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やがて来る僕らの終わり  作者: 髭鯨
第一章 ある日常の終わり
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ある日常の終わり(九)

「カズハ……?」


 捉えどころのない暗闇にいきなり放り込まれて、目の前にいたはずの彼女の名を口にした。自分でも思った以上に消え入りそうな声だった。こんなにも僕は頼りないのか。その実感で不安がさらに膨らんでいく。


 しんと静まり返る室内。ここは本当にさっきまでいたリビングなのか。

 慌てて椅子とテーブルの感触を両手で確かめた。触れた皿とフォークがカチャリと音を立て、ビクリと身体が反応してしまう。

 ああ、見えないだけでこんなにも不安になるだなんて……。


「カズハ!」


 また、すがるように名前を叫んだ。すると「けほっ」と咳き込むようなか細い声がした。


「ユウ、大丈夫、私はここにいるわ。安心して。大丈夫……」

「ああよかった。いなくなったかと思ったじゃないか」


 ようやく返事があって、全身のこわばりが少しほどける。

 だけど、繰り返される大丈夫という単語に、逆にカズハの焦りを感じた様な気もした。

 息が少し荒い。


「ユウ、落ち着いて。少しだけ待ってて。明かりを探してくるから……」


 椅子と床がこすれる乾いた音がして、トン、トン、と慎重な足取りで、カズハの足音が遠ざかっていく。


 僕は椅子の上で膝を抱え込んで目を閉じた。目を閉じていても、いなくても、結局暗闇なのは変わらないんだけれど、目を開けていて何も見えないとやっぱりどこか気味が悪かった。暗闇が僕の身体を押しつぶそうとしているように感じられた。怖い……。


 気づけば、夜はとても静かだった。

 耳を澄ませるとポツポツと雨がアスファルトを叩く音が続いている。それ以外には車の走る音も虫の声もない。


 トン……トン……。


 カズハの足音が刻まれる。だんだんと、その静けさに僕の存在さえもが溶け出しそうに思えてきた……そんな中、唐突に、いつか聞いたあの音がした。




 びちゃり……。




 身体がビクリと震えて、目を見開く。冷や汗がつうと頬を伝った。


 びちゃり……。


 聞き間違いじゃなかった。近い。カズハが出ていった廊下のあたりから聞こえてくる。

 その姿を必死に探すけれど、暗闇の中では当然何も見えなかった。いや、本当は見えてほしくないのだけど、どうしても僕は再び目を閉じることができないでいた。


「カズハーッ!」


 こらえ切れず叫んだ。

 またしても返事がない。


 びちゃり……。


 代わりにまた音が聞こえた。それでもう僕はほとんどダメだった。


「カズハーーーーッ!!」


 性懲りもなくまた叫ぶ。ほとんど涙声だ。


「ちょっと、ユウ、大丈夫よ。もう少し、もう少しだけ待ってて……」


 ようやく返事があった。廊下の奥の方でガサゴソと何かを漁っているようだ。

 カズハは聞こえてないのだろうか。この足音が。

 いるんだ。すぐそばに。早く、早く戻ってきてくれ。


「あった」


 カズハの呟きが聞こえた。すぐさまチッとマッチを擦る音がして、廊下のあたりが一気に赤色を帯びる。そしてリビングの入り口に不自然な形が黒く浮かび上がった。

 シルエットだった。何かいる。人の形をした……しかしその影は肩から肩へ横一線に切れている。

 ああ、首なしの少女だ。




「ああああああああああああああああ!!」




 認識するなり僕は叫んだ。恐怖が肺を握り潰して叫び声が止まらない。


 ……それはずっと続いたようにも感じたし、あるいは一瞬だったのかもしれない。気づいたら電気が復旧して、明かりがともり、テレビが点いて、画面からはゲラゲラと能天気な笑い声が聞こえてきた。テーブルには食べかけの料理が残ったままだ。


