術3
「神父も世間から逃げた一人だった」
シナノの言葉に悪意は感じない。今までで最も優しい表情だ。シナノの神父への敬愛を感じ取り、心の中に暖かいものが広がっていく。
「本当か」
「うん」
「俺は国立軍所属第三番隊副隊長ホウショウ。国を軽んじる者は正義の剣で貫かれるだろう。言葉に気をつけろ」
それは無情な声だった。ホウショウといると、ひしひしと感じる。ホウショウはその肩書に縋っている。何がそんなに怖いのか。何がお前をそうさせるのか。ホウショウが深海へ沈んでいくように思えた。もがかず、生きようともしない。ただ身体を預け、沈んでいく。
怖くなる。近づきすぎれば、過ぎるほど、苦しくなるのだろう。失いたくないと思ってしまうのだろう。それが俺の弱みになる。もう二度と、同じ過ちは繰り返さないと誓ったのだ。二人との間に見えない壁がある。まだ大丈夫。まだ、俺たちは近くない。
「国、ね。結局お前も同じじゃないか」
シナノは俯きながら、そう呟いた。俺にはその言葉の意味が分からなかった。シナノの顔はよく見えなかったが、なぜか泣いているように思えた。
ホウショウにもシナノの声は届いていたはずだ。しかし、その後、ホウショウは一切口を開かなくなってしまった。
三人で残りの王都への道を進んでいかなければいけない。道中色々なことがあり過ぎて当初の目的を見失いそうになる。自分がホウショウに監視されている罪人という認識が薄れつつある。それはそれで良いと思う。いっそ忘れてしまえば良いのだ。肩書も常識も、今までの過去全て。そうすれば楽になれるのに。
「お前の声は煩いな。休む暇さえない」
突然、鬼の声が響く。
謎の靄との戦い後、初めて鬼の声を聞いた。一度、鬼へ自分から会話を試みてみたが、無駄だった。鬼は己の気の向くままに行動する。少し残念に思いながらも、納得していたが、何の前触れもなく話しかけられると驚く。
「我慢しろ」
鬼の言葉は素っ気なかった。鬼が急に愛想よくなったとしてもそれはそれで寒気がする。俺の心中は少し厄介だった。
「お前は不思議だ」
鬼が感慨深そうにそう言う。
「あの煩わしい日からたくさんの人間の心を食った。人間は皆欲望に忠実だ。すぐ俺の誘惑に堕ちていく。面白いほどに」
鬼が下品に笑うのが分かった。
煩わしい日。それはいつのことを言っているのだろうか。俺には分からない。そもそも、鬼は自分のことを話そうとしたことは一度もない。人間とは違う感性が備わっているのかもしれない。鬼にはそういう習慣がないのだ。
しかし、今の鬼は過去を懐かしんでいるようにも思える。中々、人間らしい。人間でもあり、人間ではない生き物。では、未知の生物を心に飼っている俺は一体何だと言うのだろう。
「お前は本当に煩いな。黙って俺の言うことが聞けないのか」
鬼は不満そうにそう呟いた。昔はこんなではなかった気がする。いつからだろう。俺だって縋っている。ホウショウのように、これが俺の存在意義だと信じきっている。だが、ホウショウと違うところは意識しているか、否だ。俺は意識して見ないようにしている。本当にどうしようもないのだ。
「はあ、だから可笑しいというのだ。普通、欲望に堕ちた人間は考えない。理性が働かなくなるからだ。しかし、お前は違う。いつも考えている。なぜ、お前は堕ちないのだ。人間だろう。欲望に忠実に生きたいとは思わないのか。ましてや、すぐそこに、その欲望を叶えられるものがあるというのに」
鬼はどこか怒っているようだった。
俺もそういうことを考えないわけではない。だが、それよりも、自分の保身が先行するだけだ。
「いや、違うか。お前は客観的に物事を見ているようで、自分のことになると否定的になるのだな。それを育てても良いかもしれないな」
いかにも、悪そうな笑顔だ。嫌な予感がした。
「安心しろ。今のところお前が思うようなことはしない。今のところは、な。状況が変われば、もちろん俺の行動も変わってくる」
先程とは違い、鬼は上機嫌になった。鬼は掴みどころのない言動が目立つ。俺もどう反応して良いか分からない。加えて、鬼は俺の心の中を全て覗き見ることが出来る。初めてだ。いつも、誰にも心の内を明かしたことはなかった。
小さかった時の記憶は曖昧だ。ただ、両親に売られたという記憶だけが闇に埋まっている。きっとそれが、俺が道を外したきっかけだったのかもしれない。今となっては、その事実だけが俺の背を追いかけてくるだけだ。何の感情も湧かない。俺にとって、どうでも良かったことなのだと、今では思っている。




