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2話

 借りていた本を返そうと読子先輩の部屋の前に立った僕は、先輩の部屋の中から会話らしき声がしたのでノックしようとしていた手にブレーキをかけた。

「東京………………」

「なかなか…………ならば……東京…………」

 どうやら先客が居るらしい。このアパートのドアは安っぽい合板張りなので、少しでも大きな声を出せば中の会話が廊下まで筒抜けである。

 だから先輩の部屋に来る程に親しいなんて一体どんな奴だろうと気になった僕がドアにぴたりと耳をつけて中の会話を盗み聞きしていたというわけでは無い。

 断じて無い。しかし──

「いつまでそんな所で聞き耳を立てているつもりなんだ君は。さっさと入ってきたまえ」

 ドアの奥からそんな声を掛けられ、僕の心臓は2センチぐらい跳ね上がった。二センチは言い過ぎにしても、十九ミリは跳ね上がった。

「失礼します……」

 慎ましく言いながら部屋に這入った僕の視界には、積み上げられた本の山が飛びこんでくる。そしてその奥に先輩の姿。

 この木造ぼろアパートにはベランダが無い代わりに膝の高さ程の位置に大きな窓が在り、転落防止兼布団干し用の柵が外側に張り出している。先輩はその窓枠に腰掛け、柵に片肘を載せた姿勢で本を読んでいた。窓枠を額縁に見立てれば、そのまま絵画としてルーブル美術館に寄贈できそうだ。まあ、受け取って貰えないだろうが。

 先輩は真冬や天気が悪い日を除けば、そうやって本を読んでいる事が多い。別に外の風景を楽しみたいとかそんな風情のある理由ではないだろう。二階の窓から見える景色など面白くとも何ともない平凡な住宅地だ。詳しい理由は問うた事はないが、おそらく単純に部屋が狭くてくつろげるスペースが無いからだろう。この部屋の中は本に占領されている。

 そして、そんな部屋に残された僅かなスペースの中で窮屈そうに身を屈める巨大な人影が在った。

「やあ。貴君も読子女史に用かい?」

 振り向いてそう言った男は、僕の同期生であり、このアパートの一階に住む細野だった。

 名は体を表すという慣用句がピッタリな読子先輩に対し、完全に名前負けしている──というか圧勝してしまっている巨漢の男は、僕の為にマトリョーシカみたいなシルエットの身体をずらし、スペースを開けてくれた。

 ただでさえ圧迫感のある部屋の中で細野の近くに座るのは気が乗らなかったが、他に座る場所もないのだから仕方ない。僕は床に散らばる本を適当に除けて腰を下ろす。

 細野は何やらアニメの女の子のイラストが書かれたTシャツを着ていた。なんのキャラクタなのかは判らなかったが、ぱっつんぱつんに引き伸ばされてしまって、まるで『ど根性ガエル』のピョン吉みたいになっているのが哀愁を誘う。

「僕は先輩に借りた本を返しにきたんだよ。お前こそ珍しいじゃないか」

「自分は貴君とは逆で、読子女史に頼まれてた本を貸しにきたんだよ」

 細野が生っ白い頬の肉を震わせながらそう言うと、先輩はふふんと愉しげに鼻を鳴らした。

「いつも私の部屋から本を借用していくばかりの君と違って、細野君は非常に役に立ってくれる。大助かりだ」

「感謝の極み」

 細野は芝居がかった口調で言いながら鏡餅みたいな身体を曲げた。頭にミカンを飾ってやりたくなる。

「そんな事言われても、僕が先輩に貸せるような本なんて無いですよ。僕が持ってるような本なら既にこの部屋に有るでしょう」

 多分、この部屋のどこかには。

「てゆうか先輩、細野から何の本を借りたんです?」

 先輩がわざわざ人に用意させるような本とはどのようなものであるか、多少の興味はある。

 先輩は今まさに読んでいた本をぱたんと閉じると、「これだよ」と言って表紙を示した。A4判くらいのサイズで、どうやら漫画であるらしい事は分かった。しかし雑誌という訳でもなさそうだ。やけに薄い。

