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渡瀬沙紀と名乗る女性

登場人物

東条 一  :二十二歳 俺

佐々木 裕人:二十歳 ……俺?

白井 伊織 :十七歳  俺? いや私? 女子高生


 二人の俺から「オリジナル」と呼ばれていた俺は、そんなことを知るはずもなく、はかどらない仕事を早々に切り上げ、土曜の会社を後にした。

 仕事がはかどらなかった理由は簡単だ。アパートに一人残してきた佐々木のことが頭から離れなかったからだ。


 ……いくら俺と同じ記憶を持っているとはいえ、信用しすぎたかもしれない。

 もし佐々木がそんな悪巧みを考えていなかったとしても、佐々木本人がいなくなったことについては色々な問題が起こっているだろう。


 他人の問題なんて、俺の知ったことではないのだが……、知ってしまうと気になってしまう。昼飯も食わずに帰りの電車へと駆け込んだ。



 電車を降りてしばらく歩くと、安アパートが見えてくる。

 俺の部屋の窓が見える角度へ回り込むと、カーテンが開けてあるのに気がついた。俺はカーテンを必ず閉めて出掛ける習慣がある。佐々木も同じなら、まだ部屋にいるのだろう。

 少し安心してアパートの外にある二階への階段を上ろうとすると、スーツ姿の女性が重そうな荷物をもって必死に階段を上がろうとしているところへ出くわした。


 この木造の階段は、大きな荷物を持って上がるのにひと苦労してしまう。人がすれ違うことさえできない狭さだ。

「……運ぶの、手伝いましょうか」

 いつにもなく親切にそう言ったのは、階段を上がる邪魔……なのではなく、その女性の横顔が、ひときわ美しかったからだ。

「あ、すんません……」

 振り向いた女性は横目で見た印象以上に美しかった。


 ――どこにでもいるような美人ではなく、非の打ちどころがない美しき人――。


 芸能人かモデルのような整った顔立ちと優しそうな瞳に思わず息をのむ。こんな安アパートに用事があるってことは、芸能人の可能性は皆無だろう。


 ああ……、もしこんな素適な女性がこのアパートの空き部屋に住むことにでもなったら……まるで夢のようだ。

 ……まるでファンタジーのようだ――!

 しかーし!

 現実と夢とは必ず結びつかない――ストップ妄想!


 隣の部屋なんかに住むはずがなかった。その理由は彼女の一言目で察しが付いた――。


「ああ、俺だ、俺が目の前にいる~。夢のようだがこれが現実なんだ……。とりあえず、やったぞ、喜べよ。脳と肉体の完全支配に成功したんだ。しかも女だぞ。特上の女! もろ俺好みだろう」


 その言葉を聞いて俺の甘い夢が音を立てて崩壊した。


 ――な、なんだって。

 今、この女性はなんと言ったんだ――?


 これでは昨日の悪夢の再来ではないか。この女性が俺の部屋の隣だったらいいなと考えた数秒前の俺が恥ずかしい。


 この女性が俺の部屋に……来る。来てしまう!

 とびきり可愛いのに……、頭の中が俺とまったく同じだなんて……。


 気がどうにかなりそうだった。頭に手の当ててうなだれてしまう。

「おい、大丈夫か? そう簡単に信じられないだろうけど、信じてくれよ。今言ったことは本当なんだ。だから助けて欲しい。俺がお前と同じだっていう証拠に……そうだなあ。何か昔のことで質問してみてくれよ。あっさり答えてやるから」

 ……今のお前は女なんだから、男みたいに「俺」って喋るな。それとも、これこそ本物のオレオレ詐欺だ……そう言いってやりたかったが、とりあえずは確認の質問をした。


 昨日と同じ問い掛けだ。デジャブのようでデジャブじゃない。リアルだ……。


「では問題です。俺が一歳の時にした火傷の痕が今もあります。何処でしょう?」

 その女性は、懐かしむように空を見上げながら言った。

「そうそう、火傷したんだよなあ。しかもカップラーメンを全身に浴びて。すぐに水で冷やして病院で処置してもらったが、右腕にカニみたいな火傷の痕が残ってしまったんだ。しかしそれは俺の記憶じゃないだろう。親から聞いたものだ」

