送別会
登場人物
東条 一 :二十二歳 俺
佐々木 裕人:二十歳 俺?
白井 伊織 :十七歳 俺? いや私? 女子高生
渡瀬 沙紀 :二十二歳 俺? いや私? 美しいOL?
石田 大造 :六十代男性 俺? いや……おっさん
由香 :遠距離恋愛していた元カノ。『サヨナラ』の置き手紙でフラれた
係長 :鬼のような(?)係長
斉藤 美奈 :二十四歳 隣デスクの少し気になる女性。父親が会社の専務
斉藤専務 :閻魔大王のような(?)専務
悩みとは裏腹に今日の仕事ははかどった。
定時は過ぎたが、まだ太陽が沈んでいない時間に会社を出ることができた。帰りの電車の中、もしかしたらあいつらも帰っているんじゃないかと、少し期待していた。
……期待だと?
……。
やっぱり俺はあいつらに、帰ってきてもらいたいのか……。
アパートの照明は俺の部屋だけ消えている。郵便受けに入れておいた部屋の鍵が、そのままの姿で俺を迎えてくれる。
やはりまだ帰って来ていないようだ。一つのことがうまくいくと全てがうまくいくように思えてしまうが、そうはいかないようだ。ため息をつくと部屋に入って服を着替えた。
あいつらはもう帰ってこないのか……。
……いや、絶対そんなことは――ない。
もし俺であれば、喧嘩別れをしたとしても、せめて最後に一度はしっかりと別れを告げに行かないと気が済まないだろう。それに、あいつらは俺の服を着たまま出て行っている。それに、それに、
――あいつらのでかい旅行鞄はこうして置きっぱなしではないか。これは、必ずすぐに帰ってくると言っているようなものだ。
それに、もし俺だったら……と考えていると、急に扉をドンドン叩く音がした。誰が叩いているかは……考えなくても分かる!
やれやれ……。
「どちら様ですか。あまり大きな音を立てないで下さい。響きますから」
「おいオリ! ちょうど一週間前と同じセリフを繰り返すなって」
そうなのだ。もし俺だったら、そろそろ相手のことを許し、帰ろうかと思う頃なのだ。一度目を閉じ、戸惑うことなく扉を開けてみんなを部屋に入れた。
四人は出て行ったときとまったく同じ姿。部屋着やジャージ姿のままだ。
「ただいま~」
「あーやっぱり我が家が一番落ち付くね」
「旅行帰りのおっさんみたいなことを言うんじゃない」
そう言ったのがおっさんだ。佐々木はご丁寧にお土産まで持っている。そして沙紀と伊織は大きな買い物袋を大事そうに抱えている。
「おいおい、沙紀。何だそれは。今日はこれから何を始めるっていうんだ」
「オードブルとお酒を買って来たわ」
そして佐々木が、
「今日は送別会だ。俺達全員のな」
唾を飲んだ。
どういうことだ……。やっと再開したのに今日でお別れなんて……本気なのか。
「再開」といっても……たったの一日だけだったのだが……俺にはもっと長い時間が経っていたと錯覚してしまう。
感傷に浸っている間に皆は狭い部屋に上がり、中央に座卓を置くと、さっそく宴会の準備を始めた。
昨日のことは一言も話そうとしない。俺にとっても、もうどうでも良かった。
缶ビールの蓋が開けられ、一週間繰り返してきた乾杯が今日も行われる。たわいもない話や昔の話でいつものように盛り上がるのだが、俺は一人考えていた。
いつかは別れる時が来るとは思っていたのだが……、なぜ今なのだ。
俺が怒ったのが原因なんだろうかと……たまりかねて尋ねた。
「佐々木、さっき送別会って言ったのは、どういうことだ」
「ああ。今日は送別会。そして明日、俺達は全員帰ることにしたんだ」
他の三人もその声に、ビールを飲むのを止めてこちらを見る。
「私達決めたの。いつもでもこのままじゃいけない」
「そう。いつかはここを出て、一人で生活していかないといけない」
沙紀と伊織が言う。おっさんはうつむいている。
「ここで隠れたような生活を続けても、誰のためにもならない。わしらは東条一じゃないんじゃ」
「……しかし、帰るっていっても、どうするんだ。お前ら昔の記憶が戻ってないんだろう」
俺は恐らく、真剣な表情をしている。
「そんなに心配するなって。それを色々と昨日考えて、いい答えが出たんだ」
「温泉でね」
伊織がそう言って舌をペロッと出して笑った。
「な~に~? 温泉だと。お前ら、俺がヒヤヒヤして専務室に行っていた頃に、のんびり朝湯でも楽しんでたのか」
急にまた……腹が立ってきた、ふつふつと……。
――温泉だと。結構な身分じゃないかっ!
