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ブローロース商会

 エドヴァルドに通されたのは応接室だった。カウンター横の通路を抜けると、更に部屋があったのだ。調合室もあるだろうことを考えたら、意外と奥行きのある建物なのだと思う。

 応接室にあるソファはふかふかで、座り心地が優しい。手触りもごわごわしておらず、手入れが行き届いているようだ。そもそも表の店舗とは、調度品の質が大分異なる。目の前のテーブルの木目は美しく、とても艶がある。猫脚の部分は、職人の細やかさを感じ取れる繊細さがあった。カップに描かれる花模様も、優美。

 向かいに座るラーシュ殿下の高貴な品格に、とても合っていると言えた。今は草を背負っていないから、よりしっくりとくる。


「お待たせしました」


 草を預かって部屋を離れていたエドヴァルドの手には、リンゴのタルトが載った盆。テーブルに置く手つきは、熟練の給仕係のようにも見える。平民ではあるけど、確かに高位の子息たちと接していたエドヴァルドなのだと実感する。


「ありがとう」


「勿体ないお言葉です」


 貴族からの感謝の言葉に対してもそつがない。そしてラーシュ殿下の隣の席に座る大胆さがある。アードルフはそばに控えたままで、特に注意する様子はなく、普段の関係性が垣間見えるような気がした。

 ラーシュ殿下がカップに口をつけたのを見てから、私も一口頂く。王子に毒見役をさせているようで申し訳ないけど、ラーシュ殿下がホスト側なのだから仕方ないと飲み込む。率先して手に取ることで敵意がないことを提示するものだから。

 マナー教育もきちんと受けているように見えるのだけど、それだけに何故平民の恰好をして行動しているのか謎は深まる。


「率直にお尋ねします。殿下が薬草摘みをしているのは御身を守るためなのでしょうか?」


 一息ついた所で、サクッと切り込んだ。ヴェロニカの記憶を踏まえた私の言葉に、ラーシュ殿下は力ない笑みを落とす。


「直球だね」


「無遠慮で申し訳ございません」


「構わないよ。そうだね、守るためでもあるし、将来のためでもあると言えるかな」


 将来のため? 薬学の知識があるに越したことはないけど、本来、王族が実地で経験する必要がある分野とも思えない。実際、レオナルド様が薬学を積極的に学んでいた記憶はない。

 つまり、ラーシュ殿下の王城における立場は、レオナルド様とはやはり異なるのだわ。


「ふふふ、あまり考え込むことではないよ」


 穏やかな笑みを浮かべられるけど、実情は優しくはないのだろう。だけど、それを慮れるだけの情報が今の私にはない。


「失礼ながら、殿下の置かれている状況を把握していないのですが、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


 ラーシュ殿下は言葉に詰まったように、何度か瞬きされる。さすがに不躾し過ぎたかしら。興味がなかったんですって言っているようなものだものね……。でも、ラーシュ殿下は頷いて下さった。


「どんなことが知りたいのかな?」


「殿下は、その、王位を継ぐ以外の道を検討されているのでしょうか?」


 ゴホッとせき込む音がした。ちらりと視線を向けると、アードルフが咽たようだ。アードルフは紅茶を飲んでいないでしょうに。こんなふうに上席の会話を乱すような態度を出すのは珍しいわね。少なくともヴェロニカは知らないわ。ラーシュ殿下も、少し驚いたような顔をされている。


「オリアン嬢はラーシュ殿下についてどれくらい把握しているのですか?」


 場の空気を引き戻すように、エドヴァルドが尋ねてくる。

 私がラーシュ殿下について知っていること……? 改めて考えると、お父様やお母様から聞いたことはないし、何度か参加したお茶会でも話題に上がったことはない。年の近い王族がいれば、話を聞く機会はあっても良さそうなのに。直接会った時の情報しかない。


「王太子殿下の第一子で……城下によく下りていらっしゃる?」


 ふわっとしたことしか言えてないわ。今更だけど、私、失礼過ぎない? もっと何かあるでしょ! あ、そうだわ。


「感謝の念を知る方で義理堅く、お優しい方ですわ」


 怪我の手当てをしただけなのに礼を尽くそうとして下さったし、無遠慮な物言いにも怒ることなく対応して下さっているもの。よく見ればレオナルド様に似た顔立ちなのに、受ける印象はまるで真逆だ。

 あら、ラーシュ殿下、何だか照れていらっしゃる? 頬に赤みが少し差しているような?


「良かったですね、ラーシュ殿下」


 からかうような、でも温かい口調。今の雰囲気を見ていると、アードルフよりエドヴァルドの方が叔父役は合っていそうね。

 小さく咳払いすると、エドヴァルドは私に視線を合わせてくる。


「ラーシュ殿下を良く思って下さる方に話すのは心苦しくはあるのですが……話してよろしいですか、ラーシュ殿下」


「構わない。噂で耳に入って誤解されるよりは良い」


 何だろう。尋ねておいてなんだけど、後戻りできなくなる気配を濃厚に感じる。かと言ってここで席を立つのは不敬だわ。礼には礼をきちんと返したい。ぐっとお腹に力を入れて聞く体勢をつくる。