「いやあ、苦労しましたよぉ」

 細野が間延びした声で言う。

「そのサークルの新刊はすぐに売り切れますからねえ。そうだ。今度、一緒に行きませんか? なんならコス参加で。知り合いに自作してる子いるんですけど」

「遠慮しておくよ。人混みは苦手でね」

「それは残念。読子女史なら何着ても似合うと思うんだけどなあ。貴君もそう思うよね?」

 同意を求められても困る。だから無視して話題を変えた。

「そういえば二人で何を喋ってたんです? 東京がどうとか聞こえましたけど、旅行の計画でも立ててたんですか?」

 すると先輩は口元に手をあてて、くすくす笑い出した。

「盗み聞きとは君も趣味が悪いな」

「勝手に聞こえてきたんですよ。それより、なんなんですか一体」

「いやね……」

 笑いを噛み殺しながら先輩が言う。

「細野君が実にユニークな法則を発見したので、その検証をしていたんだ」

「法則?」

 細野はトトロみたいにニタァと笑い、得意気に言った。

「『東京』という単語の後ろに適当なカタカナの言葉を入れると漫画とかのタイトルっぽくなる法則」

 うわぁ……。

「……それは素晴らしい法則を発見したなオメデトウ」

「ありがとう」

 普通に嬉しそうにありがとうとか言ってんじゃねえよ。

「そうだ。折角だから貴君もやってみる?」

「え?」

 なんでそんな不毛な真似をしなきゃならんのだ。

 しかし読子先輩はパンと手を打ち鳴らし、

「それは良い。是非ともこの法則の素晴らしさを君も体験し経験したまえ」

 と見るからに無責任なニヤニヤ笑いで言った。

 こういう時、はっきりとノーと言えないザ・日本人。それが僕だ。

 細野は赤ん坊みたいに丸々とした手を差し出して言う。

「それでは、張り切ってどうぞ」

 ……こうなったら仕方ない。

「東京……ゲッタウェイ」

「あはは。ありそうありそう」細野が楽しそうに相槌を打つ。「その調子でどんどんいってみよう」

「東京オートマチック」

「いいねいいね!」

「東京マテリアル」

「SFっぽい!」

「東京ドリーマー」

「少女漫画でありそう!」

「東京ロマネスク」

「ラノベっぽい!」

「東京デティクティブ」

「推理物だね!」

「東京キャノンボール」

「テレビアニメ化決定!」

「東京メタファー」

「第二期放送中!」

「東京パフォーマンスドール」

「懐かしい!」

「東京ディズニーランド」

「千葉だけどね!」

「東京ブギーナイト」

「神番組キター!」

「東京タワー」

「オカンと僕と時々オトン!」

「後半グダグダじゃねえか!!」

 僕が貫手で脇腹を突くと、「ぐぴゅう!」と変な音を出して細野は呻いた。

「なんなんだ、この茶番はァ!」

「ううう……酷いなあ。貴君も途中までノリノリでやってたじゃん」

「うるせえ!」

「こらこら」

 読子先輩が真面目くさった顔で言う。

「暴力はよくないぞ。細野君は実に真剣にこの法則に向き合い、君と共に実証していただけなのだから」

 こうなる事が分かってて焚きつけたくせに、よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えるもんだ。鬼だなこの人。

