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馬車に揺られて

 十二年の変化を感じるのは、人間関係に関したことだけじゃない。

 馬車の乗り心地だって、随分と改善したのだと感じる。男爵家の馬車は公爵家の馬車に比べれば、やはり見劣りする。それでも、十二年前よりずっと揺れが少ない。裏通りはともかく、表通りの道はより整備されたし、何より馬車自体にも振動を抑える改良が加えられているのだろう。

 この馬車なら長旅も快適に過ごせるかと思う。

 だけど、今は可及的速やかにオリアン男爵家のタウンハウスに着いて欲しい。

 無言。無言の圧が強い。向かいの席に座るマーヤの視線は、馬車に乗ってからずっと私から離れない。護衛も兼ねた侍女ならば当然のことだとも言える。だけど、気にしすぎ、と言うのには空気がとても重い。


「お嬢様」


 その空気をナイフで綺麗に裂くように、マーヤが口を開く。


「……何かしら」


「この度はお嬢様を危険な目に晒し申し訳ございません」


 思っていたのとは違う方向の話だったようだ。仕える者としては、大きな失態になるのかもしれないけど……。


「気にしないで。ラーシュ殿下を追いかけたのは私の意志だし、マーヤはきちんと守ってくれたわ。ありがとう」


 感謝の言葉も伝えたのに、マーヤはどうにも浮かない顔だ。しかし、今度は自分から口を開きそうにない。


「マーヤ、何か聞きたいことがあるのかしら」


 できるだけ優しく響くように声をかけると、マーヤは一度瞳を伏せてから、私をまっすぐに見つめ直した。


「はい、お伺いしたいことがございます」


「遠慮せず話してちょうだい」


 促してみたものの、どんな話が繰り出されるのか……。


「お嬢様は武術の心得があるのですか?」


 予想外の質問が来た。私、見た目十歳のか弱い令嬢のはずなんだけど。


「いいえ、全くないわ。何故そう思ったのかしら?」


「お嬢様は、目の前で剣が振り下ろされた状況でも冷静でした。普通の子供の令嬢なら泣くなり、腰を抜かすなりするところです」


 確かに。思わず頷きそうになったところで、止まる。


 前世、王太子妃になってからというもの馬車で出かけた際に襲われることは、割とよくあることだった。そりゃあ最初は驚いて動けなかったけど、恐ろしいことに人間はそんな状況にも慣れてしまうのよね……。

 その前世の経験から見てもマーヤは熟練の戦士に見えたし、何より相手はアードルフだった。彼は守るもののために剣を振るう騎士だ。徒に命を散らす賊とは違うと知っていたから、安心して構えられていたのだ。最初の一振りも多分威嚇の意味合いが強かったと思う。


「相手の、アードルフと言ったかしら。騎士から殺意を感じなかったから平気だったのよ」


「殺意を察知できるのですね……」


 前世の部分を省いて答えたら、何だか更に誤解されそうになっている。


「それにマーヤが守ってくれると思っていたからね」


 素直な気持ちだったんだけど、何だか取ってつけたようになってしまった。でもマーヤは気にしなかったようで、別のことを聞いていた。


「では、マナーや教養についてはどこで学ばれたのですか?」


「どこって、家庭教師からよ?」


「お嬢様、私は専属侍女として、お嬢様の学習の進度も把握しているのです。王子殿下への挨拶は、現在の学習の範囲を超えたものでした」


 確かに。再び頷きそうになったところで、また慌てて止まる。


 教養、マナーの勉強はしているが、王族に相対することを想定した対応はまだ学んでいなかった。十歳の男爵令嬢では、王族に拝謁する機会なんて、ずっと先のことと思われていたから。


「日々の勉強の賜物かしら」


 随分と歯切れの悪い回答になってしまった。

 マーヤへの言い訳もきちんと考えておくべきだったわね。だけど、あの場面で最上級の敬意を表したことは間違いではないと思っている。一歩間違えればアードルフの剣が、守るべきもののために動いていただろう。


「お嬢様、護身術の勉強も追加しましょう」


「え? 護身術?」


「ええ、お嬢様も自身を守る術を知っておく必要があります」


 力強く断言するマーヤの中で、私は一体どんな令嬢になっているのか。何となく尋ねてはいけない気がして、頷くに留めた。


 十歳の令嬢って何だっけ……。


 一瞬、気が遠くなりそうになったけど、自分の行動に責任を持たなくては、と思う。

 前世について、あくまでもヴェロニカの記憶があるだけで、人格的な部分では私はカロリーナだと思っていた。でも、経験した記憶があるなら、今の私の行動にも変化を及ぼすのだ。性格は同じでも行動が変われば、周囲に与える印象も異なってくる。

 ヴェロニカの記憶のお陰で、ラーシュ殿下とも面と向かって話すことができたと思うので、要は使い方次第なのだ。


 とはいえ、今後もラーシュ殿下に会う機会があるのかというと、微妙なところだ。

 ラーシュ殿下の置かれている状況を聞かされて何か協力することになるのかと思ったけど、特に強要されるようなことなく私は解放された。


――もし、また街中で会うことがあったらラッセとしてよろしく。


 そう、別れ際に言われた。

 王子殿下ではなく平民として接してほしい。

 ラーシュ殿下の中に王族として生きる未来は、本当に残されていないのかしら。男爵家の庶子が王太子妃になる一方で、第一王子が臣籍降下を通り越して平民になる世界。スコーグラード王国は健全に成長していると言えるのだろうか。遠くない未来に乱れることになる予感がして、胸の奥がざわめく。


 もう少し、ラーシュ殿下のことをきちんと知りたいと思うのは、同情かしら。

 その孤独に、前世のヴェロニカの記憶を重ねてしまうのは、傲慢かしら。


「お嬢様、もうすぐ着きます」


 マーヤに声をかけられて意識が浮上する。

 今後、どうするかはまだ決められない。だけど、まずは両親に今日のことを報告する必要があるだろう。平民ではなく王族と接してしまったのだ。黙っているわけにはいかない。

 それに、ヴェロニカの同級生でもあった彼らなら、今後の指針となる情報も持っているかもしれない。噂だけで判断することはできないけど、噂が真実の目印になることはある。

 現王室に対する無知を改める。どう動くかは、それからだ。


 馬車を下りれば、慣れ親しんだタウンハウスの空気。薔薇と新緑の香りが心地いい。小さな庭は、一度に全てを堪能できる利点があるのね。

 門をくぐると、玄関のドアをマーヤが開けてくれる。


「お姉様!」


 天使が飛び込んできた。あれこれ考えていたことも、一気にすっぽ抜ける。


「まぁ、ダニエル、走ってはダメよ? 危ないわ」


「ごめんなさい、お姉様」


 ダニエルの俯く顔に、お小言なんて更に言えない。


「お出迎えありがとう、ダニエル。待ちきれなかったの?」


「うん、プレゼントは大丈夫だった?」


「勿論よ。私の部屋で一緒にラッピングしましょう」


「うん!」


 この笑顔は、未来永劫、絶対に守らなくては。私が下手に王族と関わったせいで、曇らせることになるなんて、以ての外だ。

 ダニエルのまだ小さな手を、私は優しく握った。

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