 俯いたままその答えを聞いた。今回は別に驚きもしない。

「正解」

 そう言うと女性は少し安心したような笑みをこぼした。その可愛さが今は逆に悲しかった。俺はその女性の大きな旅行鞄を持つと、引き上げるようにして階段を上がった。

「ところで、今の君の名前は?」

「この女の名は渡瀬沙(わたせさ)()。なにをやってたかとかは分からないんだ。とにかく急に家を出たから」

「……こんなにたくさんの荷物を詰めて急に飛び出したっていうのは、ちょっとおかしい気もするが、まあいい。と、とにかく、よろしく」

 階段を上がりきったところでそう言って片手を出すと、沙紀も手をだして握手を交わした。

「こっちこそよろしく。うお、俺の手って他人が握るとこんな感触なのか。なんか変な気分だ。それに、俺ってそんなに誰とでも握手を求めたり親切にしたり……しないだろ?」

「――あ、ああ、そうだったかもな」

 思わず焦ってしまう。

 たしかに佐々木と違って「綺麗な女性」ってだけで対応が少し……いや、物凄く違うかもしれないが、男ってだいたいはそんなもんだろう。だが、まだその佐々木の話はしないでおく。

 扉を開けてからのサプライズって……少し面白いだろう。お互いにもな。


 自分の部屋まで荷物を持って行き、鍵を取り出して扉を開けようとした時、逆に扉が開いた。

「お帰りなさい」

 ――俺と沙紀は二人とも驚いて声が出なかった……。

 しかし美しい女性と二人で帰ってきたのを目の当たりにし、目の前の制服姿の女子高生も、さらにはその奥からニヤニヤ観察していた佐々木も、全員が同じように驚いて――声が出なかった。


 四人全員が同じリアクションをする。ま、当然と言えば当然なのかもしれないが。


「その奇麗な女性は、誰だ! ま、ま、まさか、彼女だって言うんだったら俺は、俺は、俺は~! オリジナルを心底尊敬するっ!」

 はじめに口を開いたのは佐々木だった。

「残念だが俺はそんな尊敬に値するような男じゃないさ。お前も知っての通りの男さ。それよりも……お前こそ女子高生を連れ込んでなにをやってるんだ! 一歩間違えれば犯罪だぞ! 金髪を武器にナンパでもしたのかー!」

 そう問い詰める俺に対し、佐々木は呆れ顔で答えた。

「そんなことするもんか。いや、できるかよ。こいつも俺と同じさ。つまりは……お前と同じ」

「てことは、お前……細胞分裂でもして増殖できるのか?」

 これは俺なりの冗談だ。俺の隣の沙紀のこともある。その女子高生は俺の留守中に訪れたのだと察しが付いている。

 だが佐々木はまだ沙紀の本性を知らないため、俺の冗談にマジで答えてきやがった。

「なんだって、細胞分裂? それは単細胞生物がやることだろう。それとも、俺が単細胞だって言いたいのか?」

 ちょっと怒っているような気がする。

「そりゃ、俺だってちょっとくらい細胞分裂するさ。先っちょの方が特にな。だが、だからといって、なんで女子高生に分裂せにゃならんのだ」

 必死にそう騒ぐ佐々木を見ていると笑いが込み上げてくる。


 ――先っちょってなんだ。先っちょって。


 沙紀もどうやら笑いをこらえるのに必死だ。まだ細胞分裂について喋ろうとする佐々木に俺は説明した。

「悪い悪い、ほんの冗談だ。その女子高生もこちらの女性も恐らくはお前と同じで、俺と同じ記憶を持っているそうだ。そして、自分の記憶はない。まあ、とりあえず記憶が戻るまでしばらくうちにいるといいさ」

 佐々木は納得したようだ。座卓の向こう側に移動して座り直した。


 女子高生がまず自己紹介をした。俺と……隣に座る沙紀に。

「俺は白井伊織。十七歳。ピチピチの女子高生だ。俺が制服好きだからわざわざ制服で来たんだが、どうだ。たまらんだろう」

 スッと立ち上がると伊織は、スカートをわざと手でヒラヒラさせた。

「あ、ああ」

 答えに戸惑った。沙紀が隣で同じようにヒラヒラするスカートを見ているからである。

「あ、ああ。たまらん! やっぱ制服はいいなあ。ちょっとパンツも見せてくれよ」

 そう言ったのは俺ではない。隣で目を釘付けにしている沙紀だ。

 ……おいおい、お前も今は女なんだぞ。夢中になるな、夢中に!


