ある日常の終わり(八)
「カズハはさ……事件のこと、どう思う?」
テレビが全然関係ないことばかりを話すので、思い切って訊いてみた。地元で同級生を含めて二人が無残に殺され、犯人はまだ捕まっていない。それだけじゃなく警察は僕を犯人だと疑ってすらいる。この後どうしたらいいのか、不安が募るばかりで、なんとなく相談しておきたかった。
「どうって……」
テーブルを挟んだ正面で、カズハは少し困惑したような表情を浮かべた。我ながら下手くそな訊き方でもあったし、やっぱり食事中に女の子とする話ではなかったかもしれない。そういう多少の気後れはあったけれど、それでも僕は彼女の目を見つめて答えを促した。
カズハは食べる手を止めて、しばらく無言で考えていたけれど、やがてポツリと、
「ユウは何も思い出さないの?」
と問いかけてくる。
「え?」
意図がわからず返す言葉に詰まっていると、カズハは一つため息をついてゆっくりと話し始めた。
「単純に考えればこれは同一犯による連続殺人。報道される前にもかかわらず、どちらも頭部がないっていう独特な殺され方だったから」
いつも通り冷静なカズハがそこにいた。
「警察もそう考えるはず。だから、ユウにとっては先生殺しのアリバイが特に重要になると思う」
「それは……ちゃんとカズハと一緒だったって警察には言ったよ。一緒に下校してたじゃないか」
「そうね。私も訊かれたらそう答えておくけど、近しい人の証言だけだと弱いかも」
なるほど。他にそれを証明してくれる何かを探した方がいいかもしれない。下校途中に僕らを見たのを覚えている人か、あるいは道端の防犯カメラとか。
ふと、学校の防犯カメラが動いていなかったという話を思い出した。先生殺しの方でも動いていないなんて偶然はあるものだろうか。嫌な予感は拭えない。
カズハは少し言いにくそうに続けた。
「ユウがしばらく疑われるのは仕方ないかもしれない」
「そんなっ?」
「五十嵐君の方で第一発見者っていうのは重要な要素だし、それに加えて男性、殺害現場から徒歩圏内、被害者とも顔見知り――」
淡々と説明を続けながら、カズハはトマトにフォークを差し込んだ。
曰く、連続殺人犯には男性が多いらしい。おまけに死体を殺害現場に放置していることから、自動車などの運搬手段をもっていないと考えられるとかで、深夜の犯行であれば徒歩圏内に犯人の生活圏がある可能性が高いだろうと言うのだ。
「――だから警察も、ユウをなかなか容疑者リストから外してくれないと思う」
説明を聞きながら、僕のフォークではスパゲッティが絡み合ったまますっかり固まってしまっていた。もともと頭が良いのはわかっていたけれど、その華奢な姿と話す内容がどうしようもなくミスマッチだったし、ここまで洞察を進めていたことにも驚きだった。
「だ、だけど、僕には殺す理由なんかない。死んだ刻中の先生なんて、今日まで知らなかったくらいだし」
「そう、ね。殺す理由……。どうしてその二人なんだろう……」
カズハがまた食事の手を止めて、静かに考えを巡らせ始めた。両目の焦点はテーブルの上のあたりでぼやけてしまって、動力が切れた機械人形のように静止している。
犯人の思考に入りこもうとしているんだろうか。その行為が少し空恐ろしく感じられて、彼女を引き戻したくて、
「やっぱり、恨み、なのかな?」
一つの可能性を挙げてみた。
ぴくりとカズハが反応し、また僕の目をじっと見つめてくる。
「ほら、頭部って……その人を象徴する部位じゃないか。それを破壊してしまうってのは、相当にその人の事を恨んでたってことなんじゃないのか?」
「ユウ……いえ、そうかもしれないけど……」
その後の言葉は小声でよく聞き取れなかった。「一年前」という単語がかろうじて僕の鼓膜を震わせる。
「カズハ……?」
「うん、今回の事件は……理由が重要かもしれない」
カズハはそう言って、一人納得するように頷いた。
「どうして二人を殺したのか、の理由が?」
「ううん」
カズハは小さく首を横に振る。そして言った。
「どうして二人だけなのかってこと」
「……だけ?」
不意に、恐怖が短剣のように胸を突き刺してくる。
本当はもっと死んでいるはず、ってことなのか? どうしてカズハはそんな悪い予感を?
戸惑う僕をカズハの大きな瞳がじっと見据える。まるで何かを探るように。
「ねえ、ユウ、本当に……」
「……本当に?」
続く言葉がなかなかカズハの口から出てこない。
なんだ? 何をためらっている?
食事の最中だというのに、のどがカラカラに乾いてきた。
『――日本列島には梅雨前線が停滞し、今後もしばらく雨模様が続きそうです。降水量が多い地域では、引き続き河川の増水や土砂災害に十分に警戒してください』
天気予報の音声が耳障りだ。
目の前でカズハはまだためらっている。意志の強い彼女が、今この瞬間は何かに怯えているようにすら見えた。
黒い瞳が揺れに揺れ、ほとんど涙に滲んでいるみたいに、そのくらい恐る恐るといった様子で、彼女はようやく一歩、踏み込んでくる。
「ユウは本当に、何も、思い出さないの?」
それを聞いた瞬間、ズキリと頭に強い痛みが走った。
思い出すって、何をだよ。
駆け巡るのは今までの出来事、頭の中で高速で巻き戻される。
学校の割られた窓。
瀬尾さんとの面談。
コハルの笑顔。
カズハと並んで歩いた道。
病室での事情聴取。
そして、五十嵐の死体。
猟奇的な光景が思い浮かんで、今食べたばかりのものが逆流しかかった。
最後にたどり着いたのは首なしの少女の悪夢。ブラウスを血で汚し、立ち尽くしているあの姿。
「そういえば……。馬鹿らしいかもしれないけど、もしかしたら関係あるのかな……。よく夢に出てくるんだ。首なしの少女が。まるで今回の犠牲者と同じように頭がなくて――」
ダンッ――
大きな音がリビングに響く。カズハがテーブルを叩いて勢いよく立ち上がっていた。身を乗り出すようにして、こちらを見ている。
『南太平洋じょ……ザザ……した台風六ご……ザ……ザ……を保ったまま、今後日本列島に接近して――』
テレビまで、それに驚いたかのように、妙な雑音が混ざり始めた。
だけど構う様子もなくカズハは僕を見つめ続けている。その表情は真剣そのものだ。病室に来てくれた時なんか比べ物にならないほど目に力が込められている。
「それって、いつから?」
「えっと……そういう夢は前からよく見るんだ。ただ、最近はちょっと多いかもしれない。それに、起きている時も幻覚が見え始めたというか、今日なんか学校で……あ、いや、昨晩もあったのかな。五十嵐の死体を見つける直前……」
「ユウ――」
カズハが何かを言おうとしたその時だった。
『天気予報の担当は……ザザザ……した。それでは……ザザ……ザザザザ……プツッ――――――』
雑音混じりのテレビがいきなり真っ暗になった。僕もカズハも思わずそれに目を向ける。
緊張が走った次の瞬間、視界のすべてが暗転した。音もなく、突然に何も見えなくなったのだ。
停電だ。