 暗闇の中で見えた首なしの少女は、明かりで蒸発したかのようにいなくなっていた。

 だけどその姿はいまも脳裏に貼りついている。べったりとだ。身体中の震えが止まらない。抱えた膝をきつく抱きしめた。


 カズハが小走りで戻ってきた。僕を見るなり駆け寄って、両の肩をさすってくれる。


「ごめん、ごめん。本当にごめん。もう大丈夫だから……」


 カズハは心の底から謝っているようだった。だけど、別にカズハが謝ることじゃない。むしろそばに居てくれてありがたいのに。申し訳ないのはこっちの方なのに……。


「うん、うん。ぐず……」


 僕は鼻をすすりながら頷くことしかできなかった。自分が情けなくて、そしてまた自分を責める。負の連鎖が止まらなかった。


「カズハ、今も見えたんだ。首なしの少女が……。夢にいつも出てくるんだ」

「ユウ……」


 カズハがそっと僕の頭に手を置いた。ようやくカズハの温もりが伝わって、少し気持ちが落ち着いてきた気がした。


 その時、ガチャリと玄関の戸が開く音がして「ただいま」とやや疲れの混じった声が響いた。


「ユウ君のこと話したら、結局早く帰ってこられたわ。学校の方針もしばらく授業は平常通りってあっさり決まって――」


 一家の主が戻ってきたのだ。瀬尾さんはひょいとリビングを覗き込んで、僕ら二人の様子をみるなり言葉半ばで「あらら」と少し苦い顔に変わる。

 そのままカズハに対して、


「また、ぶり返しちゃったの?」

「みたい。昨晩のこともあるし、さっき停電があって、真っ暗になったから……」

「停電?」


 瀬尾さんが丸メガネを傾けながら合点のいかない顔をする。


「変ね。外は電気が通っていたと思うけど。信号も動いていたし……」


 それを聞いて、カズハの顔が一瞬だけ引きったように見えた。だけどすぐに落ち着いた様子に戻って、ごそごそとハーフパンツのポケットをまさぐって僕に何かを手渡してくれる。


「……これは?」


 マッチ箱とろうそくが数本束になっていた。受け取ると、見た目よりかなり軽く感じた。


「また暗くなったときのために持っておいて。できれば肌身離さず……」

「……うん、ありがとう」


 泣き腫らした目で頑張って笑顔を作った。精一杯の強がりだった。


 できればもっとカズハや瀬尾さんと一緒にいたいとも思ったのだけど、二人がとても辛そうに僕を見るのになんだか耐えられなくて、食事を済ませた後は何も言わずに自分の部屋に戻った。

 一年前のことを話す気にもなれなかったし、首なしの少女のことを話すのも気が進まなかった。


 ぼふん、とベッドに飛び込んで枕に顔を埋める。もう身体を動かす気力すら湧いてこない。


 これはフラッシュバック……なのだろうか。僕自身は一年前の出来事をほとんど覚えていないというのに……。

 いや、本当は無意識のうちに封じ込めているだけなのかもしれない。暗闇の中でそれが刺激されて幻覚として現れている、とか。


 だけど、仮にそうだとして、どうしてそれが首なしの少女という形になるのだろうか。この部分がどうしても整理がつかない。ベッドの上でしばらくじっと考えてみたけれど、納得いきそうな答えは何一つ浮かんでこなかった。


 少なくとも言えるのは、一年前のあの日、僕の日常は完全に壊れてしまったということだ。

 そこから一年かけて、ようやくそれを取り戻しかけていたはずなのだけど、また今回の殺人事件で壊れそうになっている。……いや、もうとっくに壊れてしまった後なのかもしれない。




 ――あした世界の終わりがやってくる。




 今日カズハはそんなことを言っていた。これが何を意図していたのか、そもそも本気で言っていたのか、僕にはわからない。カズハには今、何が見えているんだろう。考えれば考えるほど思考の迷路にはまり込んでいくような気がした。

 一年前のこと、殺人事件のこと、首なしの少女のこと、そして……カズハのこと。何一つわからないままだ。無力感が思考を鈍らせていく。


 明日なんてこなければいいのに……。


 結局、いつものようにスタンドの小さい明かりを一つ点けたまま、いつの間にか僕は眠りに落ちていた。

 長い一日がようやく終わった。

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