「そう怒らない怒らない。私達もオリがいないとやっぱり楽しくなかったんだから」
「ああ。そうだ。お互い様だ」
「なにがお互い様だ。……まあいい。それでその温泉で考えた方法ってなんだ? どうやって元通りの生活をするつもりなんだ」
聞くと四人はニッと笑った。
「記憶喪失大作戦だ」
それを聞いて驚く……はずがなかった……。
……。
「はあ~。温泉に浸かった割には……大した作戦じゃないな」
「まあそう言うなよ。結局はそこにしか行き着かなかったんだ」
「東条一の記憶は封印して記憶喪失。都合の悪いところは「頭が痛いー」って言ってごまかす。それでやれるところまでやる」
「そうそう。そしてマズい状態に陥ったり、どうしようもできなくなったら……逃げる」
俺は問う。
「どこへだ」
「ここ以外にないだろ?」
佐々木が当然のように答えた。
「ここだと! ……まあ、いいだろう。記憶喪失なんて、そんな都合のいいものじゃないだろうが、お前らが決めたんならそれでやってみようじゃないか。ただ、すぐに逃げ出すんじゃないぞ」
そこでいったん話すのを止めた。
「すぐ逃げ出したら駄目だが、……辛くなったら、いつでもここに戻って来るんだぞ。いい……な」
これ以上話すと……、
涙があふれてしまいそうだ……。
まるで何年も一緒にいた友人と別れるような辛い思いで、胸が張り裂けそうだった。そしてそれは、俺だけでなく他の四人もそうなんだろう……。
「おい、オリ、なに言ってんだよ。それじゃ直ぐに帰って来ていいのか悪いのか分からねーじゃないか」
「そうよ。せっかくみんなで決心したんだから。そんな簡単に帰って来いなんて言わないでよ」
伊織が涙目で言う。おっさんも俯いている。沙紀も俯いているが……箸を握ったままの右手が……オードブルの海老フライを確実に狙っていた。
「……おい、沙紀。どさくさにまぎれて俺の海老フライを取ろうとするなよ。俺はまだ一本も食べてない」
サッと箸で奪還を試みたが、箸は海老フライの下に敷いてあるひしゃげたレタスを掴むにとどまった。
「へへ~、ごめんね。いただきマンモス」
沙紀は一口で俺の海老フライを尻尾まで頬張った。
――こんな大事な話をしている時に~!
「こういうオードブルとかは遠慮して食べちゃ駄目。美味しいものは食える時に食うものよ。これって、「食べる前に飲む!」 と同じよ!」
口からは尻尾の破片などがポロポロこぼれ落ち、意味不明なことを口走る――。
……美人が……せっかくの美人が、本っ当に台無しだ。
「くそう。でも今日までだぞ。お前がそんなはしたない食べ方をしていいのは!」
「ブッブー。記憶喪失で渡瀬沙紀は本心のままで動く人間に変身するのであった~。無理はしないわ。無理は続かないもの」
沙紀は上機嫌で口一杯の海老フライを噛み砕いている。俺は渋々隣の唐揚げを食べることにした。
……冷たい。まあ、スーパーの温かいオードブルなんて聞いたことがない。この皿が入る大型レンジがあれば見てみたいものだ。
「まあ、冷たいのもオードブルの醍醐味だよな」
佐々木もそう納得し吟味している。
「フォローのつもりかも知れないが……、お前も海老フライ、二本食べただろ」
「うわ、オリってケチくさー」
「それじゃいつまでたっても彼女できんぞ」
遠回しにおっさんは、「ケチは彼女できない」と言いたいのか?
「ふん。そんなもん、すぐにでも作ってみせるさ」
残りのビールを一気に飲み干した。
「そういえば、さっき専務室に行ったとかどうとか言っていたよなあ」
「そうそう。それで斉藤とはどうなったんだ。仲直りできたのか?」
皆が聞きたくてうずうずしている。俺は勿体つけて少しずつ話してやることにした。
明日は土曜日だ。無理してまで会社に行かなくてもいい。
時間はまだある。俺達の最後の晩餐会は次の日の朝まで続いた。