 伊織は笑いながら沙紀に答えた。

「それはダメ~。俺は女子高生になったからって、別に軽い女にはならないのさ。そう言う君は、なに者なんだ?」

「おお、俺は渡瀬沙紀。二十二歳。たぶん独身。財布には少しのお金と免許証しか入ってなくて、それ以外のことは分からないが、……恐らくはOLだと思う。家の部屋にはたくさん服があったからなあ」

 俺は持たされていた大きな旅行鞄を叩きながら沙紀に尋ねた。

「で、急いでたが、こんなにたくさんの服を詰め込んできたってわけだな」

 どれだけ急いできたことやら……。苦笑してしまうぜ。

「ブッブー。残念。これはだなあ。見て驚くなよ。お前ら絶対喜ぶからな」

 そう言って開けた旅行鞄の中は、ピンクや花柄のランジェリーがぎっしりと詰まっていた。


「「――な、なに考えてんだ馬鹿野郎!」」


 そう突っ込んだのは俺だけじゃない。三人共だ!

 佐々木はそのうちの一つを……まるで不発の手榴弾を触るかのように、恐る恐るつまみ上げ、眺めながら、

「パンツとブラをこれだけ詰めて来れるんなら、せめてパジャマとか着替えとか持って来いよ。なに着て寝るつもりだ?」

「なんだよ、服だったらこの家にもあるだろ。沙紀のいた部屋のタンスを開けたらビビるぜ。お前らだって絶対こうしたはずだ。間違いない」


 ――絶対にそんなことはしないと、断言したいっ!

 お前とは違うと断言したい~!


「こんなにあるなら俺にも貸してくれよ」

 伊織も恐る恐るつまみ上げて眺める。

「ああいいよ、お前は女だからな。その代りその制服、俺にも着させてくれよ」

「いいよ。そのためにわざわざ着てきたんだからな。佐々木もオリジナルも着ていいからな」

 俺は皆と同じように鞄の中の可愛いランジェリーを摘もうとしていた手を急いで引っ込めた。

「オ、オリジナルってなんだ、もしかして俺のことか?」

 佐々木と伊織がそろって頷く。

「なんでだよ。ワザワザそんな言い方しなくてもいいだろう。俺は(はじめ)でいいじゃないか」

 沙紀を含めた三人が首を横に振る。

「それは駄目だ。俺たちだって今も東条一なんだからそれじゃ不公平だ」

 不公平……? 説得力があるんだか、ないんだか。

 頭を押さえて一息つく。

「……分かった。なんとでも呼んでくれ。だが俺もお前らに言いたいことがある。それは、自分の呼び方だ。せめて女は、「私」と言ってくれ。「俺」は厳禁。いいか?」

「ああ、いいぜ。どうせいつかはそうするつもりだったしな」

「わたしもそうしますう。ってこれ気持ち悪くな~い? なんかオカマになった気分だぞ」

「お前らはオカマじゃない。れっきとした「オナゴ」だ。堂々と女口調で話しなさい。そうじゃないと……逆に気色悪い」

 俺がそう言うと、いちおう二人は返事をした。

「なんか、オリジナルだからって偉そうじゃないか? みな平等なはずだぞ」

 佐々木が細い目で俺をやぶ睨みをする。

「そうかもしれんが、お前だって俺と同意見だろ」

「……ああ。まったくもって同意見だ」

 腕を組んだまま佐々木は頷いた。


 そうなのだ……。佐々木は男だからまだマシなのだ。問題は残りの二人だ。なんとか記憶が戻るまで女性っぽく振舞っていないと、なんか……、とんでもないことになってしまいそうだ。

 考え込む俺に沙紀が言った。

「あんたら男らは俺らに惚れんなよ」


 ……だ~か~ら~! 俺はよせって言ってるだろっ!


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