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鬼の空念仏  作者: 月虎
30/41

術1

 重たい瞼を開ければ、漆黒。横を見れば、シナノの小さな掌が見えた。この状況にどこか既視感を覚える。シナノの寝息を聞きながら、ここ数日の出来事に想いを馳せていた。

「起きたか」

 不思議と驚きはしなかった。

 そこには剣に寄り掛かるホウショウの姿があった。どこか雰囲気が変わった。そう思ってしまうのは気のせいだろうか。虚ろなその目に、不安になってしまう。

「ホウショウ?」

「もうすぐ夜が明ける」

 ホウショウはそう言うと、ゆっくりと外の方へ歩を進める。光の方へとホウショウが言ってしまう。

 ホウショウの雰囲気が変わったのではない。俺の気持ちが子供っぽくなっているのだ。離れるだけで、こんなに切ない気持ちになるのだ。俺の心はどこか可笑しい。今まではこんなに感情が激しく動かなかった。様々な絵の具を混ぜ合わせた様に、グチャグチャな心。この状態をどう表現すればよいのか分からない。

「チトセ」

 その響きには違和感があった。よく考えてみれば、ホウショウに名を呼ばれることはあまりない。貴重な体験に少し感動してしまう。

 俺はホウショウの方へ足早に向かった。目の前の光景に自然と足が止まる。目が離せない。その瞬間、ホウショウと話したかったことや、考えていたこと、全てがどうでも良くなった。

 橙の光が草木の間から漏れ出している。それを見上げるホウショウの背中は強く、逞しい。加えて、寂しそうに見えた。俺がその隣に立つのはあまりにも不格好だ。相応しくない。後一歩。踏み出す勇気が俺にはない。進めば、何か変わるのだろうか。恐らく、俺は変化が怖いだけだ。足がすくんで動けない。

「綺麗だな」

 俺にこれ程ホウショウが話しかけるのは珍しいことだと思う。いつもは凶悪な瞳で睨まれてしまう。だが、それもない。やはり、ホウショウの中でも何かが変わり始めている。その考えに辿り着くと、そうだと決めつけてしまう。皆変わっていくのだ。自分もホウショウもシナノも、この光景も。何だか勿体ない気がした。この景色を閉じ込められれば良いのにと、出来もしないことを妄想してしまう。

「すまない」

 何を言われたか分からない。言葉の意味も、その真意も。俺には理解出来ない言葉だった。

「あの魔女は殺さなければならなかった」

 相変わらずの言葉足らずだ。だが、その言葉には何か不思議なものが込められているような気がした。ホウショウの言葉一つ一つが耳に残る。本当のホウショウの姿を見れた気がした。

「仕方ないよね」

 また、軽く返してしまった。張り付いた笑顔が戻らない。

 ホウショウが初めて、俺に心を通わせようとしてくれた。単純に嬉しかった。多くのことを話したかった。だが、俺の口は止まってくれない。

「まあ、俺だけでも全然大丈夫だったし。それより、女の子たちの頭、撫でてあげてたよね。羨ましいなー。あ、もしかして、あれも幻覚だったりする?どこからが本当?」

 ホウショウの顔が徐々に曇っていくのが分かる。言い終えた後に、自分の失態に気づいてしまった。しかし、笑顔の仮面は外れることはない。

 他人との交流を避けてきた弊害がここに現れるとは思ってもみなかった。いや、最初から気づいていた。人付き合いは苦手だ。俺と関わると、皆歯車が狂ってしまう。

 この笑顔をすると、ホウショウの逆鱗に触れてしまうということを分かっていながら、止めることが出来ない。そういったジレンマが俺の心を黒く塗りつぶす。

「良いぜ、こいつも燃やしてやろうか」

 心の中で鬼が悪魔の囁きをする。鬼の声は楽しそうだ。自分を欲が具現化したものと自称するだけある。確かにこいつは俺の欲だ。あの黒い靄との戦いで、強く痛感した。

「お前は耐えれるのだな。人間のくせに変な奴だ」

 きっと、あの時のことを言っているのだろう。黒い靄を目の前にして、たくさんの邪な考えが脳内に流れ込んできた。自分でもなぜ耐えられたのかは分からない。

 ただ、これだけは言える。鬼だけには変だと言われたくはなかった。俺の欲の形だからかなのかは不明だが、鬼の性格はどこか俺に似ている気がする。はっきり言えば、これは同族嫌悪だ。自分でもつまらないことだと思うが、俺としても譲れない。

「すまない」

 再び、ホウショウが謝罪を口にする。なぜ、ホウショウが謝るのだろうか。今のは、全面的に俺が悪い。自覚もしている。

 ホウショウは真剣な眼差しでこちらを見ていた。この表情は初めて見た。新たな発見に場違いな喜びが湧き上がってくる。

「えっと」

 基本、こういった真面目の空気になると、話すのが難しい。外面の俺は笑うしか出来ないのだから。そう思うと虚しくなってくる。

「俺はあまり話すのが上手くない」

 ホウショウが俺と向き合おうとしてくれていることに気づいた。どのタイミングでスウィッチが入ったのかは分からない。それでも、ホウショウが懸命に話そうとしてくれている。今まで、俺の話を聞こうとしてくれたのはチヨダしかいなかった。心が揺れ動く。

「ホウショウの声は落ち着く」

 自分でも何を言っているのか分からなかった。ただ、偽りのないホウショウの言葉に、俺もそれと同等のものを返さなければいけない。その一心で、言葉を紡いだ。

「だから、そのままでも良いんじゃないの。その方がホウショウらしいし」

 やはり、軽薄さは抜けない。すぐには変えられなさそうだ。それでも、今言える最大限の言葉を言ったと思う。

 俺はホウショウの顔を見るのが怖くなった。どんな反応をされるのか。耳も目も、外界に接する全てを塞いでしまいたかった。

「そうか」

 ホウショウが言ったのはその一言だけだった。しかし、その一言に俺自身が救い上げられた気がした。この感覚は何なのだろうか。胸が暖かい。今まで感じたことのない感覚。この気持ちに名はあるのだろうか。

「見世物小屋は幻覚だ。恐らく、あの店主が術者だろう」

「ふーん、あの黒い靄みたいなのは」

「あれは魔女が作り出したものだ。俺にも何なのかは分からない」

「え、てことは店主は逃げたってこと」

「そうだ。それとあの店主は自分のことを魔女だと言っていた」

 案外、会話はスムーズに出来ていた。ホウショウとこんなにも話せるとは夢にも思っていなかった。

「魔女、か。そういえば、術のことってあんまり知らないんだよね」

「僕が教えてあげるよ」

 突然後方から聞こえてきた声。前のめりに話してきたのはシナノだった。後ろを見なくても分かっていたことだが、その声が俺が知るシナノの声よりも大人びている気がした。慌てて後ろを振り向くと、そこには満面の笑顔のシナノがいた。なぜだろう。その笑顔に少し恐怖してしまう。


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