「……もういいです」

 真面目に付き合うだけ損だ。僕は気持ちを切り替える。

「それより、借りてた本、返しますね」

「うん。その辺に置いといてくれたまえ」

 僕は適当な本の山に借りていた本を載せる。これは僕が無神経なのではなく、そもそも本棚自体が本に埋もれているので他に置きようがなかったからだ。

「それで、これの続編を借りていきたいんですけど良いですか」

「良いよ。持っていきたまえ」

 気前よく言ってくれるのは良いんだけど……。

「……どこに有るんですか?」

 先輩は再び読書に戻りながら人差し指で部屋の一角を示す。先輩の指の先には山積みの本。

「その辺」

 どの辺だよ。

 仕方ない。自力で探すしかないだろう。そう思って腰を上げた瞬間、ふと思い出した。

「そういえば、どうして僕が部屋の前にいるって分かったんですか?」

「簡単な事だよ。隣の部屋のドアが閉じる音がして、そして足音が私の部屋の前で止まった」

 先輩はページを捲りながら答える。

「この安アパートは物音が存外響くからね。誰かが来たらすぐ分かる。ある意味、最高のセキュリティシステムさ」

 成程ね。タネが解れば不思議でもなんでもない。そんな事を考えながら僕は本の山を切り崩しにかかった。

 ABC殺人事件、坊っちゃん、スタンド・バイ・ミー、よくわかる手芸入門、スラムダンク7巻、京都観光ガイドマップ、十五少年漂流記、ライ麦畑でつかまえて、撲殺天使ドクロちゃん、古今和歌集、不夜城、空想科学読本、罪と罰上下巻、旧約聖書、ヒトゲノムと遺伝子、オズの魔法使い、実験と科学、銀河鉄道の夜、航空宇宙辞典、鳥人計画、世紀末異常心理犯罪ファイル、図書館戦争、グレート・ギャッツビー、ソーシャルメディア進化論、建築材料・その選択から施工まで、老人と海、ハムレット、最終兵器彼女4巻、犬の飼い方・柴犬編、かもめのジョナサン──。

 なんつうか、つい最近、僕が片付けをしてやったのに、一層カオスな状況になっているのはどういう事だろうか。

 何の脈絡もないラインナップだが、たまに法則性が出てくる時もあるので面白い。例えば、

 クッキングパパ14、18巻、オレンジページ2月号、華麗なる食卓1、2巻、食事と健康、もう迷わない簡単献立365日、美味しんぼ11巻、現代人の医食同源──と続くと、「ああ、料理に興味が湧いたんだな」と知れる。

 もっとも、読子先輩が料理をしているところなんか見た事ないが。

 僕はさらに掘り進む。

 たまごクラブ5月号、俺だって子供だ!、はじめての育児、赤ちゃんと僕1、2巻、働く女性の保育支援──。

 ここにきて、子育てに興味が湧いたらしい。

 アンタが母親だったら僕なら確実にグレるよ──等と考えながら、うさぎドロップ4巻を手に取ると、

「あ、それ自分の」

 と言って細野が手を伸ばした。僕は素直に渡してやる。

「こんな所に埋まってたのかぁ。ふふん。やっぱ子供の時のりんたんはカワユスなあ。5巻以降はもう違う作品だよね。でも、女子高生のりんたんも萌えるけど。ダイキチ羨まし過ぎ。爆死しろ」

 訳の分からない事を呟く細野を無視して、僕は発掘作業を再開した。

 と、その時、ドタドタと階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。

 すると、それまで黙って本を読んでいた読子さんは急に立ち上がり、どこからともなく取り出したサンダルを手にして、

「じゃあ、後はよろしく」

 と言って窓から飛び降りた。

「………………え?」

 え?

 ええー?

 程無くして玄関のドアがノックも無しに勢い良く開けられた。

「コラァ、読子ォ! 貸した金返せェ!」

 そう言って現れたのは、眼鏡を掛けた若い女性だった。女性は靴も脱がずにズカズカと部屋に上がり込み、周囲を見回す。

 僕は面食らってしまって完全にフリーズしてしまったが、細野は招き猫みたいに片手を上げ、

「あ、絵美先輩オツです」

 と言った。

「あれ? 細野君じゃん。おっつー。ところで、あの愛書狂(ビブリオマニア)ドコ行った?」

「今さっき、窓から飛び降りたお。草薙素子バリの素早さで」

「あんッのヤロウ!」

 そう叫んで、女性は部屋から駆け出して行った。僕は立ち上がって窓から外を見回したが、どこにも読子先輩の姿は無かった。

 あー……。

 いつも窓枠に腰掛けて本を読んでたのって、そういう理由?

 昔テレビで見た、坂本龍馬の寺田屋襲撃事件を思い出した。

 まあ、あれこれ考えたって仕方無いので僕は本探しを続行し、目当ての本を見つけた。

 なので、

「じゃ、お先」

 そう言って部屋を出る僕に、細野が不安そうに言う。

「ねえ。自分、ここで待ってた方が良いかな?」

「ほっときゃいいよ」

「でも、鍵とか……。泥棒とか入ったら……」

「いいって」

 僕はヒラヒラと手を振って見せる。


「どうせ盗るモンなんて、本ぐらいしか無いよ」


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