「ラーシュ殿下は誕生されてより王族としての待遇はほぼ受けておられません」


 え? 嫡子として認められていないの? 婚前に出来た子供だから? でも貴族年鑑に名前は載っていたし……。


「誤解のなきようにして頂きたいのですが、現王太子殿下の第一子としては認められています。教育も受けています。一貴族としてなら問題はないでしょう」


 つまり、帝王学の類は受けていない、と。ラーシュ殿下は現在十二歳。来年には学園に入り、帝王学を学ぶ時間は限られることになる。もう習い始めていないと間に合わない。


「仕える者の数も最低限に絞られ、茶会などが開かれることもなく、離宮にてひっそりと暮らしておられる状況です」


 だからこそ、たびたび街に下りてくることも可能なのだろうけど。隠し通路を使っているとしても、本来第一王子の不在に気付かない方がおかしいのだ。アードルフ同様サポートする人か、無関心の人しかいないということだろうか。


「理由は何かあるのですか?」


 努めて平然とした声をつくる。エドヴァルドがラーシュ殿下に視線を合わせる。エドヴァルドから言うには憚れることなのだろうか。ラーシュ殿下は小さく頷くと、きっぱりと言い放った。


「私は呪い子と言われているんだ」


「呪い……?」


 何だか突飛な話になったぞ。呪われているような禍々しさは感じないのだけど……。


「本当に私の話を聞いたことがないんだね」


 ラーシュ殿下は驚いた様子だった。有名な噂なのかな。私のお母様は噂の類を信じない方だし、お父様も同じだろう。そんな家でなければ、当たり前に話題に上ることなのか。


「寡聞にて申し訳ございません」


「謝ることではないよ。少々血生臭い話になるが良いだろうか?」


「はい、構いません」


 間髪入れずに頷くと、ラーシュ殿下の方がむしろ気圧されたようだった。できれば口にしたくはないことなのかもしれない。ここで話を切り上げようとしないのは野次馬なのか好奇心なのか、それとも……。

 ラーシュ殿下は少し目を伏せ、けれど真面目な瞳をしていた。


「私が生まれた日に前王太子妃であられるヴェロニカ妃殿下が身罷れた。私の父上は母上を寵愛されるあまり、ヴェロニカ妃殿下を蔑ろにされていたそうだ。だから、私が生を受けた際に呪い殺したのだと言われている」


 そんな馬鹿な、と思わず言いそうになった所でぐっとこらえる。


「無論、原因は別にあることは判明しているが、事が事だけに公にされていない部分も多く、憶測を生んでしまっているようだ」


 原因は勿論毒なんだけど、軽々しくは言えないよね。でも事実が分かっているなら、その内、噂は収まりそうなものだけど……。


「更に、関わった者として父上の元側近候補たちが上がったのだが、皆不審死を遂げている」


 それで、廃嫡されているのか。おそらく謹慎された時点に遡って廃嫡とすることで、家門が受ける被害を最小限に抑えたのかな。ただ宰相と元騎士団長の現在の待遇を比べると、随分と差はあるようだし、そもそも――。

 ちらりとエドヴァルドを見る。この人は死んでいない。

 私の視線に気づいたエドヴァルドは、ニヒルな笑みを見せる。


「ちなみに私も王太子殿下とは仲良くさせて頂きましたが、その時にはもう退学していましたからね。関わりを疑われることはなかったのです」


 謹慎すっ飛ばして退学か。父親は準男爵だったとしても子供は平民。権力の差が出てしまったのね。


「ただ、当時、ブローロース商会は国内の大体のものを賄っていましたからね。ブローロース商会の商品がヴェロニカ妃殿下を殺めるのに使われたのでは、と噂がたちまして。私がかの子息たちと親しかったことも明るみになっていましたし。実際、ブローロース商会が仕入れた薬が使われていましたからね」


「え、毒も仕入れていたの?」


 思わず驚きの声を上げてしまった。でも、エドヴァルドは落ち着いたものだった。


「毒ではなく薬ですね。どんな良薬も過剰に摂取すれば毒になるということです」


 たしかに、日々少しずつ盛られていたと考えると、長期的には過剰摂取していたことになるのだろう。


「ブローロース商会に非はないと判断されたので私は生きていますが、噂には尾ひれがつくものですからね。国内でのブローロース商会としての展開は絶望的になって、ほぼ撤退。今は他国で兄が頑張っているんじゃないかな」


 国の王太子妃殺害に関与した噂があるんじゃ難しいよね。納得したくはないけど、納得してしまう。こんなところで、前世の死の経緯を知ることになるとは思わなかった。

 でも、まだしっくりとこない部分があるような……。

 悶々としていると、エドヴァルドの言葉を引き継ぐようにラーシュ殿下が口を開いた。


「それで、それら全てが私の呪いだと思われているんだ」


 え? ヴェロニカの死だけじゃなく、貴族子息の不審死やブローロース商会の凋落も?


「父上とも母上とも誕生日の際に儀礼的な挨拶はするけど、他に会うことはない。だから、私が将来王位を継ぐことは現状ほぼないよ」


 あの二人は何しているのよ……。自分の子供のことくらい信じなさいよ。ヴェロニカの死については今更どうしようもないので、仕方ないと諦めることもできた。だけど、子供を蔑ろにするのはどういうことなのか。これじゃあヴェロニカも浮かばれないわ。ここで怒鳴っても意味はない、とぐっと怒りを抑え込む。

 ラーシュ殿下はふんわりと微笑む。


「だから、将来、平民になっても生きられるように色々経験しているんだ」


 思ったよりもラーシュ殿下はたくましいらしい。

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