牢1
人々の喧騒。売り物小屋の店主の呼び声。隙間なく建てられた真っ白な壁の住宅街。街灯に描かれる国章。全てが残酷に思えた。耳を塞ぎたくなる。眼を閉じたくなる。街を歩く人々が皆同じ笑みを浮かべ、こちらを見ているような気がした。思わず、後ろに右足を下げる。
「どうしたの」
シナノが俺を見て、不安そうな顔をする。
前にも一度、この王都へ来たことがある。しかし、人に不慣れな俺はやはり暗い路地や地下道路を使って過ごしていた。そこから明るい道を眺めるのはとても惨めだった。しかし、早くから親を失った俺にとっては当たり前のこと。いつも、羨ましそうに眼を細めていた。一度も、そこから脱出しようとは思わない。保身を求めていた。一度堕ちたら、戻るのが怖い。俺は変化を怖がる臆病者なのだ。
もっと、俺を笑ってくれと思う。もっと、苦しませて。壊して。引き上げて。救って。
「大丈夫、大丈夫。思ったより人が多くてさ」
俺は何とか笑顔を見せる。
大丈夫だ、大丈夫。俺にとっては呪文だった。しかし、ここで止まる訳にはいかない。
「俺は軍総司令官殿に報告してくる。それまで、俺が所属する三番隊預かりになる。大人しくしていろ」
ホウショウの最期の言葉が重く響いた。
ここで逃げても良い。どうせなら、逃げ出してしまおう。邪な考えに火が着こうとしている。またホウショウとシナノの顔を交互に見た。
シナノと一緒に逃げても良いかもしれない。そう思ったが、ホウショウのあの無表情な顔が脳から離れない。なぜだろう。まるで理由が分からなかった。
結局、俺は勇気ある決断が出来なかった。ここでも、臆病者の片鱗を味わうことになろうとは思いもしなかった。
俺たちの身柄はホウショウから、見知らぬ兵へと明け渡され、果てには、地下牢へと閉じ込められてしまった。シナノとは別々の牢屋のようだ。鉄の冷たさがよく分かる。目の前には鉄格子。背後には小さな鉄パイプの隙間から、真っ赤な太陽が見えた。
本当に不思議な形をしている。あの太陽は常に丸く、常に紅に染まっている。夜になると、辺りは暗くなり、小さな光の粒が幾千幾万、見ることが出来る。夜の静けさと、昼間の明るさの対比がとても神秘的である。もし、あの太陽に手が届くことが出来たら、何か変わるのだろうか。過去も、現在も、未来も。寧ろ、俺はあの太陽になりたい。あいつは良い。この世の全ての事象を静観しているだけで許されるのだから。
現実逃避に浸っていると、隣から壁を叩く音がした。牢屋の壁は鉄で出来ているように見えるが、隣の音がこちらまで聞こえてきている。少々腑に落ちないが、向こうの意を察し、俺も壁を二回叩いた。
これに意味があるかは不明だが、何もやらず、廃人のように過ごすことには抵抗があった。気を紛らわすのには丁度良い。
「俺に助けを乞えよ」
鬼の有無を言わさぬ声が聞こえてくる。
「どうやら、面白いことになっているようだ。青いのに裏切られたのだろう。ああ、可愛そうになあ。憎いだろう。苦しいだろう。全て解放すれば、楽になれる。ほら、その欲望を解き放つんだ」
心の中が騒めき立つ。炎が燃え始めた。
憎い。果たして、この感情は憎いという名がつくものなのだろうか。もっと、胸が締め付けられる。無に近いようで、それは激しい感情。自分でも分からない。今の俺は迷子同然だ。自分の行く末が全く分からない。今までの俺だったら、すぐに逃げていた。初めは暇つぶしのつもりだった。だが、今はホウショウという存在が脳内から離れない。もしかしたら、俺は何かの病に罹っているのかもしれない。多くの地で旅をした。病に罹る瞬間はいくらでもあっただろう。最近、倒れることが多くなった。それも関係している可能性もある。
俺の思考はあらぬ方向へと行きつつあった。
「難しいことは考えるな。お前があいつを堕としたいのならば、俺の力を使え。それだけで良い。何も考えるな。お前は何も考えるな」
鬼の声を聞くと、頭がぼーっとする。危険とは分かっていながら、鬼の声に耳を傾けてしまう。俺自身が分からないのならば、他に導いてくれる者の声を聞くしかなくなる。そこから答えを探せば良い。
そう思うが、俺の心は依然、別の解答を探していた。




