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佐々木裕人と名乗る男

登場人物

東条一とうじょうはじめ  :二十二歳 俺

佐々木裕人ゆうと:二十歳 ……俺?



 部屋に入るとその男は真っ先に洗面台に行き、なにやらゴゾゴゾし始めた。


「お前はいったい誰だ」

 そう聞くと、その男は振り向きながら答えた。

「佐々木裕人(ささきゆうと)……らしい。財布の中にそう書いたカードが何枚か入っていたから間違いないと思う」

 また洗面台の方を向く。部屋に入りすぐに顔を洗っているのであれば、たしかにそれは俺と同じ習慣なのだが……。しかし、佐々木は顔を洗っているわけではなかった。

「ガラガラガラガラ、ップエー!」


 ――歯を磨いていたのだ――。


「おい! 誰の歯ブラシで歯を磨いてるんだ!」

「誰のって、俺のだけど」

 佐々木は俺のと言うが、俺の歯ブラシで当然のように歯磨きを始めている――!

「こいつの口はヤニ臭くて駄目だ。ここに来るまでに何回もうがいをしたけれど、全然スッキリしなくてなあ」


 ……。予備の歯ブラシって……。ないよなあ……。


「――人の歯ブラシを勝手に使うな! 気持ち悪いだろうが。それくらい持って来れなかったのか」

「慌てて出てきたからそういったもんは持って来れなかったんだ。だいたい考えてみろよ、洗面台に歯ブラシが5本あって、自分のがどれだか分かるか?」

 佐々木は口をすすぎ終わるとそう言う。

「――普通は自分の歯ブラシくらい分かるだろう」

 大きくため息をつかれた。

「はあ~。普通は分かるさ、普通は。しかし、俺にはお前と同じ記憶しかない。本人の……佐々木ってやつの記憶がまったくないんだ。ってことはだなあ、想像して欲しいんだが、朝起きたら他人の家だ。驚くことに自分も他人だ。家族全員見知らぬ他人で、自分がなにをしてるのかもサッパリ分からない」

 佐々木はやっと話し相手を得たのが嬉しいようで、どんどん自分のことを話し始めた。


「朝起きて訳が分からないまま一階に降りたら、恐らく母親的人物に、「あら、今日は朝ごはん食べるのね」って言われ、椅子に座れば、「そこは俺の席だぞ」って父親的人物に言われ、空いた席に座れば、「あれ、お兄ちゃん今日は新しいバイト? どうせ長続きしないのにね」って妹的人物に嫌味的なことを言われ、出てきた朝食を普通に食べようとしたら……なんて言われたと思う?」

 そうとう熱く語るから逆に問いかけてやった。

「なんて言われたんだ」


「「――お前、いつから右利きになったんだー!」」


「――だぜ。三人して同時に突っ込むから、どうしていいか分からなくなってよお~」

 眉毛をハの字にして泣きそうな顔をする佐々木……。ちょっと同情してしまう。

「それで、左手で箸を持って食ったのか?」

「ああ、最初はそうしたさ。でもな、いきなりそんな芸当ができるわけないだろ。何度もご飯をこぼして、変な目で見られて……。で最後にゃ俺もヤケクソだ。右手でさっさと食って、「今は右手を鍛えてるんだ」って言ってやった。あいつら、空いた口が塞がってなかったぜ」

 う~ん……。

 もし俺が佐々木と同じ状況に陥れば……同じことをするだろうなと考えると少し笑えた。佐々木も話しながら苦笑している。

 冷蔵庫から缶ビールを出すと佐々木の前に置いた。

「お、サンキュー」

「じゃあ他にも色々苦労したんだろ」

 弁当を食いながら佐々木の話を聞くことにした。


 そうそう簡単には信じられないようなことを言っているのに、佐々木が嘘をついているようには思えなかったのだ。

 佐々木は俺がどのコップを「うがい用」に使っているのかを知っていた。恐らくはキャッシュカードの暗証番号も知っているのだろう。


 座布団も敷かれていない茶色く古い畳。佐々木はまるで自分の部屋のようにすっかりくつろいでいる。ビールを口へと運ぶその仕草が、俺そっくりなのかもしれない。

「俺の記憶と、佐々木になってからの記憶は一体どこまであるんだ」

 佐々木は手にしていた缶ビールを机に置き考えた。

「今日が……もう十月だとすると、最近の記憶はないなあ。あいつと別れてからの記憶もあるけど、仕事についてもそんなに覚えてない。何月何日っていうのが曖昧で思い出せないなあ」


 佐々木が口にしたあいつとは、……たぶんあいつのことだろう。俺もあえてそこには触れない。佐々木も俺と同じ記憶の持ち主であるのなら、好き好んで自分の思い出したくない過去を語ろうとはしないだろう。


「で、佐々木についての記憶はさっきも言ったとおり、今朝、目覚めてからのことしか分からない。まあ、それじゃまずいから色々持って来たのさ」

 佐々木は大きな鞄のジッパーを開け、なにやら分厚い物を取り出す。

「ジャーン。アルバム~!」

 ……。

「別に効果音を口で言いながら取り出すほど見たい物でもないだろう。他人のアルバム」

 ……好きな女の子のとか、有名人のとかだったらまだしも。

「だよな、他人のアルバムなんて別に全然興味ないもんなあ」

 言いながらも座卓にそのアルバムを置いて二人で覗き込む。ペラペラとページをめくっていくと、だんだん佐々木の過去が見えてくる。いつの間にかテーブルにはペンとメモ用紙が置かれ、佐々木の人物像が書き込まれていった。


「そうか、俺は二十歳なのか。高校卒業して就職したがすぐ辞めて今ではミュージシャンを目指すフリーター」

「それで、今はバンドを組んでるがまだライブ経験はなく、スタジオ練習の写真が一杯。……写真撮る時間があったら練習しろって言いたいな」

 何本目か分からないビールの蓋を開けようとして時計をみると、もう次の日をとっくに過ぎていた。

「佐々木、俺は仕事があるからもう寝るわ」

「おおそうか、おやすみ。土曜日まで会社に行くなんて、俺ってサラリーマンの鏡だよな」

 佐々木はそう言うと部屋の電灯を消し、スタンドの電灯に切り替えた。俺は押し入れから布団を出し、その中に入った。


 予備の布団が押入れの中にあることを佐々木も知っているだろう。

 見ず知らずの他人が部屋にいるのに熟睡できたのは……酒のせいだろうか。


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