靄3
【ホウショウside】
「取り敢えず、こいつを安全な場所へ運ぶ。手伝ってくれ」
その静寂を破ったのは俺だった。優先順位としては人命救助が一番先のはずだ。この様子だと命に別状はないが、いつ目を覚ますか分からない。楽な体勢にしておくに越したことはない。
シナノは信じられないものを見る目で俺を見ていた。なぜ、そういう顔をするのか分からない。
「話、聞いてた?」
「ああ」
一気に気が抜けた様に、シナノはその場に座り込む。何か可笑しなことを言っただろうか。
「本当に不思議な人だね。言っておくけど、本当の意味で信用した訳じゃないから」
シナノに睨まれた。どうやら、俺はシナノに疑われていたらしい。
信用。当たり前だ。俺たちは信用という関係で成り立ってはいない。罪人と軍の人間。繋がりも何もない。俺たちの中にはただその事実があるだけ。
俺の敬愛する師が言っていた。
「なあ、ホウショウ。あの大空は偉大だな。誰があれを青いって言ったんだろうな。俺にはアザーブルーに見える。勿論、そういった知識があるから言えることだ。だから、もう俺には青く見えないよ。……お前は何でもかんでも信用するなよ。自分の知識と経験こそ、最高の宝物じゃないか。一番、信用出来るのは自分自身なんだ。俺みたいになるなよ、ホウショウ」
遠い昔に出会ったその人の面影を今でも探してしまう時がある。
「で、運ぶんでしょ」
シナノの声で現実に戻される。シナノはいつの間にか俺の傍に来ていた。
「いや、俺一人で運べる」
チトセの腕を掴み、自分の肩へと乗せる。担いでみると、案外軽いことが分かった。チトセと戦闘した時、身のこなしが慣れているなと思った。鍛えていそうな雰囲気もあったので、もう少し重いと思っていたが、軽々と背に背負えてしまう。
最近、チトセは倒れてばかりだ。もう少し、健康的な食生活を心がけた方が良いかもしれない。チトセが倒れている間に、食料を確保して何か作ってみよう。
「気になってたんだけど、僕たちが倒れている間に何があったの。何で君だけ気を失ってないの」
チトセがいない時のシナノはお喋りだ。元々、話すことが得意ではない俺にとっては有り難い。
「あの少女たちの頭に触れた時、自分の手が歪んだように思った。自分の手ではないような。その時、それらが幻覚であることを知った。だから、店主を切りつけたらああいう状態になった」
「いきなり切ったの?」
「ああ」
「君の感覚はよく分からないね」
シナノが呆れたようにそう言った。その後、興味をなくしたのか、シナノは黙ってしまった。
気づけば辺りが暗くなっている。草木が擦れる音や獣の声がはっきりと聞こえる。耳をすませば、フクロウや虫たちの声もする。そういった森特有の音楽が俺には心地よかった。
「あ」
シナノの呟きで前を向く。そこには自然に出来た洞窟があった。寝るには良いかもしれない。だが、危険がないとは限らない。俺は腕でシナノを制した。シナノは不思議そうにしながらもこちらに従ってくれる。
シナノをその場に残し、俺はゆっくりと洞窟へ近づいていく。懐にある鉄の塊の感触を確かめる。あまり使うことはないが、狭い洞窟には長い剣を振り回すよりも有効だ。足音を立てないように、洞窟の横に近づく。背に抱えたチトセを抱えなおす。深呼吸を二回。懐から取り出したものの状態を確認する。グリップを握り、トリガーに手をかけた。身体にある空気の全てを吐きだした瞬間、俺は洞窟の中へ武器を向ける。ゆっくりと中へ入りながら、四方八方に向ける。地面が崩れないか、何回か地面を蹴ったりもした。どうやら、今のところ危険はない。その洞窟はそれ程深くなかったが、十分三人が寝れる広さだ。
安全と判断した俺はシナノの方へ合図を出す。
王都へ行くのに随分時間がかかっている。元々、俺は隣国の偵察の帰りにあの町へ立ち寄っただけだった。その時にチトセと出会った。チトセを見た瞬間、心臓が大きく波打った気がした。きっと気のせいだ。大体、チトセの笑顔は胡散臭いのだ。あの笑顔を見ていると、不安になる。そう思っている俺自身に腹が立つし、飄々とした態度のチトセにも腹が立つ。俺の血が求める声に耳を塞ぐ。惑わされることはない。俺は俺の道を、俺の信念を貫いていけば良い。
早く国立軍の本部へ帰らないと、上からの呼び出しがあるかもしれない。いや、それはもう確定事項だ。最初から俺を厄介払いするための任務だ。上は俺に動いて欲しくない。加えて、俺に勝手な行動をして欲しくない。それに従うことこそ、俺が人生で自分の信念に背いた唯一である。それを分かっていても、今の俺では従う以外の答えが見つからない。
シナノとチトセの顔を交互に見る。
すまない。
その謝罪は空気に溶けていく。どれだけ俺を恨んでも良い。どれだけ俺を殴っても良い。
自分の信念を無視する奴に殺意が芽生える。俺の答えはもう決まっていた。そう思うのは癪だが、それが俺の本心なのだと思う。
夜は更けていく。時が過ぎなければ良いと、これ程思ったことはない。




