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鬼の空念仏  作者: 月虎
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決意1

 あの時の記憶は曖昧だ。どうやってここに来たのか。あの爆発音だけが、未だに耳の奥に残っている。

 気づいたら、見知らぬ宿にいた。宿の店主は、ハキハキと話す女性だった。シャツを腕まくりし、その上からエプロンを着けている。背中まである茶色い髪を一つにまとめていた。彼女は何も言わず、食事を運んでくれている。朝、昼、晩。俺が痛みで動けない間、気を利かせてくれていた。心が温かくなる人だと思った。

 あれから、どれくらいの時が経っただろう。痛みで気を失っている時間と、目を覚ましてからここにいる時間。ふと、シナノとホウショウの顔が浮かんだ。ここ数日、三人で旅したことを思い出す。さらに、牢屋から出る時の光景が、脳裏に浮かぶ。衝動的だった。あれ程、後先を考えない行動は初めてだったかもしれない。

 シナノとホウショウは今、どうしているだろうか。基本的に、俺は時間に執着しない。旅をしていれば、時間という感覚さえ、狂っていく。自分の年もいつからか、数えなくなってしまった。ただ、漠然と生きて、時が来たら死んでゆく。それが、自然の摂理で、当然のことだ。だから、時間など俺にとって、さほど重要ではなかった。時間に執着して生きる人間を見ると、哀れだとさえ思ってしまう。

 しかし、今俺は、時間を意識し始めている。シナノは無事だろうか。ホウショウともっと話したかった。もっと三人で旅をしたかった。この気持ちは何だろうか。自然と、涙が込み上げてくる。俺がどうしても、手に入れたかったもの。それを手に入れた先には何があったのか。何もなかったのではないか。自由という実物もないものにみっともなく、縋りついていた。哀れなのは俺の方ではないか。そんなもののために、二人を捨ててしまった。何かが割れる音がする。俺の中で二人の存在が薄れていく。これで終わり。夢見た世界が終わりを告げる。

 こういう気持ちになるなんて、初めは思わなかった。二人を最初から遠ざけていれば、こんなに苦しまずに済んだはずだ。俺は最初から間違っていた。シナノとホウショウを自分の中に入らせ過ぎていた。だから、人間と関わるのは嫌いなのだ。チヨダの時もそうだ。結局、苦しむことになるなら、最初から望まなければ良い。最初から、近づかなければ良い。分かっていたはずだった。

 俺は頭を抱える。目を閉じれば、二人の大きな背中が浮かんでくる。ため息が止まらない。徐々に、後悔が大きくなっていく。

「あら、どうしたんです?」

 顔を上げると、そこには笑顔の女性が両手に皿を持ちながら、立っていた。

「ああ、ごめんなさい。ノックしたんだけど、返事がなかったから」

 悪戯が成功したように、彼女は笑った。窓から入ってくる日差しが彼女を照らす。どこか、ホウショウの物寂しさとシナノの無邪気さを彷彿とさせた。

「はい、今日のグレース」

 ベッドの横にある木で作られた机に、皿が置かれた。

「グレース?」

「……」

 答えは沈黙。不思議に思い、彼女の顔を覗き込むと、彼女は涙を流していた。綺麗な雫に俺は釘付けになった。

「あ、ごめんなさい。……やっと、反応してくれたと思って。やっとあなたの声を聞けた」

 彼女は涙を振り払うように笑った。その強さも、弱さも、シナノとホウショウに似ている。二人の姿を一生懸命探している。だが、もうあそこへは戻れない。二人を見捨てた時点で、俺は二人の傍にいるべきではない。そう決めたはずなのに、自分でも未練がましいと思う。

「グレースはこの国の古い言葉で、恵って意味。それが派生して今ではご飯のことを言うの。まあ、今の人はあまり使わないかしら。私はお婆ちゃんの真似をしているだけなの」

 恥ずかしそうに、彼女はそう告げた。

 彼女と意識的に言葉を交わさなかった訳ではなかった。ただ、自分の生きていく道も、術も、全てが失われたように思った。もう、どうでも良くなってしまった。生きることも、死ぬことも、全てが俺にとっては価値のないものだ。

 シナノとホウショウの面影を見つける度に、俺の心は大きく揺さぶられる。二人の面影を、俺は追いかけてしまっている。

「良かったら、外へ出かけたらどう?今日は天気も良いし、風が気持ち良いから。部屋を出て、すぐ右に階段があるから、そこを降りると、一階に降りれるよ。一階は、お客さんが使えるように、開放しているから大丈夫。えっと、後は……あなたの他に三人、お客さんがいるから」

 彼女は言いたいことだけ言うと、部屋から出て行ってしまった。部屋には虚しさだけが残る。

 ゆっくりと手を動かしてみた。身体が重い。俺は何かを振り払うように、身体を起こした。掌、手首、肩。慎重に、何度も動かしていく。まるで、機械になったようだった。自分のメンテナンスをするように、動きを確かめていく。問題がないと分かると、今度は地に足を着けてみた。不思議な感覚だった。自分の身体が浮いているように不安定だった。すぐには動けないかもしれない。動けない身体に、安心する。このまま、もう、動かなければ良いのに。動かなくなって、忘れて、消えて。そうなれば、どれ程、良かっただろう。俺はありもしない空想に縋り始めた。


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