育し直されたと聞いていたのだが、思慮も配慮も育たず仕舞いなのか」
「そうね。誕生日の時しか会わないのに、一人とはいえ護衛がいるなら陛下が配慮されているとは思うのだけど……」
近衛隊は陛下直属の騎士だ。王族を守るのが主目的だけど、指示をできるのは陛下だけ。専属の護衛が別途就くはずなのだけど、その様子がラーシュ殿下にはない。
それにしても純粋無垢で思慮も配慮もないって、レオナルド様の評価は散々ね。加えて第一王子は放置状態。第二王子のルーカス殿下は大丈夫なのかしら。陛下が退位された後の王室の危うさを感じる。
アールクヴィスト公爵家は、ヨハンネスお兄様は今の状況をどう見ていらっしゃるのだろう。気にはなるけど、公爵と男爵令嬢が話せる場面の想定ができない。
「殿下はカロリーナに何か言われていたか?」
お父様は静かに問われた。私も真面目な顔で頷く。
「平民のラッセとしてよろしく、と」
「そうか」
思案するように、まぶたを伏せる。お父様は、カスペルは確かに一家の長なのだと思う。ヴェロニカの記憶に残る十代の面影が、何だか切ない。
「もし、また街に出かけることがある際には、必ず事前に報告するように」
事実上の容認だった。
ラーシュ殿下と関わり続けることが吉となるのか、凶となるのか。まだ判断はできない。ただ王家に忠誠を誓う貴族として看過する訳にもいかないのだろう。ラーシュ殿下と接触することで、何かしら現状を脱する糸口を掴めれば……。
お父様も水面下で動き出していかれることだろう。
なお、後日、街に出かけた際には、男爵家の私兵団長がついてきた。
お父様!